学ランの意味

 中学生の私はしょっちゅう思う。「どうしてこんな不合理な着こなしをしなければいけないのだろうか」と。どんなに暑い日でも黒い長ズボンをはかなければならない。動くたびにシャツがズボンから出てくる。なんなら私服にした方がよっぽどましだろう。

 合理的な面を考えるなら当然学ランに関しては溢れんばかりの悩みが出てくる。学ランを着ることによって自分が中学生であるという自覚を持つことができる。それが多くの中学校や高等学校が生徒に学ランを着させる最大の目的だ。

ではなぜあれだけ不合理である必要があったのだろうか。今までひたすら考えてきた問いでもかなり難しいように思えるが、ついに答えを見つけることができた。

学ランを不合理なものにすることで、それを修正しようとするたびに自覚を持つようになるからである。例えば、シャツがズボンからはみ出てしまった。先生に注意されてシャツをズボンの中に押し込む。そう。この瞬間である。ベルトに触れる感触、ズボンの後ろポケットにあるボタンに指が当たる感じ。そのすべてが中学生であるという自覚を持つきっかけとなっているのだ。

 物事は合理性だけを求めていてはうまくいかない。時にはその後のことを見通して考える必要がある。目先の事ばかり考えるなという言葉を何回耳にしたことか。それだけ大切なことなのだろう。

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