IMO10さんチャネリングメッセージ 2020年12月メッセージ8

 はい、と言う訳でIMO10さんチャネリングメッセージ、12月の第8段です。今回ついに文字数が1万文字を超えてしまいました。なので前置きとあとがきは必要最小限にしますね。どうか楽しんで頂けたなら幸いです。ではどうぞ~。



 御前

 よいかの、おぬしはおぬしでやるべき事がある……。それをやっていれば良い。ただチャネリングを聞いて、もし本当に要らぬものなら捨て置けばよかろう。

 だが、こうしてチャネリングに吸い寄せられるのは何故じゃ? おぬし達が、チャネリングに可能性を感じておるからではないのか?

 チャネリングは、ここではない見方をするものじゃ。第六感じゃ。五感の感覚だけではないとおぬしも悩みに悩み、考えに考えてここに辿り着いたのではないか? こうして見えない存在でも、居ると考えて、そこからの者の見方を学べば良いだけではないか? 次元の違いじゃな。よいかの?


 おぬし達は、見えない存在がそれほど重要なのかの? わしの目から見れば、そう大差ないように感じる。インターネットと同じじゃ。相手が存在するとどうして分かる? ネット配信なぞAIの得意分野じゃろ? おぬし達はそれを血眼になって漁っている状態じゃ。現に、ネットの情報に騙されておる者もたくさんいるではないか。

 よいかの、おぬし達。おぬし達は、重要な事を忘れている。もっと自分自身を見つめるべきじゃ。自分自身しか、自分を救えてそれ以上の上へ進む事は出来ないのだから。


 わしらの願いはただひとつ、人類の生産じゃ。人類はこのままで終わって欲しくない。それがわしらの願いなのじゃ。

 つまりな、おぬし達は廃棄寸前、要らぬものならそれこそ捨て置けとなるのじゃ。捨て置けぬ事だからこそ、わしらは出来うる限り頑張っておる。ほほほ、おぬしの知らぬところでな(笑)。よいかの、わしらの話はこうしてくどく言うしかない。おぬしもその手伝いと心得よ。


 人間の生産とは、おぬしも知っておろう。人間はこれから変わる。つまり、いい方向にな。どうしてもいい方向には行かせたくない者も居るがの。それはおぬしらがきゃつ等の栄養分となっておるからじゃ。良い良い、それはそれで捨て置け。それよりも残すべき者、生き残るべき者、変わる者の方にシフトせねばな。

 変わる者、変わらぬ者、それらは一緒くたになっておるが、今だけじゃ。これから先、将来はどうしても一緒になる事が出来ぬとなるぞ。


 何故そうなるのか分からぬだろう? 価値感の激変、これに付いて来れねば何も分からなくなる……。どうしてか最近、自分は取り残されていると気付く。だが、今までの価値感に染まりきっておる者はそれが分からない。ただ、それが正しいと自分でしがみついておるなら、それだけじゃ。

 だがの、それだけでないぞ。おぬしも感じておる通り、この世界、このままでは立ち居かないのじゃ。今のシステムを直さねばならん。その為にこうして言葉を語りかけ、おぬしのようなものを置いておる。


 メシェク

 未来では、チャネリングは伝達手段のひとつとして普通に認知されるようになるでしょう。今から20年後、いやもっと未来かも知れませぬ。今まで認知されなかった事が認知されるような世の中になるのでございます。

