綺麗事は死語
小学校や中学校で新しい学年になり新しいクラスになり、環境が変わって始めに決めるのが、恒例の「学年目標」「クラス目標」である。実際そのことを決めることで何かプラスなことがあるかと言うと微妙なところである。多くの人が学年目標やクラス目標の意味について疑問を抱くことになりかねない。少なくとも小学校の内は、教師と生徒が「作業」として行うものであって、その目標自体に大した意味はない。
ではなぜ学年目標やクラス目標は意味をなさないと感じるのだろう。それは、その内容が綺麗事ばかりだからだ。
「団結」とか「協力」とか「信頼」とか「認め合う」とか、そんな言葉を綺麗事というわけだが、私たちはこの綺麗事を使いまわし過ぎた。それは、学校がなにか思いつかなければとりあえず綺麗な言葉を並べておけばある程度カバーできるような状態にあるからと言える。つまり学年目標やクラス目標などの内容を重視してないということだ。重視しているならどうしてあれだけスカスカな目標になってしまうのだろう。
世の中には本音と建前がある事は昔から知っているが、これにはきっとそれとは異なる問題があると思う。綺麗事自体が死語になってしまったのだ。綺麗事は、使われ過ぎた言葉や流行が去って使えなくなった言葉、それらに似た死語なのである。だからいくら綺麗事を聞いても響くものがないし、中身がスカスカに感じるのである。現実はそんなにスカスカじゃないし、もっといろんなことが入り混じっている。
そこで、学年目標やクラス目標には、綺麗事のような理想の形に近づくために行動したい身近なことを書くべきだと思う。非現実的なものではあまりに受け入れがたい。
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