《弐》返事の主は……

 これはアルバイト先で起こった怖い……というか不思議な話です。


 当時、私がアルバイトをしていたのはデリバリーのピザ屋でした。

 普通の飲食店と違い、お客さんのお宅なり会社なりに届けるので、色々な事が起こります。

 例えば、配達の関係でお届けが遅れた時に全身刺青の男数人に囲まれたり、深夜に配達を依頼されてボロボロのアパートに行くと、部屋中にお札が貼ってあったり。

 プレイ中の風俗店にピザを届けた事もありました。目の前で揺れる女性の裸身を横目にピザを渡したのは、若かりし日の青春の思い出です。

 


 さて、今から話すのは後輩が体験した話です。


 それは真夏のある日のことでした。

 平日で店長もおらず、フリーターだらけの店内はだらけきった空気が流れていました。

 平日のピザ屋なんて暇です。ピークらしいピークもなく昼時を過ぎた頃、電話が鳴りました。

 デリバリーの注文でした。


 こんなことを言っては身も蓋もありませんが、暇な日のデリバリーほど面倒な事はありません。それも真夏の昼間です。空調の効いた店の中でダラダラしていたいのは皆同じです。


 公平なジャンケンの結果、負けた後輩が配達に行く事になりました。

 住所を見ると店の近くの新築のマンションでした。

 この前まで雑草が生い茂った空き地だった所です。


「いつの間にかマンションなんか出来てたんですね」


 なんて後輩も言っていました。

 ピザが焼き上がり、後輩は面倒くさそうにデリバリーに行きます。

 私たち待機組はダラダラだべりながら時間を潰していました。

「これで給料貰えるんなら、注文なんか入らない方がいいぜ」なんて店長に聞かれたらぶん殴られそうなことを言って笑っていました。


「そうだ、デリバリーの帰りにジュースでも買ってきてもらおうぜ」と私たちは後輩の携帯に電話をしたのですが、電源が入っていないのか、鳴ることもありません。


「あいつ、使えねーな」なんて言いながら帰りを待っていたのですが、後輩は一向に帰ってきません。

 往復20分もかからない距離なのに40分も、帰ってこないのです。

 どこでサボってんだ、とみんなで文句を言いながら待っていると、しばらくして、ようやく後輩は帰ってきました。


 しかも、とんでもなく青い顔をしています。


「申し訳ないことしちゃいました……」とテンションの下がった口調で何やら落ち込んでいます。


「猫でも轢いたのか?」と聞くと青い顔のままで語り始めました。




 後輩が配達したのは、まだ新築独特の科学的な臭いがする白い綺麗なマンションでした。

 出来たばかりでまだ入居者も少ないようで、ひとけはなかったそうです。

 後輩はピザを抱えて玄関に入り、オートロックのインターホンに部屋番号を打ち込んで配達に来た事を告げようとしました。


 しかし、応答がありません。


 これは所謂【配達あるある】なのですが、お客さんがトイレに行っていたり、手が離せなかったりで直ぐに応答がない事はままあります。なので別段気にもとめず、少し時間を置いてから、もう一度チャイムを鳴らしたそうです。

 すると、ガチャリ、と受話器を取った音がしました。後輩はピザの配達にきた旨を伝えましたが、何の返答もありません。

 

 聞こえなかったのかな、と思いもう一度ピザの配達であることを告げると、無言のままオートロックの扉だけが開きました。


 感じが悪い客だなぁと内心思いながらも顔には出さず、後輩は注文の部屋まで歩いて行きます。

 昼間でも廊下は薄暗く、人の気配はありませんでしたが、平日の昼間ですから、特に不思議なことはありません。


 後輩は部屋にたどり着きチャイムを鳴らしました。

 しかし、またしても応答はありまさん。


 面倒臭いなぁと思いながら、もう一度チャイムを鳴らします。

 しかし、うんともすんとも言いません。


 こうなると、困ってしまいます。


 オートロックの扉は開けてくれたのだから、部屋には誰かいるはずなのに、誰も出てきてくれない。もしかしたら、こうやって時間を稼いで、お届け時間が過ぎたとか、ピザが冷めたとかクレームを入れてくる人なのかもしれない。嘘のようですが本当にこういう人はいるんです。

 後輩は扉をノックし、大声で配達に来た事を告げますが、やはり返事はありません。


 イライラしながらもう一度チャイムを鳴らしました。

 すると、インターホンから「はい……」と小さな声での返事がありました。

 ボソボソした女性の声だったそうです。


 これだけ待たせて、すみませんの一言も無しかよ、と後輩はちょっとイラっとしながらもピザを届けに来た旨を伝えました。

 すると、またしても無言でインターホンを切られました。

 ムカつく客だな、と思いつつも、客が出てくるのを待っていました。


 しかし、またしても待たされたのです。待てど暮らせどお客は全然出てこないのだそうです。


 なんだ、こいつは、とイライラもピークに達した後輩。


 すると、廊下の向こうから楽しげな若い男女の声が聞こえて来ました。


 俺はクソみたいな客にイライラさせられてるのに、平日の昼間からイチャイチャしてんじゃねーよ、と横目でそちらを見ると、その若いカップルも後輩の姿に気づき、慌てて駆け寄って来たのです。


「すみません! 届け時間が30分って言われたんでコンビニに行っちゃってましたっ!」


 カップルは平謝りで駆け寄ります。確かに電話ではそう伝えましたが、暇だったこともあり、早く後輩はマンションについたのでした。


「暑い中、待たせちゃってすみませんでした」


 感じのいい青年が頭を下げます。


「いえ、大丈夫っすよ、中の人にオートロック開けてもらったんで」


部屋の中にいる女はむかつくけれど、このカップルは悪い人ではなさそうなので、後輩も機嫌を直しました。

 しかし、カップルは「え?」と驚いた様子で言いました。


「中には誰もいませんけど……」


 カップルと後輩はお互い『?』という顔をしたのち「これヤバいやつだ」と直感したのだそうです。


 カップルが鍵を開けると、部屋は真っ暗で人の気配はしません。

 エアコンもついてなのに部屋の中はひんやりしています。


 後輩自身も自分には霊感などないと、言っていましたが、この時だけは急に寒気がしてきたのだそうです。


 ビビりまくった後輩はカップルに押し付けるようにピザを渡し、逃げるように店に帰ってきたのです。


それが近い距離のデリバリーなのに時間がかかった理由だというのです。


「せっかく同棲開始って感じでテンション上がってるカップルだったのに、すごく怖い気持ちにさせちゃいましたよ……」


 後輩は自分が怖い思いをしたことよりもカップルの新生活のスタートを不穏な空気にしてしまったことを悔やんでいました。


 意外と良い奴なんだな、こいつって私は思いました。

 しかし、嘘をつくような人間ではないし、一体オートロックを開け、インターホン越しに返事をしたのは誰だったのでしょうか。


 謎は解決することもなく、今に至ります。

 

 ちなみに、その後、私がそのアルバイト先を辞めるまで、そのカップルから再度注文が来ることはありませんでした。


 幸せに暮らしていればいいのですが……。


 おわり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る