神社の真実

 さて、皆さんは神社についてどれほどの知識を有しているでしょうか。純粋に神様の降臨する場所だと信じている人も少なくないのでしょうか。

 実は神社が神社と呼ばれるようになったのは、つい最近の事なのだそうです。そう、それは明治時代。天皇や神社と言う言葉は明治新政府が作った造語なのです。

 それまでは、天皇はスメラやミカド、神社はヤシロやモリとも呼ばれていました。


 山の神様が山にある奥宮から春頃に神輿に乗って里に降りてこられるだとか、里にある神社の中で田の神様と名を換えられるだとか……。

 日の神様 雨の神様 風の神様に取り継ぎなさり、五穀豊穣の御利益を人々に与え、そうして冬頃にはまた神輿に乗って山の奥宮に帰られ再び山の神様となられるだとか、そう言う風な話が全国各地の祭事として現在もありますが、全ては古人の作り話なのだそうです。


 神社に神はおられません。伊勢神宮にさえ、神は居ないのです! 感応するのは、古い時代の神主の霊のみなのだとか。神社仏閣に祀られているのは、その時代の権力者一族の霊存在・それらを中心とした霊団、人によって作られた存在なのです。

 古来より御利益信仰で人々が拝んでいるのは、神ではなく靈、靈団です。中には、古の誰かが作った想像霊や権力者一族の人霊、ないしは動物霊らを偶像化し信仰対象にしている事も多く見られるようです。


 ◯◯神社は良いエネルギーが流れているだとか、そう言う事を耳にしたりもしますが、その殆どが山や森・樹々・磐が放つ自然エネルギーが豊かな場所と言うだけの事なのだそうです。

 御利益・お蔭信仰で有名な所は、人集めの為に誰かが作り言い広めたものであり、実際に効力のある所は極めて少なく、そのほとんどが個人の強い思い込みであったり、誰かによるマインドコントロールの作用によるものだったりするそうです。


 賽銭箱に賽銭を投げ込んで願い事をすると言うシステムは、御利益をお金で買うといった自動販売機と同じ原理であり、神様(人神=靈人を除く)を自動販売機同様に考えている事自体が愚業である事を理解しなくてはいけません。

 賽銭とは、神社庁と神社の経費(設備/運営/人件費……)に換わるものに過ぎず、値段の高低と御利益とは全く関係ないんです。


 神社敷地内を神域として神聖なる場所と言う事にしていますが、それは人間の所有意識によって生み出された土地分配の結果に過ぎず、本来は神域などありません。何故なら地球そのものが御神体であり、全てが神聖なる場所であるからです。


 神社には神様がいない代わりに、自分が神様だと思い込んでいる人靈と主祭靈に従う眷属靈が居られます(時の権力者靈)。神様、仏様と拝んできた存在の正体の多くには、生まれ変わる事を拒んできた未浄化霊も多いのだとか。なので神社と言うよりは靈社と呼ぶ方が相応しいのだそうです。


 神社の御利益は神社庁や神主が考えたものであり、効果のある所や物はほとんどありません。残念ながら、思い込まされたものや人の思い込みによるものがほとんどなのだそうです。ただの宗教ビジネスなんですね。


 そもそも神社と言うのは権力者(権力者一族)の威厳を後世に残す為に作られた象徴的建造物である場合がほとんどです。祀られている御祭神もまた時代と共に権力者によって入れ替わってきております。


 天照大御神とは太陽神ではありません。太陽神は、社の中ではなく、宇宙の中に居られます。人の姿はしてはおりません。


 カムイ→かみ→神と言う風に、神と言う言葉はネイティヴ語のカムイから神に変化したものです。今の神社で多く行われている人神信仰は大陸から渡ってきたようです。

 それまでの古来先人らは自然神を敬い、平和的思想の元に靈性の高い世界を築いておりました。(縄文時代16,500年間)


 こうした事を踏まえると、神社等に参拝する時は神と靈を区別した信仰が必要になると言う事が分かります。御利益を求め、想像霊や権力者霊、動物霊を崇拝する事は、実は“霊のしもべとなる行為”に相当するのです。

 神社仏閣で手を合わせ願いを乞えば、良くも悪くも霊の影響を受ける事になります。

 何故なら、霊の居座る神社で「私を御加護下さい」と闇雲にお願いをする事になるのですから、色々な霊に憑依されると言う事になる訳です。


 無闇に欲望のまま礼拝すると言う事は、拝んだ霊に憑依され、肉体や思考感情も操られる事になるのだそうです。その行為が非常に危険である事を理解した上で、“何を何のために拝むのか?” と言う事をよく見極めてから拝む事が大事なのですね。


 何故に神社仏閣へ行き手を合わせるのでしょうか? あなたは、神社仏閣で何を拝みますか? 何の為に古い時代の権力者の霊である御祭神に対して拝んでおられますか? 何故、人によって造られた偶像を熱心に拝まれますか? 何らかの御利益を期待し拝む行為は、いつ誰によってマインドコントロールされましたか?


 実際のところ、見ず知らずの霊が願いを叶えてくれる事はほとんどないそうです。

 もしあなたの願いを叶えてくれる存在がいるとしたら、それはあなた自身であり、普段からあなたを見守ってくれている指導霊や近親霊達です。

 と言う事は、場所は問わず、己に向かって願えば良いと言う事になります。


 よく分からずに拝んだせいで、悪霊に憑依されて狂ってゆく人もいるそうです。神に成り済まして悪しき事をいたす霊もまた多いようですので、神社等で何かを願う時はどうかお気をつけ下さいませ。


 ※今回は神人さんの「神人霊媒日記」から該当箇所を抜き出して記事にしました。言葉が重複したり言葉足らずだったりしていると思いますが、それは全て私の力不足によるものです。意味が分からなかったり、読み辛かったりしたら申し訳ございません。

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