 つまり、眉唾とされてきた宇宙人とのチャネリングも一般の方々にも受け入れられ、普通の手段として認知されると言う事ですな。


 今はチャネリングで話される事は、?が多く何を言っているのかピンと来ないところもございましょうが、それは今は橋の接合部分に当たるからだとお考えくだされ。

 今は、橋も多く接合してございます。これはあなた方がどこに行くのか、考えねばならぬとお思いでしょうが、皆様は大船に乗ったつもりで構えてくだされ。


 それよりも、どんな道を行こうともご自分の前にある道をしっかり前を見据えて進めば良いのでございます。結局、ご自分の前にある道を進むしかありませぬからな。

 途方もない可能性――それは可能性として存在しております。そして皆様の上を漂っておりますが、そこに到着する為には一歩一歩進むしかありませぬからな。


 実験者

 力学が違う世界に行きたいのか? それならある。ここと違う力学の世界は存在する。例えば、今君が高い建物の上から下に飛び降りたら間違いなく死ぬだろう。それは、かなり高次の者が低次に干渉したら文字通り死ぬ事になる事を意味する。これが高次の者が低次の者にあまり興味を持たない理由だ。つまり、低次の者の世界が保たれると言う仕組みなのだ。

 低次の者は高次からの手出しは気にせず、どんどん高次に上がれる事だけ考えていればいい。低次の者の発達の機会は失われない。これから人間もどんどん上へ上がっていくだろう。


 高次の者がそのすぐ下の低次の者を使う、捕食すると言うやり方は、次元ごとの縦の繋がりが強化される。つまり、捕食され上に運ばれる事によって下の者は上に行きやすくなるのだ。

 ただのガサツな世界なら、消滅させてしまえばいいだろう。そう、内部から内部崩壊させていく。実は、人類がこの宇宙を消滅へと導くのだ。人類にとって希望と言うのは、まさにそれを表している。ふふふ、面白いだろう?(笑)。


 人類がこのガサツな宇宙を駆逐するのだ。だから、その為にタネも仕掛けも時間も掛けて地球と言う場所で育てている。他の宇宙人がどう辿っても、この星の人類に辿り着けるようにな。

 この地球での実験とは、ガサツで絶望しかない宇宙をどう切り崩し、どこまで変えていけるかと言う壮大なものになるな。だから、上位の存在に頼るようではなく、自分の力で切り開いていく努力をしなければだな、人類は……。

 この宇宙がなくなると人類も消滅の危機があると考えているようだが、そこは心配しなくていい。その頃には、平行宇宙へと移行出来るようになっているはずだ。


 さて……引きこもり、大きなテーマだの。大きすぎるわ。何故なら、引きこもりには引きこもるだけの理由があるからじゃ。理由は千差万別であろう。いじめからの避難の意味もあれば、自分からの逃避の意味もある。親に問題がある場合も少なくなかろうな。ただ、ここで言っておきたいのは、親は悪くない、子供は悪くないと唱えるのは勝手だが、とにかく自分を責めるな、と言う事じゃ。

 責めても始まらん。そう言うものだとして捉えよと言う事じゃ。社会現象とまで言われているのは、その辺も事もある。


 つまり、親子、クラスメートなどの関係がお互いに以前よりも脆くなっておるのよ。叱ると言う事も恐くなっておる。感情が先走り、相手に悪い感情を抱くのは悪い事だ、と無意識に教え込まれすぎているな。そうではない。そうではないのだ。

 悪い感情とは何なのか。何の為の感情か? 相手を威嚇し、萎縮させる為に感情があるのか? やられたらやり返す、と言う報復の連鎖の為か? おぬし等は獣ではないじゃろ?


 いがみ合う為に感情が備わっておるのか? 感情とは、喜びを分かち合う為のものではないのかえ? その為に努力し、悪い感情から良い感情に変わっていくのではないのかえ? そろそろ、何が良くて何が悪いのか、もう一度考え直した方が良さそうじゃ。それらはもう既に色々な場所で言われておるじゃろう。

 その目的は何なのか。良い感情だけで世の中が回っている訳ではない事は百も承知であろう? ならば、その良い、悪いの判断が間違っていると言える。


 ただ、感情は振り回されるとループしてしまい、抜け出せなくなる。学校ではその理論と思考法を教えないからな。仕方ない。自己が確立していない中学、高校などはそのループの温床になり、フラストレーションが溜まり、いじめに繋がる。

