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宗教について考える」への応援コメント


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    ちょっと違います
    キリストに関する資料は聖書などの神話しか存在しないため(キリストは王などではなく一般人だったので客観的資料は存在しません)
    彼が単なるユダヤ教徒だったのか
    それとも本当にキリストだの神だのと主張したのかはわからないのです
    つまり、イエスが本当に何を信じていたのかは誰にもわかりません

    本当に神だったのかもしれません
    初期のキリスト教徒はパウロなんかはほぼはっきりと神だと信じていたようです
    聖書を読めばわかるようにパウロは明らかに神様扱いしています

    単にキリスト像がそれぞれの立場によって異なっているだけで
    これはパウロ自身も悩まされた問題でした

    私はアポロ(当時のキリスト教の教師)につく、私はパウロにつく、私はキリストにつくではなく

    全員キリストにつきなさい、と

    私は宗教が一代で尽きるのが正しいとはまったく思いません
    そもそも一代で尽きちゃう天啓ってなんでしょうか?
    真の神の教えであればこそ何千年も何万年も続くべきです

    そしてどんなものであれ、時流にのらなければはやりません
    そういう意味では宗教はビジネスであってよいとおもいます

    それを言うならスピリチュアルだってビジネスだし
    一種のはやりでしょ

    スピリチュアルだって宗教と一緒で異なる考え方が争い(宗教ほど酷くないにしても)勝ち残ったものが真理として残ってい
    くんだとおもいますよ

    霊感というものも科学的に認められた根拠のあるものではないですし、神もそうです

    つまり根本的にはスピリチュアルも宗教とそう大差はないと思います日月神示だって結局、宗教化してしまいましたしね(あれほど宗教というものを否定しておきながら)

    つまり、真理とはそれが科学であれ、争いの結果決定されるということと流行と無縁の宗教(スピも含めて)はないってことです

    作者からの返信

    @maniteoさん こんにちは。

    確かに、長い年月支持されていると言う事はそれだけのものがあると言う事なのでしょう。強い勢力=それだけ支配している、権力があると言う事ですものね。

    物事には見える部分と見えない部分があり、だからこそ理解の難しい事もあります。誰もが同じものを見る事が出来れば、すり合わせも楽なのですけど。

    一代限りの言うのは教祖の話であり、宗教そのものではありません。ですが、いずれ宗教のようなものは役割を終える日が来ると思います。誰もが真理を経験すれば、誰かの教えに縋る必要はなくなるからです。
    私はそう言う未来が来たらいいなと思います。個人的な希望です。