神人靈媒日記より 〜真実に生きる時代〜

 最近は神人靈媒日記ばかりを取り上げてしまい、バランスが悪いかなーなんて思ったりもしております。もっと革新的なネタが見つかればそっちを取り上げるのですけど、それまではちょっと内容が偏ってしまうかも知れません。ごめんなさい。

 まぁこのエッセイは私の趣味でしかありませんし、生暖かい目で見てくださればと思います。


 今回取り上げるテーマの『真実に生きる時代』ですが、まやかしのご利益信仰についての言及がメインとなりますね。宗教ビジネスにはいい加減目覚めましょうと言うものです。

 ただ、個人的にはこの考えに共感しているのですけど、誰かが困って神頼みをしているのを見て無駄だからやめなさいとは言えないんですよね。そこはまぁ、気遣いですよねぇ……。人情として仕方のない部分ではあります。


 とは言え、高額なお布施とかの悪質なものにハマっていると分かった時は、勇気を出して止めねばとは思います。それは詐欺と一緒ですから、ええ。

 詐欺と言えば、普通の宗教ビジネスも詐欺の一種であるとも言えなくもないのですが……(汗)。



 〜真実に生きる時代〜


 神々は、あなたの心の内にも心の外にも顕れます。各次元に応じた捉え方、顕れ方となります。過去の時代においては、願い事を叶える存在が神仏として教えられ、人々は思い込まされてきました。

 御利益信仰はどの時代においても人気を得て来ましたが、願い事を叶えてくれる存在は神仏ではなく、靈団や靈人であり、あなたと縁の深い靈存在が関与する事によってもたらされてきたものです。


 あなたの喜びを共に喜ぶ存在はあなたと縁深き靈存在であり、あなたに対して何かしてあげたいと思う優しい存在達なのです。ですから、お願い事をするのであるならば、「わたしと縁深き靈存在方、お力添えください。ありがとうございます」と申せば良いのです。神様とは、本来はあなたを生かしてくださっている自然森羅万象の総称を申すのであって、生を頂いている感謝の念を手向ける対象なのです。

 ですから、賽銭箱にお金を入れて身近な願い事を叶えてくださる存在の事ではないのです。


 御利益信仰とは過去の人々が作り出した想像神仏であり、世情に応じて説かれてきた方便に過ぎません。たとえ人によって作られた神仏であったとしても、時代や場所によっては心の拠り所として救われた人々もたくさんいた事でしょう。

 しかし、仏とは唯一事実としてお釈迦さまの事であり、亡くなった修行僧の事でも、後世の人々によって次々に作り出された存在達(如来/菩薩/明王/天部)でもないのです。


 人々が作り出した存在は、あくまで信者達が共有し合う虚像の世界の産物に過ぎず、初めから御利益は何もないのです。御利益があると人々は思い込まされ続けて来たに過ぎません。


 亡くなった人達はみんな肉体のない靈存在達であり、生きている私達はみんな肉体のある靈存在であると言う事を理解する必要があります。

 人は死んで偉くなると言う事も、あの世で救われると言う事もまた、初めからないのです。


 古代インドの時代から尾ひれが次々と付け加えられながら、嘘偽りの思想が世界中に広がってゆきました。人はみんな肉体だけが時代に応じて生まれ変わりながら変化してゆくのですが、生まれ変わる事を全て苦として見る事ではありません。経験し学び喜びを得る事として、生を捉える事が正しいのです。


 救いとなるのであれば、人は何を思い込み生きても良いのかも知れません。しかし、これからの時代の人々は真実を学び、真実を語り、真実に生きて、真の喜びを得るべきなのです。


 方便の世は既に終わりました。靈界では、人によって作られた仏魔の世は崩壊しているのです。嘘偽りの世は、必ず崩壊し消えてゆく定めでもあります。今の世の中は、悪魔のしもべであった人達の派閥抗争による共倒れ劇を観させられています。

 言わば、悪魔のピラミッド組織の崩壊が顕在化してきているのです。悪魔の洗脳が解けた人から順に目醒め、本来の人としての御役目に戻られてゆきます。


 地球の時代を俯瞰すれば、みんな被害者であり、生まれ変わる度に共に苦しんできた仲間に過ぎないのです。ですから、お互いに洗脳を解き合いながら歩む事、植え付けられていた闘争心を手放し、寛容深い慈愛を育む事が求められています。

 今、必要な事は負の念を手放す事であり、過去を許す事です。そして、お互いに助け合いながら生きてゆく決意をする事なのです。


 2020年6月2日 神人 拝



 と言った感じです。ここに転載するに当たって読みやすいように多少文章を変えていたりするので、原文を知りたい方は神人さんのフェイスブックか、靈媒日記を転載しているブログとかを見てくださいね。『神人靈媒日記』で検索するとすぐに見つかります。


 時代に応じて尾ひれがつくのは宗教に限りません。が、どんどん本質から遠ざかるのは良くないですよね。霊的な真相追求によって研ぎ澄まされていくのならまだいいのですけど、時代に応じたお守りが増えていったりとかはただのキャラクタービジネスです。意味はないですよと言うならまだ誠実ですけど普通、言いませんよね。


 今回の日記の内容をどうとらえるかは皆さんにお任せします。そう言う説もあるんだなと思ってくだされば幸いです。

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