 だが、全て己の無知から始まる。探そうにも探せない。自分の中に見つからない。これは見つからないようになっているだけであるが、そのせいで自分とは「何もないんだ」と、感情の空虚感が訴える。だが、訴える相手や場所が間違っておるな。


 訴える相手は確かに存在する、それは身近なところで親なのであろう。だが、親も分からない。教わっていないからだ。そして、親も親で自分を責める。だがの、責めたところで同じ事。

 出す場所も間違っておる。自分自身の心の中で吐き出さないで、表に出せばいいのじゃ。出せないと言うのは感情が育っていない証拠。


 もっと自分を出してもいいのじゃ。死にはせん。違うもので出してもいいが、健全なもの方が後々気分も良かろう。紙に書くのも有効じゃ。心の中の責める感情のエネルギーを奪い取っているエネルギー体があると言えばどうじゃ? それがトカゲ等のエネルギー源だとしたらどうじゃ? きゃつ等にいいように利用されているだけではないのかえ?

 ほっほっほっほ。良いのじゃ。例えばの話じゃからの(笑)。


 トカゲの暴露話も興味があれば調べれば良いが、嫌なら聞かなければいい。それくらいのものじゃ。まぁつまり、親に責任があると言えばあるのだが、それは子同様、何も知らされていない土壌に原因の一端がある、と言う事よ。つまり、責めても始まらんと言う訳じゃ。分かったかの? ほーほっほっほっほ。

 自分で考えてみよ。感情が先走った後には何が残る? 何も残らないのであれば、もっと有意義な生き方が出来ると思うてみよ。まず、自分を信じる事から始めよ。


 だがの、自分を決して正当化するな。どんなものにでも『真』はあり、流れはある。そうなっておる事に理由があり、何かの前身があってそうなっておるのじゃ。つまり、観察眼を鍛えよ、となる。今、どうしてその形になったのか?

 例えば、いじめっ子が居たとするじゃろう。その子は何故いじめるのか。その狭い世界の中で、自分はどう言う存在なのか。親はどうしてこの対応なのか。自分はそれに対してどう思っておるのか。


 さて、その世界に自分は付いていけているのか。付いていけてないのならば、自分はどうしたいのか。自分がその世界から抜け出したいのであれば、どうするのが適切か。

 学校を休むのでもいいだろう。だが、それだけで本当に解決するか? 自身の勉強もせよ。義務教育は受けられる内に受けておいた方がいい。何よりも、自分が嫌になっておるのにも拘らず、そこから逃げて(あえてこの言葉を使うぞ)自らの将来の可能性を潰してしまう事になりはしないか、自分で考えよ。


 おぬし達はまだ若いから気が付かない。若い時の苦労は買ってでもしろと言う言葉がある。無理はしなくてもいいが、考えよ。今の道が将来にとっていいのか、そうでないのか。おぬし達が考えなければ、誰が考えると言うのじゃ? 親が考えるのには限界がある。自殺よりはマシかも知れんがの……。

 生きながら死んでいるのとどちらがいいか。死ねと言っているのではない事は覚えておけ。だが、そこまで突き詰めて考えてみろ、と言う事よ。


 誰が悪いと言っている内は駄目じゃ。自分の足で立つ練習をせよ。自分に向いているのは何か、考えてみるのじゃな。そうじゃのぅ、機能不全かと思うのはどうじゃ? 社会の歪みがそこに現れている。

 だが、当の1人ひとりは何故こうなっておるのか分からぬだろう。だから、このようなものだと捉えて、自分はどうしたいのか、その為にどんな方法があるか、自分が今出来る精一杯で良い、が、考えろ。ほーっほっほっほっほ。


