新しい時代には新しい教えを
いつの時代にも人は宗教と歩んできました。どの時代にもどの国にも宗教は存在していました。自然崇拝のような素朴なものから戒律の厳しい一神教まで、信仰形態は様々です。
時に争い、時に祈り、時に生贄を捧げ、時に自らの命を捧げ、そうして信仰は続いてきています。
この無神論が叫ばれる科学第一主義の時代でさえ、信仰は健在です。人々は偉大なるものに祈りを捧げます。多分これから先もそれは変わらないのだろうと思います。
何故なら人は絶体絶命の時、自分の力ではどうしようもない局面になった時、きっと何かに祈るからです。何かに縋るからです。それはまるで産まれた時から知っている本能のように。
古代から祈りが続いたと言う事は古代から教えがあったと言う事です。敬虔な人程、そんな教えを頑なに守っている事でしょう。その教えが生まれた当時の生活、風土に合わせて生まれた、もはや時代遅れになったその教えを。
改めて言います、古い教えは古いのです、今の時代には合っていません。イスラム教の戒律がいい例でしょう。イスラム教の生まれた時代、豚肉は病気の元でした。その時代に豚肉を食べない事は理に適っていたのです。その他の厳しい戒律もイスラムの立教当時は間違いではありませんでした。
しかし今は環境も変わり、技術も向上したのです。古い教えにしがみつく必要はありません。時代に合わせて変わっていい部分は変わっていくべきなのです。もし今の時代にマホメットが生きていてイスラムの教えを広めていたら、きっとおかしい部分は改めていたはずです。
人々は新しいものを取り敢えず警戒します。宗教の場合は特に新興宗教と呼んで区別して、信者以外は腫れ物にさわるような対応をします。何故だか宗教の場合、古いもの、すでに権威のあるものこそが素晴らしいと言う思い込みがあるのですよね。何でも新しい方がその時代に沿っていると言うものなのに。
確かに新興宗教の中には宗教ビジネスと化した詐欺まがいのものも多かったりします。人々が宗教にあまり深く関わろうとしなかった為に逆に、何が怪しくて何が正当なものかの感覚が分からないのです。上辺だけの美辞麗句にすっかり騙されてしまう。悪用する人が悪いのは当然なのですが、何か事件の起こる度に信仰そのものを否定する流れになってしまうのはとても残念な事だと思います。
騙されない為には触れないのではなく、詳しく知る事です。何がおかしいのか、何が正しいのか、その基準を身につける事です。幸いな事に今の時代、その手の書籍、その手のサイトは探せばいくらでも見つかります。おかしなのもあると思いますが、そうではないのもたくさん見つかるはずです。そこで様々な情報を集め、感覚を掴むのです。
実践している人にコンタクトを取るのもいいでしょう。何も怪しげでも怖くもないんです。勿論、おかしな人に引っかからなければ、ですが。
今に時代に相応しいのは今の教えなんです。ちゃんとそう言う受け皿は用意されています。もしそう言うのを求めるならば、本気で望んで本気で探せば必ず見つかるはずです。今はネットで探せば見つかる時代ですから。ただ、簡単に見つかりやすいからこそ、しっかりと吟味しないといけないところはありますけどね。
私のオススメは勿論あります。とは言っても強くプッシュはしません。どうか自身の判断で選んで欲しいと思います。直感がいいと感じたものを選ぶと言う方法でもいいでしょう。
正直言いますと、今のお金儲け主体の宗教はいずれはなくなっていくものと思っています。信仰はどこかの団体に所属しないと出来ないものではありません。毎日自然に感謝するのも信仰です。
神様はいないのではなく、すぐ側に身近に存在しています。その神様に日々無事に過ごせた事を感謝する生き方をしているなら、それで既に信仰なんです。
そう言う生き方をしてもしなくても生活に特に大きな変化とかはないでしょう。ただの自己満足でもいいんです。趣味で楽しむみたいに信仰に触れてくれればいいなと個人的には思います。私がそうなのですから。
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