秀才と神様
君は努力して栄光を手にした。君は秀才だ。そんな言葉を努力家に語るのは間違いである。秀才は天才の一部にすぎないからだ。
天才と秀才はよく対義語として扱われるが、その解釈は間違っている。秀才とは、努力ができる力を持っている天才だからだ。受験勉強にいそしみ、第一志望に合格できた人間は天才である。
小さい頃、他人に振り回され、風に流されてきた結果すべてが自分自身で決したものじゃないから天才である。
対義語として用いられる理由は、そこに自らの意思が含まれるか否かの違いによるものだ。しかし、自らの意思を人生に含めることができるのは、結局他人の判断による結果に過ぎないからだ。
生まれた赤ちゃんをお母さんが放っておけば、何も求めないし何もしようとしない。お母さんが面倒を見ることで初めて人との交流が生まれ、いろんなものを求めるのだ。
秀才を作ろうとしたら、まず絶対人と交わらない遠い惑星に、いずれ人が生まれるカプセルを放置しておく必要がある。
人の運命を決めるのは神様だというが、だとすれば神様の正体は、自分を除いた他人なのではないだろうか。神様の正体は実は他人だったと思うと少しゾクゾクするが、もう少し考えてみることにする。
自分以外の人が神様であるならば、自分も誰かにとっての神様である必要がある。自分が変わりたいと思った時、神様に願い事をするように、他人に対する態度を改め、他人を変える必要があり、それに努める必要がある。言い換えれば、自分が変わるためには他人の存在が必要不可欠なのである。同じことが他人にも言えるわけだ。とすれば、お互いがお互いを必要としていると言えないだろうか。片方が倒れしまえばもう一方も倒れてしまう、そんな二人三脚のような関係を、人はずっと背負って生きている。一人が歩む方向を変えようとしたら、もう一方もそちらへ方向転換しなければならない。当然二つの意見が異なってはならないのだから、日ごろからお互いに気を使い、信頼のおける関係を築いておく必要がある。
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