 良いのじゃ、良いのじゃ。わらわの言う事が本当とは思うな。自分に響くだけの分を信じれば良い。おぬし等が何を止めたいのか、はっきりしている事が肝心じゃな。

 何の不快感があるのか、何がそう感じさせておるのか、はっきりさせろ。まず自分の自我、心、魂に聞くのじゃ。それがはっきりせぬ内は、連鎖は止まらぬ。親のせいだと申すのなら、何が親のせいなのか? それをはっきりさせろ。そして、もしそれが親のせいだと断定するのならば、親元から一回離れる事を強く勧める。


 自然に変わると言う事は、そうそう気付かぬと言う事よ。どうもこうもない。ただ、スムーズに変わるのじゃ。別に頑張らなくてもいいのよ。ただ、そういうものだ、として捉えよと言う事。

 もっともっとおぬし自身を磨きたいと思うのなら、おぬし自身の価値観を高めるしかない。


 愛だの光だのと言っても、自分の実感が沸かない内はただの小手先となり、すぐに消える。ただの一滴の水を宇宙規模から眺めるか? その視点の違いにある。宇宙規模から眺めれば、とても正しく、いい事かもしれぬぞ?

 宇宙と同期出来れば太陽フォトンでアップデートも加速される。例えその一滴の水からすれば大変な災難でもな。


 宇宙は人間の事情などお構いなしに回っている。人間から見てこの宇宙は何もかも揃っていて、素晴らしく居心地のいい場所ではないだろう。地球の上に住んでいる事から言ってもそうじゃ。申し分のない環境に住みたければ、自分たちで作るしかないだろうの。至難の技じゃが(笑)。


 おぬしの周りには転生組の精鋭が集まって居ると思え。この様な情報に興味を示す者は一厘も居ないであろうな。大半の者は依存心が遺伝子にまで焼き付いてしまった信者、感情を煽られて己の頭で冷静な判断が出来なくなってしまった烏合の衆である。

 お前は宗教でもしていろ。そのように烙印を押され、放置されるのがオチじゃわ。だがしかし、おぬしの流す劇薬、得られるものは得難いものが多いはずじゃ。

 おぬしにはおぬしの役割があり、他の者には他の役割がある。それは誰1人として例外はない。それを忘れている者が多過ぎるのだ。だからこうして色々な手段でそれらを煽り、もっと強くイマジネーションを起こそうとしておる。


 日本は動くぞ……。おぬしが分からぬ内にな。気が付いたらいつの間にか動いていたと感じるだろう。その勢いは止まらぬ。止まる事値わず。おぬしも花を持っていよう。もっと自分の花を大事にするのじゃ。自分自身を大事にせよ。好き勝手やるのとは違う。だが、それを大事にせずにわざと自分の手でくしゃくしゃに潰すのはやめよ。

 おぬしの花じゃ。おぬし等が自分で大事にしなくてどうするのじゃ?


 自分で自分の花の咲く場所を見極めよ。おぬし等の花は、暖かい場所が好みか? それともよく咲くのは暖かくない、冷たく暗い場所かも知れぬ。いつまでも誰かが自分を救ってくれるなぞと思うな。

 自分を自分で律せよ。それが出来なければ、この先は生きるのが難しくなるぞ? ほっほっほ、おぬしには見えなんだか。自分の周りを観察せよ。今までと違った変化が見られるはずじゃ。


 おぬしに伝える人はいなかったか? 自分だけでないと言う変化は、実はもう万人が感じ取っている変化よ。言葉にしないだけじゃ。そして言葉にならないまま変化していくだろうの。

 ないものねだり。それが悪いものでもないのぞ。否定しても肯定しても変わらぬ、そう言う性質と考えてみてはどうじゃ? つまり、それがあるから人間は次のやる事が見出されるのぅ。


 螺旋階段みたいなものでの、ひとつ上に上がるとその上が、さらにそこを上がるともうひとつ上が、と見えてくる。つまり、ずっと満たされぬ。これがあるから希望を見出せるのではないか? これが希望と言う事かもしれんのぅ。

