令和三年三月九日の三六九神示

 3月の三六九神示が降ろされていたので、今回はこれを紹介しますね。今回の神示で一番の新情報は建て替え立て直しの始め、富士の年が2020年と明言された事ですね。火水伝文関係の逸話でもこの数字は出ていますが、日月神示の冒頭『富士は晴れたり日本晴れ』の時期はもう始まってしまっていたのだなと実感する次第です。

 コビッド19の出現にも意味があったと。まぁ、ここまで世界中に蔓延していますからね。そりゃあ深遠なる神議りでしょうよ。ええ。


 と、ここでグダグダ長く語ってもアレなので、どうぞ本文をお読みくださいませ。



 令和の世は霊和の世と申してあるぞよ。三千年の体主霊従の世が霊主体従の世へ替わる大節となったのであるぞよ。

 世の元のうしとらの金神国常立大神、丹後の女島(沓島)に隠棲して三千年。明治二十五年、丹波の出口直殿の手を借りてお筆先を現すまで悪神邪神の如く言われ、言うに言われぬ苦労いたしたが、龍宮の乙姫の助けを得て陰から現の世を守りて、炒り豆に花の咲くまで待ったのであるぞよ。


 三千年の間、うつしの世はごり霊により体主霊従の世となり、神は下敷きに、何よりも物金が先に立ち、悪事も金の力で隠せたり金の切れ目が縁の切れ目と言うような世となり果てたが、物の栄えが中心でありたから科学は発達し、人民は穴倉暮らしから金殿きんでんぎょくろうに住まう様な結構な暮らしの出来る世となりたが、このまま栄耀栄華の暮らしを続けてゆけば、人の世は滅びてしまうぞよとくどいほど申して来たのであるぞ……。


 この三千年は強い者勝ちの世。物金を持つ一部の者等に世界人類振り回され、嘘偽りの事を無理やり信じさせ、従わされて来たのであるぞよ。

 三千世界一度に開く埋めの花。いり豆に花咲く世となり、再び艮の金神が三千世界を構う世となり、日の出の神、龍宮の乙姫もつれそうて、御出坐しの世となりたのであるぞ。


 これまでには思凝霊が陰にかくれて利己主義の人民を使い、悪事を重ねてまいりたが、艮の金神、言の世の閻魔と現れて睨みをきかし、見抜き見通しの水晶の世を開くのであるから、善も悪もありやかに人民に見せる世と段々と変わりてまいるぞよ。



 ても。令和の世は三千年の体主霊従からたまの世から霊主体従ひのもとの世へと替わる大節とめぐりたのであり、その時は西暦2020年の禊の数、ニニふじの年。令和二年子の年でありたぞよ。

 令和二年から新形コロナウイルスの感染が世界に蔓延し始めたのも、その証でありたぞよ。トントン拍子で来た世界も一休みとなりたであろうがな。科学万能と思い上がりておりた人類も、目に見えぬコロナウイルスの為に振り回されたのであるぞ。


 人類の思い上がりに氣付きた者は上々であれど、コロナ禍で錯乱する世の中を利用して金儲けいたすような者も現れるから、すぐさま世が治る事はなく、一旦世の中は掻き混ぜられて泥海の如くにもなるぞよ。その中に段々神理の判る御魂の者が輝きて、世を立て直すのであるぞ。

 嘘偽りの言葉で塗り固め、人類の目をふさぎ、悪事を重ね、何でも金で自在になるような世の中にした者等もそろそろと悪事が露見いたしておるが、だ上面の事で、世の裏の真相が判りたら皆腰をぬかし、開いた口がふさがらぬぞよ。


 世の改めもまだまだ序の口であるぞよ。これまでは正直が馬鹿見る世でありたが、これからは神が表に現れて正直の頭に神宿る世といたすのであるから、神が申してすぐ世は替わらぬが、今しばし真実の事が判らずとも辛抱いたして、素直な水晶の御魂と磨いて新しき世へ渡る用意いたしてくだされよ。

 これからが立て直しの正念場であるから、世界は荒れ、あんな者がこんな者、こんな者があんな者、思いがけぬ役者の入れ替えが日本にもアメリカにも世界中に起こりておろうがな。


 梅の花咲く令和の世は、今日まで埋もれていた神々が次々にお出ましになり、神が出れば因縁の御魂の人民も浮かび上がりくるから、ふるき世のやり方を良しとする者と新しき世を望む者との争いが世界に広がりてまいるぞよ。

 一部の者が金の力で世界を自在にせんとするから争いも起こり貧富の差も起こるのであり、皆が恵みあい助け合う心を少しでも起こせば地上天国の道も開けるのであるが、人間の我欲の岩戸は中々に開かず。

 皆の改心の出来ぬのが難しいところであるが、それが成らねばコロナが終息しても又、元の如く世界は善くならんぞよ。


 日本がしっかりせねばならぬのに、今は腑抜けじゃ。和の道、大和の道、日本魂、奮い起こさねばならぬぞよ。

 さあ、それぞれの歩み来た道、嬉しい事ばかりではない辛い事、悲しい事もあり、それを越えて今日があるのじゃ。神に生命頂き、皆と助けおうて来たのじゃな。喜びも悲しみも皆宝物じゃな。これからも清く明るく、日の出の心で歩むのじゃ。


 人の身は先祖親から受けど、それは器であり、衣であるのじゃ。その器に親神から御魂を頂いて、霊止ヒトとなるのじゃ。肉体は御魂の生宮じゃ。時来れば土となり水に帰るが、御魂は消えず霊界でも働くのじゃ。

 現の世で御魂の使命を果たし親神の元へ帰るのがまことの霊止の道であるが、我欲にとらわれて生きておるとそれが成らぬ。霊界は一八一段階ありて、現の世の想念相応の世界へ行くのであるから、現の世で神を信じ、心の内に地上天国を開いておかねばならぬのじゃ。


 さても、大きな時代の替わり目となった事を氣付かねばならぬぞ。体主霊従の道を選ぶか、神々と共にある霊主体従の神理の道を選ぶか。それぞれの自由に任せるぞ。良くよく御魂、鎮めて思いなされよ。神は強制はいたさぬぞ。自由が神の審判であるぞ。


 言霊神也 ン。



 令和三年三月九日 龍華斎修聖拝写。



 と言った感じで、人類の選別も既に終わっているのかも知れません。一説には1989年が残る者とそうでない者の選別が始まった時期とも言われておりました。それを証明する手段はありませんけど……。

 とにかく、今年はもう2021年です。引き戻せないルートに我々は進んでしまいました。どうか、今後の行く末が悲劇への一本道でありませんように。

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