お経って

 お経ってフィクションでは便利な使われ方をしていますけど、ぶっちゃけ悪霊に唱えても成仏なんてさせられないと思うんですよね。お経そのものに浄化の効能なんてないんじゃないかなと個人的には思っています。悪霊が浄化するのは唱える本人の力次第なのじゃないかと。


 何故お経が悪霊に効果があるようなイメージを持つのかと言えば、それはやっぱりお葬式のせいだと思うんですね。お葬式で死んだ人にお経を唱えて死者を弔うでしょう。だから死んだ人にお経を唱えれば成仏できるのだという風潮になったのだと思うんです私。


 そもそもお経って死者に向けて唱えるものって印象がありますけど、違いますからね。お坊さんが真理に近付くために心得として、戒めとして唱えるものですからね。死んでいる人に向かって唱えたって馬の耳に念仏なんですよ、文字通り。


 死者に向かって唱えるようになったのってあれ、檀家制度の弊害ですから。檀家制度のせいで檀家はみんな仏教徒って事になったんだけど、普通の人はそこまで仏教に熱心じゃないじゃないですか。だからその人が死んだ時にまとめてこの人は仏教に熱心でしたよって形だけ認定する形でお葬式の時にまとめてお経を唱えるようになったんですって。これ、宗教学者の人が言ってました。


 皆さんお葬式とかでお経を読んだ事あります? あれ意味の分からない呪文だと思っている人もいるかも知れませんけど、経典ですからね。大抵は素人でも意味が分かります。響きで分からなくても漢字を読めば大体雰囲気でこんな事を言っているんだろうなって分かります。


 死んでいる人に聞かせるためのものじゃないんです。生きている人に聞いてもらうためのものなんですよ。生きている人が聞いて仏法に則って生きていくんだよと思って貰うためのものです。


 先日私は親類のお葬式に出席したのですが、死者に向かってお経をお坊さんが唱えるじゃないですか。あれがある種の呪文のように聞こえました。

 死者は本来自由に霊界の色んな場所に行けるはずなのに、強引に仏教霊界に引っ張っていくみたいな。まさに引導を渡しているようなイメージを強く感じたんです。私がそう感じただけなので、これはただの個人の感想なんですけどね。


 私ですらそう感じたのですから、悪霊に唱えたら一瞬で成仏しそうだなって多くの人が思うのも無理はないのかも知れません。


 死者を縛るイメージで聞いてしまうと、死者にお経を唱えるのは可哀想な気さえしてきます。生前に本当に熱心な人だったら幸せな事だと思うのですけど、それ以外の人には勝手に道を示されて強引に連れて行かれて、ある意味自由を奪われますからね。死んだからにはもう坊さんだってのが檀家制度ですからある意味怖いですよ、ええ。


 ま、この意見は個人的な感想なんで私がそう思っただけです。こう言う捉え方もあるんだなって思ってくださればそれで結構です。こう言うものだとか断言するつもりはありません。この記事を読んで関係者の方が気を悪くしたらごめんなさい。

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