 ほほ、希望しても絶望しても同じ事よ。それは幸福か不幸と感じるか、好きな方を選べば良い。そういう自由がある宇宙じゃからの。だが、幸福と感じても不幸と感じても同じだけのエネルギーを使うなら、どうして幸福と言わない? が、わしらの理屈じゃな。


 一番悪いのは、どうせ不幸だと嘆いて何もしないであきらめてしまう事よ。あきらめてしまっては、何も変わらぬ。ほほほ、生きている内は、何も分からないと思え。ひとつの方向、いや、もうひとつの方向など探索してみるのじゃな。それは楽しい事じゃろう。そう、ゲームと思えば良い。

 それを全部忘れて来ているのだから、あの世で答えが分かるゲームだと思えば良い。


 これから時間と空間の法則が理解されるようになると、主観でものが進む時代になるぞ。主観でものが進む時代――今までも主観でものが進んではいたが、主観は直感から常識、固定概念まですべて含むな。

 だが、段々「皆がこうだからこう」と言うのは通用しなくなってくる。現状に即して「役に立つからこう」と言う風に、役に立つかどうかで計られるようになる。固定概念ではこれからやっていけなくなる故な。光のベクトルのようにどこの視点に役に立つかと言うだけの違いじゃな。


 固定概念は、重く、自分で作り出したものではないだろう? 押し付けられたものじゃ。固定概念でばかり生きていると、『自分』は出さなくても生きていられるようになるの。固定概念だけで削り取られた残骸としてな……。

 これから先の新しい地球においては、固定概念だけで生まれておる者は益々その世界から出られなくなる。生きている自分が現実を作る故の。益々自分の見ている視点で現実が作られていく。この傾向は止める事が出来ぬと申しておく。


 さて、先程の新しい地球の話だが、地球は新しく生まれ変わると言ってもいい。遺伝子博物館の始まりじゃ! 地球の周りにはワームホール――時空の穴じゃな。これが多数あるが、ここから他の時空の存在たちが続々とやって来る。ひしめき合っていると言ってもいい。

 その客たちは、おぬし等の一挙一動を固唾を呑んで見守っているぞ。おぬし等の思念、想念は全て筒抜けと言ってもいい。そして、それが現実を作っていくのじゃ。


 客達は人間を一番羨ましがっておるぞ。観察も兼ねているが、皆、その舞台側に登って体験してみたい! と願っている。おぬし等が今地球と言う場所に居る事は、本当に特別な事よ。これが叶わぬ者は山程おる。選別された極々限られた者しか転生出来ぬ。特に今の日本の少子化の原因は、一定のレベルを満たした者でなければ神界の転生許可が降りないと言う現状もあろう。そして、おぬし等はこれを体験しにやって来た。

 中には嫌々やって来た者も居るには居る。だが、自分と言う存在の中でこの地球での経験がプラスになるからやって来たのじゃ。


 今ここに、日本に生まれて来ただけで素晴らしい事なのじゃ。希望しても絶望していてもいい。ただ、真っ白い紙に新たに書くような気持ちでいて欲しい。だから、固定概念ももう一度考えてみる事じゃ。『自分』と表現しているか……な。

 固定概念は押し付けられた事が多い。それではなく、自分で生かすに値するかで考えるのじゃ。いい事も起こるのぞ。自分を再定義してみろ。自分とは何か? とな。


 もちろん、生きているおぬし等人間には分かるまい。だがの、100年経ってみろ、今と全く違う事に気付くはずじゃ。そう言った意味で、新たな人類と言えるかもしれんな。

 だが、生きているおぬし等が劇的に変わると言う事ではない。いつの間にか変わっていた――そう言う風になる。


 自分とは何か……。既にある程度自分で答えを見つけ、それを自分で理解し、ネガ側の想念放送の思考がやって来ても、『自分』の存在が邪魔をせず、するんと脇から通り過ごせる者を言う。すると、答えは曲がらず、曲がっても予定範囲内になるな。

