誰が神を殺したのか
神は死んだっていいますよね。よく聞く言葉です。ニーチェの言葉ですよね。私も原典は知りませんけれど、多くの人もまた詳しくは知らないのではないでしょうか。「神は死んだ」と検索するとネット辞書の項目が一番上にヒットします。ここを読んだ上でこの記事を書き進めたいと思います。にわかな記事なので暇潰し程度に読んでくだされば幸いです。浅い認識だけで書きますので怒っちゃや~ですよ。
さて、神は死んだと言うのは要約するとキリスト教の教義は嘘だから信じなくていいよって事のようです(※個人の感想です)。確かにキリスト教は為政者に都合の良い改変がなされたり、教会の権力を強くするために様々な戒律などを追加したりと純粋なものではなくなり、迷信の占める割合が多くなってきました。
だから宗教革命が起こったりなんかした訳ですよね。私も詳しくは知りませんのでここもテキトーです。他の宗教でも代を重ねるに連れて原典から外れ複雑怪奇化するのは世の常ですよね。
で、哲学者が神を信じないのは、単純に神を考えなくても生きていけるからでしょう。普通に生きていれば、目に見えるものだけを信じていれば事足りますからネ。教会と関わらなくても信仰をしていなくても人は生きていけます。
そもそも、教会などを含む信仰を説く側が宗教をネタに生活をしている、それはまあ仕方がないのですけれど、必要のないものに振り回されるのが哲学者にとって鼻持ちならないと言う事なのではないかなーと。そんな風に思ったりします。
で、哲学から離れた意味で、日本で一般的に神は死んだと言う言葉からイメージされる無神論の人達はどうなのかなと。ここからが本題のような感じなんですけど、日本の場合はアミズムの国ですよね。これは世界の全てが神の表れと言う考えに共感する国民性です。この考えのもとでは神は死にません。
何故ならば世界が神そのものだからです。神が死ぬ時は世界が滅ぶ時です。私達が生きている以上、神は生きているのです。私達が滅んでも神は生き続けます。
神は死んだと言う言葉には神が生きていたと言う意味も含まれています。かつては生きていた。生きていたから死ぬのですよね。
では誰が殺したのか。それは勿論人間です。人間が殺したのです。人間ってすごい。
神を殺すとはどう言う事でしょう。それは宗教の始まりを考えれば容易に想像がつきます。信じなくなる事です。みんなが神を信じなくなれば神は死ぬのです。概念的な意味で。どの宗教も信者を増やすのが一番の目的となりますからね。
教祖がどれだけ偉大で奇跡を起こせて数多くの人を救ったとしても、誰もついてこなければその教祖の代だけで終わります。
えーと。宗教を飯のタネにして集金システムと化した今の状況は確かに信じるのが馬鹿らしいのはよく分かります。おみくじとかお守りとか根拠ありませんもんね。
ただ、そう言うビジネス的な側面以外で、それぞれがそれぞれの価値観のもとで、実感としての神様的なものを心の支えにして欲しいなと私は思うのです。
神様という言葉が苦手なら地球さんとか太陽さんとかお月さんとか、そう言うものでもいいんです。日本の場合だとご先祖様でもいいでしょう。何もないと思うより、そう言う安心出来る存在が見守ってくれていると思うだけで淋しくはなくなると思います。
人が信じようが信じまいが生命を活かす仕組みは動き続けています。神の本質は本来そこにある訳で、だから死んだとか言ってもそれはただの言葉遊びに過ぎないんですけどね、本当は。
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