個性
人間には一人一人個性があって、好む好まざるは人それぞれであると教えられることがあるが、そもそもどうしてそこまで個性を重視しなければならないのだろうか。
みんなでドッジボールをしようとなった時、運動神経の優れた男子は積極的に賛同する一方、運動の苦手な人が消極的になるように、全員が納得できない事柄がたくさんあるからだと思う。だからこそ多数決や話し合いをしてお互いの理解を高める必要があるし、意思を確認し合う必要があるのだ。
でも、個性というのは言ってしまえばiPhoneのカバーのようなものである。iPhoneは見た目では誰のものか分からないため、所有者が誰なのか見分けられるようカバーをつける必要がある。人間の個性にも同じことが言える。全世界の人間から個性を取り除いてしまえば、全員が同じ一つの形にまとまってしまう。そんな世界ならば、お互いの意思なんて確認する必要もないし理解する必要もない。非常に便利な世界だと言える。
しかしその世界には今の現実世界に劣る点がある。それは「多様性」である。カバーがついているからこそ華やかになるし、なによりお互いを気遣う力が養われるという点だ。もし自分と同じ考えを持つ人間が多数いたとすれば自分の意見は一つの集団としての答えとなるから、他の人にも受け入れてもらえるかもしれない。しかし現実に同じ考えを持つ人なんて限られてしまうし見つけるのも大変である。だから人は自分の力に失望してしまうわけだ。ニュースを見ながら「こうすればいいのに」というアイディアが浮かんだとしても、それが誰かに受け入れてもらえるわけでもないし、まして日本の政治が変わるなんてことは到底ないわけだ。でも、それは多様性のある世界に存在している以上仕方のないことなのである。
ではどうすれば自分の意見を他人に受け入れてもらえるだろう。まずある程度の主導権を得る必要がある。主導権を握ればすぐに自分の意見は他人の耳に届くようになる。そうすれば自分と同じ意見を持っていた人たちにもチャンスが訪れ、やがて一つの大きな勢力となって世界を変えることになる。
では主導権とは具体的に何か。内閣総理大臣だとかそんなことではない。もっと身近なことでいいと思う。クラス委員長とか生徒会長とか、小さな力でそれを少し大きな力に変えて、その力でもっと大きな力にする。力の積み重ねが、多様性のある今の社会では必要だと思う。
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