元不登校のクラスメイトは自称異世界帰り
辻総つむじ
第1話
「瀬良! ちょっといいか?」
背後から大声で呼ばれ、振り向いた。思えば、これが間違いの始まりだったが、そんなことを僕は予知できない。いや、きっと普通は予知できない。少なくともこの世界では。
「なんですか? 斉藤先生?」
振り向くとそこには担任がいた。
まだ、白髪の混じっていない頭に引き締まった体。腕まくりをした前腕には筋と血管が浮かび上がっている。
明るい表情を浮かべる先生の目には、きっと世界がまっすぐ、鮮やかに、決して暗い色なんて混じらずに見えているのだろう。
「すまんな、急に呼び止めて」
「いえ、別に構いませんけど何か用ですか?」
口ではそういいながら、嫌な予感しかしなかった。
普段、親しいわけでもない教師に声をかけられ、しかも、腰を低くして接してくる。いつもなら二言目には要件を伝えてくるのに。
「大西の件なんだが......」
急に声が小さくなる。さすがにプライバシーの感覚は持ち合わせていたらしい。
「大西ってアノ大西ですか?」
それならばと、こちらもそれにならった。
「大西がどうかしたんですか?」
答えを促すように尋ねる。すると珍しく、本当に申し訳なさそうな顔つきをした。そして、バッと素早く腰をおり、手を合わせ、
「このとおりだ! あいつの勉強の面倒を見てやってくれ!」
見事なものだった。動きは俊敏でいて、かつ、九十度に曲がった瞬間にピタッと静止する。僕が採点官なら10点あげてもいい。もちろん10点満点の。ただ、こればっかりは話が違う。
「嫌です」
答えはそれ以外なかった。
友達でもなければ、話したこともない。しかも彼には事情がある。殊に、今回のような頼みでは僕が対処できるはずがない。
「どうしてだっ! こんなにも真摯に頼んでいるというのに!」
負けじと先生が食いついてくる。それに流され、つい口が回る。
「どうして、僕がそんなことしなきゃいけないんですか⁉︎ 僕より優秀な人なんてクラスにいくらでもいるでしょう? しかも、そういうのは先生の仕事ですよね⁈」
そうだ、これは本来教師の仕事だ。生徒である自分が請け負う理由なんてどこにもない。
「......いや、その、だな。ほら、俺は体育教師だし、まあ、他の先生に頼んだんだがな? ちょっと、相性が良くないみたいでまいっちゃってな?」
「ん? どういうことですか? 他の先生っていっても高校なんですから、各教科で数人の先生に教わりますよね? それで、参っちゃうって......?」
どういうことだろうか。よくわからない。相性がいい悪いがあっても、ただ、教わるだけならよっぽど嫌いな先生じゃない限り、我慢できるはずだ。それに、彼に好き嫌いがあるはずない。
そうか! きっとすごく内向的な性格なのか。どの先生とも話しにくいほどに。それなら、同級生の自分の方がいいのかもしれない。確かにそういう性格だと考えれば、色々と合点が行く。面倒ではあるけど、これは大きな借しになる。少し体育で手を抜いても注意されないはずだ。よし!
「......あのっ、だな。他の生徒は部活が——
「わかりましたよ、先生。特別に僕が引き受けます。任せてください」
優等生ぶった、半音高い声で言う。言外にプレッシャーをかける。「見返りはわかってるな?」と。
「......ほ、本当にいいのか? あぁ、ありがとう! 君はいい生徒だ!」
手を取り、激しく握手してくる。感極まっているようで、握られた手が痛い。困った生徒を、他の生徒が助けると言う場面に酔いしれてでもいるのだろうか? それならばそう思わせておくのがいいだろう。
「えぇ、僕も不登校明けの大西くんが困っているのなら放っておけま——
「ありがとう! それじゃあ、明日の放課後からよろしく。場所は教室でやってくれ! じゃあ!」
一息にそれだけ言って去って行った。一粒の雫に反射した光がキラリと輝いた。
さぞ、感激してたみたいだけど、最後聞いてなかったよな? まあ、いっか。これで体育楽できるし。
✳︎
翌日の放課後、僕はみんなが帰って行くのを見ながら、席に座って大西が来るのを待っていた。不登校だった彼は、普段の授業についてこれるはずもなく、今はまだ、保健室登校で自習しているらしい。
本をだし、ページをめくる。ライトノベルというやつだ。今、流行りの異世界もの。一部では、「もう飽きた」という意見もあるそうだけど、存外飽きないものだ。いろんな人が、いろんな形で、手を替え品を替え作っているだけあって好みが合えば面白い。
つい興が乗って読み進めてしまう。気付いた時には15分ほど経っていた。さっきまでの賑やかさはもう教室にはない。人の気配だって感じられない。
「......おかしいなぁ? もうそろそろ来てもいい頃だけど」