 こちらの受けがいいとは、それをこちらの予測範囲内で収められる者の事を言うな。何故自分に問わない――自分に問う事から始めよ――。


 自分がどうしてトカゲの暴露話や、それと敵対する神界の精神世界に興味があるのか? これは大事な問いだから、自分でしかと答えよ。その方向如何によっては、その先の領域に行くのはまかりならん事があるからな。あるのはただの闇――闇はどこまでいっても闇よ――。

 自分で問うてみよ。そのまま行くだけでは壁にぶつかるだろうな。壁とは乗り越えるべき壁じゃ。乗り越えられるものだから心配はしないように。既に下地は出来ておる。おぬしはその用意をちゃくちゃくと終わらせていると思え。


 壁とはのぅ……いずれ分かるが、資質が問われる。それと同時に、自分の周りも忙しく、慌ただしくなるじゃろう。その中で、自分がどれだけ『自分』を保てるか?

 我ではないぞ? 我ではないが、その我をも超越した個じゃ。自分と言う存在を常に再確認する必要に迫られる。自分の定義が変わってくるからじゃ。未来に行けばいくほど、自分とは何なのか分からなくなってくるかも知れぬのぅ。それでいい。その時の存在意義を確認して進めば良い。その時より変わるからのぅ。


 さて、この赤子の手をどう引くか? そればかりが悩みの種での。しかも、赤子は自分の可能性にまったく気付いておらん。さて、それを知らせても赤子はでは我が一番と叫ぶだけだろう。叫んでも赤子は赤子のままじゃ。肉体がそのままでは意味がない。

 肉体はこのままでは破滅を意味する。破滅とは精神の死じゃ。精神はこのままでは生き続ける事は適わぬ。肉体がこれから変わる――それは前々から知らせている通りじゃ。


 われらはずっと精神から変えようと藻掻いておったわ。しかし、8500年以上経過したが変わらぬ。太陽フォトンの話もあるだろうがの、こたびの計画――肉体から変わるのじゃ。そして、アップデートされた新機能満載の人類、『超人類』が誕生すると思えよ。

 こたびの旅、計画はな、おぬしも関連していると知れ。おぬしも無関係ではないのだぞ。それを肝に銘じろ。が、自分が、自分だけが特別だとは思うなかれ。


 だが、おぬしも、こうして自分の内なる声の先が知りたいと願う者なら、その願いは叶えられるだろう。ただ、こうして自我に、内なる自己に、そしてわしらにでもいい、問い続けろ。問い続ける事だけが、そこに至る道――肝に銘じろよ。まずはな、繰り返し繰り返し、数をこなすのじゃ。手を変え品を変え、角度を変えて同じ質問を繰り返すのじゃな。すると、同じ問いでも新しい角度から見る事が出来るようになる。

 新しいものの角度とは、多次元的な見方じゃな。見方が変わると、その問題そのものの見方が変わる。


 それから、認識は大事なのだぞ。認識で変わるといっても過言ではない。自分を引っ繰り返す様な、世界を引っ繰り返す様な認識をしてみろ。常識と固定概念から脱却出来るかが鍵である。

 白で世界を見るのではない、黒から世界を見てみろ。だまし絵と同じじゃ。黒から見た世界と白から見た世界、違う絵か? そうではない、同じものじゃ。だが、見えるものは違う。所詮、善悪分離なぞ虚偽に過ぎぬ。このトリックを見抜き、善悪という罠から解脱するのじゃ。と言う事を言っておる。


 多次元的なものの見方をすると言う事は、アンテナを拡げるのと同じよ。多次元の見方をすると言う事は、日本人に元々ある眉間から伸びる二本の触覚、アンテナを使う事になる。そのアンテナは今は目隠しをされているがな。もうすぐ、その覆いが取れる日が来るだろうがな。

