神人靈媒日記より 〜日本の歴史について〜

 今回は、神人靈媒日記から日本の歴史について語ったものを紹介します。ぶっちゃけて言うと、天皇について語っているのですね。この手の研究は歴史学者やら考古学者やらの専門分野で、ある程度の事は明らかになっていると思います。

 流石に記紀神話そのものを額面通りに捉える人はいないと思いますけど、霊能力的な視点でこれらの事に触れるのはタブーに近いものなのではないでしょうか。


 と言う訳で、神話的な見えない世界ではなく、飽くまでも現実的視点から見たリアルな天皇像について、神人さんの見たものがどうだったかをお読みくださいませ。



 〜日本の歴史について〜


 天皇の歴史は、神武天皇を初代として現在の126代天皇に至りますが、神武天皇以前の歴史に関しては古事記や日本書紀では神世七代と呼ばれ、神々の時代とされております。

 そして、神々は高天原より天下り、国生みをなされたと言う風に記紀では言われておりますが、果たして記載されている話はどのように解釈すれば良いのでしょうか?


 私は解釈の仕方は大きく3つに分けられると考えています。


 1.事実である

 2.比喩である

 3.虚言である


 答えはこのいずれかとなります。内容を読めば明らかに事実ではない事は分かります。と言う事は、比喩であるか? 虚言であるか? のいずれかと言う事になるのですが、虚言であるならばただの作り話と言う事になります。


 では、比喩であるならそれは一体何を意味するのか? 何故歴史書を比喩表現で伝える必要性があったのか? 神とは? 高天原とは? 天皇家の出所とは? と言う事が非常に疑問視されてくるのです。

 世間に伝え広めるためならば、誰もが分かるような記録文で良かったはずです。ですが、そうなってはいません。これは編纂にあたった人がどのような意図を持っていたのか? と言う事を考察しなければなりません。


 比喩を解くにあたりまず考えて頂きたい事は、感想文と言うものは見解の仕方が個々自由であり、万人が同じものにはなりません。解釈の仕方において、意味をこじ付けて説く事は幾らでも可能となりますので、いずれも正しい答えにはならないのです。よって、比喩表現にする事で真相を正しく伝え広める事が出来なくなります。

 逆に、真相を有耶無耶にしたい、読者の想像力に委ねたい場合には比喩表現は有効であると考えられます。


 私はシャーマンとして、独自に日本の古代史を靈視靈聴によって調べてきました。これは歴史上の人物達との靈媒対話によるものなのですが、過去において確信的な情報を得ようとすると、必ず邪魔が入り阻まれ、長年監視されてもきました。それは真相を明らかにされたくない大きな靈団勢力が存在していると言う事であり、何らかの秘密を頑なに守ろうとしている事が明確に感じられたのです。

 特に、封印されている古代日本の歴史の真相に対して真摯に向き合おうとすると、必ず強い霊障が起き続け、いわば掛けられている呪いに苦しめられてきました。


 そして、時は流れて近年私も靈媒として進化いたした事もあって、改めて日本の古代を靈視靈聴させて頂きました。そこでようやく分かった事は、神武天皇以前の話は作り話であると言う事です。当然ながら、それ以前もまた神の世ではなく人の世であり、神武天皇の祖先達もみんな人間なのです。

 但し、超古代に遡って地球人の歴史と言う事になると、それは他星人(=神々、創造主)に繋がってくるのですが、それはまた別のお話となります。


 現在、初代天皇とされている神武天皇(神倭伊波礼毘古命)が即位したのは今から2千年以上前の紀元前660年であるとされていますが、これも歴史的には定かではありません。

 そのように言われていると言う事にすぎず、おそらく後世において擦り合わせがなされて年代設定されたものではないか?! と見受けられます。


 かつて、古代日本は『縄文』と呼ばれる時代が1万数千年間営まれており、稲作、土器や漆器、言語や宗教など、優れた文明が既に存在しており、自然と融合しながら平和的な時代を維持しておりました。

 各地の先住民達によって各々の社会が営まれており、多くの小さな集団が存在しながらも、平和的な横の繋がりが保たれていたのです。


 そこへ、後の神武天皇(若くはその祖先より)率いる軍が西から東へと制圧してきました。大陸から九州へ入り込み、四国、山陰山陽、近畿へと侵攻してきた、いわば天皇とは大陸を追われ入植してきた渡来人達なのです。


 やがて弥生時代の頃になると、古代日本は近畿を中心に中央集権国家を目指して大きく西国と東国とに別れる事となりました。そして西国を官軍とし、東国(先住民族)を賊軍としながら西から東へと天皇を中心とする軍によって制圧されてゆきました。

 縄文の聖地であった東北は、蝦夷と言う悪しき者達の棲む地と揶揄されながら、神武東征と言う名の侵略行為がなされていった――と言うのが日本の史実なのです。


 記紀とは官軍目線で描かれたものであり、あえて史観を有耶無耶に致し、歴史的な正当性を民衆に擦り込むために編纂された書とも言えます。


 侵略行為と言うものは世界中で行われてきた歴史があります。特に、白人主義による世界各国の植民地化(有色人奴隷化政策)は非常に有名です。そのように、人類史とは悪魔(支配欲に取り憑かれた残酷な者達)が支配してきた歴史なのです。

 現代もなお人種差別と言うものはなくなる事はなく、形を変えながらも支配は続けられております。


 ですから、悪魔の支配を終わらせる事が一番の課題なのです。そのためには1人でも多くの人が真実を理解し、真実を説き、真実に生きる事が求められてきます。


 目覚めよ! 日本人!

 目覚めよ! 地球人!


 みなみなうれしうれしたのしたのし

 かわるかわるありがたいありがたい

 むーうーるーうーおー


 2020年6月20日 神人 拝



 私は神社の歴史を調べて古代日本史を明らかにしていった本を読んでおりますが、この日記の内容と大体同じような内容でした。なので、古代の天皇が渡来人だと言うのは少し詳しい人なら常識として認識している事と思います。まぁそれらは文献やら出土品やらからの推測から導き出されたものですけど。

 古代靈からの証言から同じ結果に辿り着いたと言うのなら、資料と証言が一致したと言う事になりますね。


 古代の権力者がその正当性を主張するために神の名を語るのは、古今東西ありふれた民衆への洗脳法のひとつですし、古代天皇がその方法を使ったとしても当然と言えます。特に日本人は何でも神様認定しますからねぇ。この頃からそうだったのかも。


 古史古伝の記述が正しいならば、古代天皇は土着の信仰を取り込んでそれに成り代わっていったのかも知れません。つまり、天皇という存在自体は昔から語り継がれていて、古代天皇は我こそがその天皇だと名乗ったとか。ま、これは私の想像ですけどね。

 天皇と言う全く新しい概念を外国から日本に持ち込んだなら、古史古伝がその概念を採用しているのには違和感を感じますし。


 記紀についてですが、皇室の権威付けだけが目的なら日本書紀だけで良かった訳で、古事記もあると言うところにまた意味があった気がするんですよね。古事記に関する本も多く、古事記愛好家の人も多いので、これはまたいつか別件で語る時があれば、と言う感じです。

 ただ、皇室と言うシステムは日本に必要だったと思いますし、よく機能していると思います。今の日本が日本足り得たのは皇室のおかげでもあると思いますから。


 皇室関係の話題は陰謀論系でも色々言われていて、その立場によって様々な説が乱立している状態です。日本に残された希望と見る人から、今の天皇は偽天皇だから本物が即位しなくちゃあかんと言う人まで。

 どの説が正しいかとかは私には分かりません。そのあたりの話は、また機会があればと言う事で。

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