仕方ないので保健室まで向かおうと、本を置き席を立とうとした時、目があった。机の前方。ちょうど本を立てていたために死角になっていたところ。そこからほんの少し顔をのぞかせている。読書中に何かが視界で動いたのは感じなかったから、ずっとしゃがみこんでいたのだろうか。
「お、大西くん、だよね? 何してるの?」
目があった瞬間、そらされた。やっぱり、人見知りなんだろう。
「......君は、異世界ものが好きなのか?」
立ち上がり、視線を外に向けながら、尋ねて来る。一体その先に何があるんだろうか。
「うん、そうだね」
大西くんも、同じ趣味なのだろうか。それなら、そこを足がかりにすぐに距離を詰められそうだが。
「......ふっ」
鼻で笑った。笑いやがった。初対面なのに。
眉毛を少し上げて、いかにも悟ったような顔をしている。
「......お、大西くんは、あんまり好きじゃなかったのかな?」
思わず、舌打ちの1つでもしそうになってしまったがここは我慢だ。まだ、悪いやつだとも変人だとも決まったわけじゃない。
「ん? いや、失敬。馬鹿にするつもりはないよ。ただ、僕には必要ないな」
妙に、上から物を言って来る。これから教えてやるのはこちらだとわかっているんだろうか。
とっとと始めてしまおう。そうすれば、無駄にイライラを募らせないで済む。
「そっか、まあ、人それぞれだしね。それじゃあ、早速だけど——
「そう。実際に異世界に行った僕には必要ないのさ。そんな子供騙しはね」
さらりと言い切った。淀みなく。
少しポカンとしてしまった。呆気にとられていた。きっと口は開いていた。
「ふっ、まあ、驚くのも無理はないか」
大西が椅子を引き足を組んで座る。顔が赤かったり、膝が震えていたりはしない。目も泳いでない。
......よし、帰ろう。
間違いない。関わっちゃいけない人だ。そうだ。だから、先生たちも手を焼いていたのか。「参っちゃう」っていうのは、大西ではなくて、先生たちがってことなんだ。
「......大西くん、僕、用事思い出——
「そうか、向こうに行った直後には、セナたちには驚かれたな。それと同じことか。それならば君も彼女らと同様に別の世界、つまり、今この世界ではない方の話を聞きたがるか」
足を組み直し、体を向けて来る。目線を合わせて、挑発するような笑みを浮かべる。
「それなら、君にあちらの世界の話を聞かせてあげよう。まずは、どこから始めるべきだろうか......よし、フィベールの神殿でステイタスを測った時の話からしようか」
「いいえ、結構です」
だめだ。こういうタイプには強気に、はっきりと言わないと伝わらない。きっとそれですら足りないかもしれない。
「お、そうか......ん、それなら他の話を——
「いえ、早く勉強を済ませてしまいましょう。その興味深い話はまた後日に」
少しはオブラートに行ってしまうのは、きっと僕が日本人だからだろう。とりあえず、早めに済ませて、明日、斉藤先生に無理だと伝えればいい。きっと、わかってくれるはずだ。何せ教師ですら耐えられなかったのだから。
「確かにそれもそうだな。今日はそういう要件だったな。すまんな、向こうではこっちの話は鉄板だったものだから、その調子が残っていたようだ」
「それじゃあ、筆記用具を出してもらえますか? まず実力を知るためにこの前の期末の問題をやってもらいます」
まあ、結局、そんなもの知ったところで2回目なんてないから意味ないけど。
「なるほど、神殿でステイタスを測るようなものか。いや、もともと僕はこちらの人間だから、むしろ逆の感覚であるべきか。いかんな、感覚がずれてしまっている。それだけに向こうの出来事が多く大きかったか」
「それじゃあ、英語からやってもらいます。制限時間は50分と言いたいとこですけど、そんなに難しくないんで30分で、それじゃあスタート」
借りておいたタイマーをセットする。
「それじゃあ、30分後に来るので頑張ってください」
「承知した。どこか行くのか? 先ほどの本でも読んでいればいいではないか?」
「いえ、ちょっと用事があるんで」
お前の前であれが読めるか! 少しクスリとでも笑おうものなら、テストを中断して勝手に話始めるのが目に見える。
「頑張ってね」
そう言って、逃げるように教室を後にした。
校舎中を走り回る。グラウンドも、体育館も、校舎裏も、もちろん職員室も。しかしどこにも目的の人物が見当たらない。
「くそっ! あのバカ教師!」
地団駄を踏むと、思いの外、音が響いた。
再度、捜索を開始しようと走り出し、腕時計を見た。すると、もう教室を出てから25分が経っている。結局、斉藤に文句を言いにいけなかった。仕方なしに、職員室にいた他の先生に、僕が探していた旨を伝えてくれるようお願いし、教室に戻った。足取りは重かった。朝の登校よりも気だるかった。あらゆるものがボヤけて、暗く見えた。