 来るぞ……そう、もうすぐじゃ。来た時は最初何が何だか分からないだろうな。今まで見えないものが見えるようになるのだから。だが、慣れる。


 多次元とは、今の次元よりも多い状態の事を言う。二次元と三次元は見えるものが違うであろう? 二次元では長方形だと思っていたものが、三次元では実は円柱だったりする。そのような違いが多次元的なものの見方じゃ。それが出来るようになるのには認識が必要じゃ。

 不可視で多次元のアンテナは1~3m、人間によって確かに太さも受信感度も違う。センス、才能もあろうの。だが、より安定しようとするなら、自分自身でそれを書き換えてしまえばいいのよ、遺伝子を動かしてな。自分自身の定義を改めればいいのよ、元々人間にはそれが出来る。


 だが、後は耐性の問題がある。そのパイプは何で出来ているか? チャネラーは水門、水路と言ったな。水門、水路は、何で出来ているか? いくら太くても、腸のようにふにゃふにゃでは、あまり流れが悪い。腸は絨毛があり、栄養分を吸収出来るが、水門のような役割とは違うの。鋼のように強くあれば、多い量のエネルギーでも流せる。水門が広い事と同じじゃ。

 例えば劇薬、強い酸を流す事が必要と言う場合もある。だが、丈夫な素材でなければ耐えられないだろう。それが暴走しない強靭な精神力を獲得した者、悪に対する耐性実験をクリアした者、と言う事になる。


 意識があれば、自分のいいところを見せたいと躍起になるものよ。だが、それではいかん。こちらから見て受けがいい筆と言うのはな、こちらの描きたい物を察知・受諾し、それを素直に表現出来る者を言う。そして、周りに伝える者は筆同士にこの絵描きはこう言う絵が描きたいのだと知らせる者じゃ。筆同士はそうして素直になっていくのじゃ。すると、全体的に良い画が描ける様になる。

 すると、筆は絵の為に作られたものじゃろう? 良い画が描けるようになれば、筆達も浮かばれるとなる。意味がある事になる。


 チャネラーは普段は分からない描き手の意思を、筆が聞き取る事にある。普通の筆とは次元が違うから描き手の意思は分からんな。それを伝えるのよ。遊びだと思えば良いだろう? 絵を描くのも楽しい事ぞ。意味がないのは、意識があった時にはただそこに在ったから。存在する意味なんて分からないのじゃよ。

 それは全てそうじゃ。だが、遊びとしてなら、絵を描くのも有意義ではないか。さすれば筆も有意義となる。そうではないか?


 ほほほ。自分の為にチャネリングをする、とてもいい事じゃ。自分自身の強化に使えばいいのよ。自分を自分たらしめる事が出来ればそれでいい。主観が入るのは仕方ない事じゃのう。

 この間も言ったであろう。良いのじゃ。つまり、正解はないのじゃ。だが、人の心を打つようになってきたら、それは精妙さが増したと考えても良いかもしれぬ。人の反応で己を計れよ。それくらいで良い。


 計画者

 エネルギー耐性で言えば、大事な事は自分の中に絶縁体があるかどうかだな。自分がパイプとしてだけでなく、自分は自分の部分があり、そこにはエネルギーが行かない仕組みになっていないとその者自身が制御不能になると言うか、エネルギーがあます事なくその者に伝えられ、焼き切れてしまう事になる。

 だが、絶縁体があれば別だ。絶縁体とは、自分が『こう』だとはっきり知っている者の認識の事を言う。自分をしっかり持っていない、そして自分をしっかり分かっていない者は、その境界が曖昧だ。


 だから、自分をしっかり持ち、それを自分で認識せよ。そこは自分の領域として守るのだな。自分を認識しているか、どうかもある。だが、その事を自分で認識といっても、存在そのものが『分かって』いないと駄目な場合があるな。自分と言うだけではなく、存在そのものの認識だ。

