神社で祀られているのは
神社で祀られているのは神様です。私もそう思っていました。神社の謂れとかにもそう書いていますもんね。間違っても仏様ではないでしょう。当然です、仏様がいらっしゃるのはお寺ですもん。
これを書いちゃうとアレかもですが、ぶっちゃけ言うと神社に神様はいません。
いや、誤解しないでください、神様がいないと言う話ではないのです。『神社』には神様はいらっしゃらないのです。そもそも神社と言うのは神様に願いを届けるところです。そこに神様がいる必要すらありません。祀られているのが鏡と言う事からも分かると思います。
考えても見てください、世界中を隈なく見定めているとされる神様が神社なんて狭い領域でじっとしていると思いますか? その気になればどこにいても神様に願いは届きます。自分の部屋でも、お風呂でも、それこそトイレででも。
では神社の意味ですが、神社が建てられているところは神域には違いありません。清らかな気に満ちている所も多いでしょう。そう言う場所に来ると自然と気持ちも感応して神様に心が向きやすくなります。神社の雰囲気と相まって神聖なる存在と繋がりやすくなると言う効果はあるのではないかと思います。
昔は信仰と権力は繋がっていました。征服者の信じる信仰を住民に広める訳ですね。そう言う意味で神社は昔の権力の象徴としての一面もあります。祀られている神様の名前で過去の事が分かるんですね。神が人を動かし、人が神を動かす相互関係がありますから、これもある種の神仕組みなのかも知れません。そのせいで多くの土着の神様が封印されてしまったのだそうです。
神社やそこで売られているお守り等の御利益は神社庁や神主が考えたものであり、それらの効果はないと言ってもいいでしょう。残念ながら思い込まされたものや人の思い込みによるものが殆んどなのだそうです。ただの宗教ビジネスなんです。
さて、では神社には何もないのかと言う話ですが、パワースポットだとか神社にまつわる色々な伝説とか、何かがないと説明の難しいものもあるので何もないとは言い切れません。
そう、神社にも力のある存在がいらっしゃる場合があります。ただし、人靈です。
神社には神様と思い込んでいる人靈と主祭靈に従う眷属靈が居られるそうです。
そもそも神話とは過去の偉人を神格化した話でもあったりもする訳で、神社に祀られているご祭神も元を辿れば人間である事も多いのです。なので神社と言うより靈社と言った方がいいのだとか。
神社仏閣で手を合わせ願い乞えば、良くも悪くも霊の影響を受ける事になるそうです。何故なら、闇雲に拝み「私を御加護下さい」とお願いをしている訳ですから、その隙を突かれて色々な霊に憑依される事になるのですね。
そうして例えばご利益しか頭にない人にはレベルの低い靈人、動物靈が感応し、時に靈の好き勝手にされる事もあるのだそうです。これが魔が差すとかそう言うアレの原因なのでしょう。
神社は明治政府によって新しく作られたものであり、神社と言う呼び方も新しいものだそうです。昔は神社すらありませんでした。神聖な場所そのものが神様とされていたのです。それがいつの間にか権力の象徴にすり替えられてしまった。
「霊を拝む事=因縁が解消され幸福となる」と言う教えが広がる事によって、いつの間にか権力者の祖霊、権力者一族の霊を拝むように教育され、神社仏閣の数が増えてゆく事にもなったのだとか。
勿論全ての神社がそうではないようで、古い神社の中には大昔の信仰の形がそのまま残っていたりもします。例えば幣立神宮のように独特の文化が残っている場合もありますしね。
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