「......終わった?」
戸を開きながら尋ねた。
寝ている。机に突っ伏しながら。よく見る光景だ。
「大西くーん、終わった?」
近づき、肩を叩こうとした瞬間、触れる直前、彼は身を起こした。
「っ! なんだ! また魔物達が攻めてきたのか!」
叫び、構えた。
目つきがさっきまでと全然違う。ずっと鋭い。それに妙に慣れた動作だ。
「......いや、あの、終わった?」
見なかったことにしよう。そう決めて、尋ねた。
「あぁ、そうか。もう警戒しなくていいんだな」
腰に手を当て、自嘲気味に笑う。その表情からは嬉しさも寂しさも見て取れた。
でも知らん。
「終わったみたいだね。それじゃあ採点するから待ってて」
赤ペンと模範解答を取り出し、解答用紙を受け取って、少し離れた席で採点をする。
第1問から第8問までバツ。第9問マル。第10問から第13問までバツ——
以降もいくつもバツが続いた後に時折丸がついた。いっそ調子よく、第3問斜線とでも言ってみたかった。
「......大西くん、終わったよ」
「ん? もう採点が終わったのか」
いや君の高校生活がだよ。8点。全部選択式のテストで8点。留年だ。もう僕が教える意味はない。
「いや、そうじゃなくて、すごくいいづらいんだけど……」
「っ! まさかまた世界の終わりが近づいているというのか!」
「うん、あながち、間違ってないね」
「なにぃ! おのれ魔王のやつ! 」
どうしたらいいんだろう、これ。全然通じそうにない。はっきり言うしかないな。
「そうじゃなくて、君の点数がたった8点ってことだよ」
「ん? そんなことだったのか? それのどこが世界の終わりだというのだ?」
「世界っていうか、進級の危機ってことかな。つまり、高校生たる僕らにとっては大問題であって……」
「ふっ、なんだそんなことか。それなら心配はない」
自信満々に胸を張る。一体どこにそんな余裕と自信があるのか。
「いや、この点数はちょっと厳しいと思うけど……」
「何も悲観することなどない! なぜなら翻訳魔法を使えばいいのだからな。私もあれには散々世話になったものだ。とは言っても、初めから付与されていたから、当初はそのありがたみに気づかなかったがな。大天使様を相手に話すときは助かった。あれのおかげで正しい選択ができたと言っても過言ではないな」
そう言って愉快そうに笑う。
そうですか。翻訳魔法があれば正しい選択ができるんですね。それならこのテストで発展も仕方ない......とはなるわけないな。
「そんなものありません。現実を見てください」
「なに? ない……だと? 馬鹿を言うな、子供だって使えるような初級魔法だぞ? まさか、君は体術メインで闘っているのか?」
「なに言ってるんですか。魔法も戦いもありません。ここは日本ですので」
「......アァ!」
大西が崩れ落ちる。頭を抱え、震えている。現実に気づいたようだ。
それを見てると少しでも気が晴れた。だが、それもつかの間、立ち上がると掴みかかってきて喚き出した。
「頼む! 僕に勉強を教えてくれ! 世界を救った人間が留年だなんて、笑い話じゃ済まない。代わりに君には異世界での僕の活躍を聞かせてあげよう!」
「もう十分笑い話だと思うけど、8点だし。それに、別に聞きたくない」
「頼む! この通りだ! きっと小説より面白いはずだ!」
肩をガンガン揺らして来る。視界が揺れて、首が痛い。
「離してって!」
「アァァァァァア!」
「離せって!」
「アァァァァァア!」
「おい!」
「アァァァァァア!」
バタン! と戸が開く。
「おう! 瀬良、なんか用があるらしいな」
教室に斉藤が来た。手を挙げ、笑っているがぎこちない。
すると、大西がやっと止まった。しかし、まだ、肩から手を離さない。それを見た斉藤がニンマリと笑った。
「なんだ、仲良くやってるじゃないか。てっきり、もういやだって言いに来たのかと思って、先生ドキドキしたぞ。それじゃあ、今後ともよろしく!」
それだけ言って斉藤は去って行った。また反射した光が目に届いた。
このままでは、大西の面倒をみることになってしまう。早く訂正しなければと思い、そちらに顔を向ける。
満面の笑み。
僕は、安堵してそれを浮かべる大西をガッカリさせられなかった。きっと、それも僕が日本人だからなのだろう。
こうして、自称異世界帰りの元不登校生に勉強を教えることになってしまった。きっとこれがなければ、僕の高校生活はもっと平凡で、退屈で愛すべきものになっていただろうに。
元不登校のクラスメイトは自称異世界帰り 辻総つむじ @Tsumuji_Tsujifusa
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