 つまり、認識・不認識の問題ではない。そして元々絶縁体がある、なしでもない。


 コノハナサクヤ姫

 人間は、そうあまり変わろうとしない。窮地に立たねば変わらぬ程にな。ここまで変わったのだから、ここまでやればいいだろう、そう思っておる。これ以上何も差し出したくない、そう考える。

 しかしな、それ自体もその考え自体も考え直さねばならなくなるぞ。どうしてそう考えるのか? 何を元に考えているのか? 根拠は何なのか……。どうして自分が今、そう考えているのか? その考えは何なのだ? 何が自分をそう考えさせている? 生きているとは何か? どんな方向が自分を活かす? その方向で良いのか? ……そのような事すらも考えねばならなくなるぞ。


 考え方、その考えの組み立て方、何故そう言う風に考えるのか――生きると言う事、それらをもう一度基から考えねばならぬと思え。これから新しい精神に変わっていくと、在り方も変わっていくだろう。

 どのように変わるか? 自分が、感覚で『いい』と思うものだ。これからは、あまり言葉で何でも表そうとするな。これからは感覚で、それを感じたままで、言葉にしなくてもいい。言葉にすると変わってしまう事もあるのでな。


 チャネリングは言葉にする行為じゃ。だが、これからは感覚で生きる時代じゃ。感覚とは、寸分の狂いもないはずの床の平衡感覚に『何かおかしい』と思う事じゃ。それが傾いている事を表す。だから、そこは敏感に保て。

 その感覚じゃ。おかしいと思い続けろ。慣れてもいい。慣れてくる事はあるじゃろう。だが『それが普通だ』とは思うな。そう、こんなものだ、これが普通だ、とは決して思ってくれるな。感覚がおかしいと思うものは、おかしいと思い続けろ。そう思わなければ、感覚から変わっていかぬ。


 おぬしは、チャネリングでわしらの言う事を100%同じように変換は出来ぬであろう。それで良いのじゃ。ただ、流せばいい。もちろん内容が狂わないように。

 平衡感覚で内容が傾かないように、自身の感覚のチェックは必要じゃ。だがそれだけで、あとは自身に聞こえたもの、インスピで受信したものは感じたまま流せばいいのよ。ともかく流せ。流した後、書き取った物を見て違和感があったり、おかしいものを取り除けば良い。それこそ感覚を使って、『これは怪しい』と思ったものを、外していけばそう間違いは起こさぬよ。


 それでもおぬしは100%わしらの声を変換は出来ぬであろう。だが、それこそがいい。わしらの声が100%そのまま変換されるのであれば、おぬしは不要……(笑)。むしろ、おぬしと言うフィルターを通す事により、おぬし色になったメッセージがこの世に出ていく。おぬしの経験の上澄みが、出汁のように薄くそこに乗り、出ていくのじゃ。そうして世の中が回っていくのだ。そうして出来たものは、『おぬしのメッセージ』として出ていく。

 だから、看板はあくまでもおぬしじゃ。ここで、それを『コノハナサクヤ姫』だと出してしまうと語弊が生じる。それは100%のわしではないからじゃ。チャネリングは、決められていない言葉と言う事よ。


 おぬしの頭脳で変換されたものが言葉になったに過ぎぬそれだから、余計におぬし色が付くという事よ。だが、それでいい。看板がおぬしであれば、それでいい。おぬしも、これからチャネリングするなら、こうして口を開けてじっと待つなら、精神を平衡に保ち、それを望むなら、言葉は降ってくるだろう。

 しっかりそれを生かせよ。感覚はまたとない武器じゃ。やってみるがいい。



 以上です。チャネリングについてとか、引きこもりについてだとかが詳しく語られていましたね。他にも語ってはおりますけど、読むのがしんどいです(汗)。文章量が多いので無知に読まなくても構いません。どうか一行でも知的好奇心が満たされたなら何よりです。

 それでは、また次回会いましょう。またね~。

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