5.鹿児島の男
2021年12月25日土曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』B5F。
午前11時。
「す、すまないHarder。今日はこれから用事が入ってるから……」
「そぉなんだ。いってらっしゃいなぁ」
平淡な調子と不変の真顔で手を振る、真っ白い機巧少女。心なしか、バジルとの訓練が始まった時から、素っ気ない態度を取り続けているようにも思える。
無論、その理由も原因もジレンマも、大凡は理解できているバジルが殊更にそのことに触れることはない。
全く気にならないと言えば嘘になるのだが、何せもう三日間もこの調子が続いているため、すでに生半な決意ではどうにもできないと悟っていた。そのためバジルははにかみながら彼女へ、ただ手を振り返すことしかできなかった。
バジルは、右手を振りながら左手で鰹節の一つを直す少女に見送られたのち、なぜか地下6階の住居エリアへ赴いた。
昨日、ヴォルカンを筆頭とした多くの同志たちが、鹿児島県へと出立した。
その目的は、九州地方を中心に分布している『
そのため、ビル内の住居エリアはひどく閑寂な雰囲気に満ち満ちていた。
その中の一室――日和と別の恵光姓を持つ少女の自宅、すりガラスの玄関扉を遠慮がちにノックしたバジルは、
「Harder、居るか?」
「…………」
「失礼。
「……いる、ます」
不思議な返事と共に、すりガラスの向こうに現れた小さな影。先ほど別れたばかりの純白機巧少女によく似たシルエットの、ツインテールの少女と思しきその影は、当然ながらバジルがここへ来た理由について気になっている様子だ。
「……楠森くん、は、どっ、どうして、ここに……?」
「決着をつけにきたんだ。俺はどうしてもHarder……蓮美に信頼して欲しい、認めて欲しいから、俺は以前の流されやすい性分を払拭して、蓮美に思い切り頼って貰えるような逞しい自分になりたいんだよ」
漠然とした理由だが、要約するとバジルはHarderとの和解を望んでいる。実際のところ、二人の間に軋轢が生じた大元は魔剣の性能によるものなのだが、自己犠牲の精神を以て敵と相対するバジルのスタンスを、いまだにHarderは受け入れられていない。
しかし彼女がバジルを完全に信用できないのには、また別の理由があった。
「くすもっ……ジルくんは、なぁんにも、わかってないよ。ボクはジルくんが、たとえ殺人鬼に成り下がってしまったとしても、ずぅーっと信頼できる自信があるのに……」
「俺はもうとっくに殺人鬼だ。新人類の繁栄を願う蓮美の同志で、仲間で。それで蓮美は、俺にとってかけがえのない存在で、剣の師範で、それで――」
『バンッ』
唐突に響くガラスの叫びに、バジルは驚愕の表情で後退する。勢い余ってよろめく彼に追い打ちをかけるように、少女の影は跡形もなく消え失せてしまった。
「――何が足りないんだよ、俺には……!」
両手の力強い握り拳からは、スコップのような爪が突き刺さり噴き出した血液が、まるで涙のように絶え間なく滴り落ちる。
それは、バジルが答えを導き出すための糧となり、一方的に虐殺をするだけの低劣な戦いから退く理由になり、誰かを守る義務となる。
たとえ理解していても、結局はたった一人の少女にすら共感してもらえない。眼前に突き付けられたその事実に小さく身震いし、バジルは悔しさと慙愧の念に身を焼かれた。
そんな彼の心境など露知らず、長方形の板は激しい振動で太股をくすぐる。平常なら敏感に反応してしまうそれさえも気にならない程、少年は己の不甲斐なさに打ちひしがれている。
「……マイやヴォルカンは、どうしてるかな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
2021年12月27日月曜日。鹿児島県某所。
揺れながら段々と沈んでいく夕陽に照らながらも、少し暗黒に包まれた、とある山中の開けた平地。
生気を帯びた赤茶の土へ丹念に植えられた何種類もの野菜と、窪みに造られた小屋にて鳴き声をあげる意気軒昂な動物たちからは、この土地の管理者の愛情や熱意を感じ取ることができる。
尤も、彼らを眺める赤髪の少年はひどく無関心な様子でひとり佇んでいた。
「この場所は、どなたが管理されているのですか?」
「オイのダチなんだが、あいにく無所属の人間でな。ヤッケなこった」
少年の声に応えたのは、200センチ前後の巨躯と頭部で何かが爆発したのではと疑いたくなるようなボサボサの長髪が特徴的な、中年の男性である。
「……しかし、この場所と、派閥連合との同盟締結をお断りになられたことに、一体どういった接点があると仰るのでしょう? 少なくとも、僕にはごく凡庸な農園にしか見えませんし、あまつさえ大戦が実行に移されようとも、あなたがたがこの場所を失うことは、決してありません」
「オイの心配はなぁ、戦闘に特化してない柏木派の人間が、大戦中にソガラシ死んじまうことなんだって! なんについても人には、得手不得手ってのがあるだろ?」
「ですが大戦の完遂には、日本全土の無所属を殲滅する必要があります。そして我々も、たとえ任務を成し遂げるためとはいえ、他の派閥が治める土地へ無断で立ち入るような真似はしたくありません。小さな規律の緩みが、いずれは大きな課題となり得るからです」
互いが個々の主張を押し通そうとするせいで、一向に解決の兆しが見えない。それは双方の主張がまるで盾と矛のごとく、革新的なものと保守的なもので真っ向から食い違っていることが原因であり、また少しでも妥協を許すと相手に付け込まれることを予測し合っているためである。
このままでは埒が明かない、頭髪が爆発した男性は首を捻って必死に思案する。
「だ、だったら、そちらさんの兵器開発に協力するってぇのは?」
「残念ですが、元より創作に特化した恵光派の技術者で、現在は開発からメンテナンスに至るまでうまく回っております。お気持ちはたいへん嬉しいのですが」
「そりゃ残念だぁ……」
男性はうなだれて、再び黙考に耽ってしまう。
彼を一瞥した赤髪の少年は、地べたに生える背の低い雑草を、満足げに貪る養豚をしばらく見つめたのち、唐突に口を開いた。
「
「つ、つまり……?」
「鷹児様は、大戦において柏木派に大量の死者が出ることを、危惧しておられるのですよね。ならば、柏木派の方々に変わって我々、関東派閥連合の人間が無所属の殲滅を行います」
「じゃあ、オイたちはイケンすぃりゃいいんだ?」
「柏木派の方々にはただ、我々が九州地区を出入りすることを認めていただきたいのです。あわよくば内地の整備を行いたいのですが、それはまた事後で構いません」
少年が再度男性に、自分たちと同盟を締結することを勧める。軽く右手を差し出して握手を要求する少年を見つめながら、男性はぽつりと呟いた。
「……実はな、ここの管理をしてた友人ってのは、初代当主の
「そう、なのですか」
男性は遠い目をして嘆息すると、すぐにこちらへ向き直りニカッと満面の笑みを浮かべた。
「自然は大事だ。そんで自然をぶっ壊す旧人類は、敵に違ぇねえ。そんならどんな形であれ、オイたち新人類が正しい生態系を取り戻す……道理じゃねぇの」
「あなたがたは、たとえ地球救済の措置だとしても、無所属を殲滅するということに抵抗がないのですね」
「野生動物が自分のテリトリー護るのに、相手に情けかけたりするんか?」
「さすが、柏木派の現当主の方は肝が据わっていらっしゃいますね」
少年の小さく美しい鈴の音と、中年男性の哄笑が混ざり合う山中はまさしく、異常空間そのものであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
2021年12月28日火曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』1F。
午後14時30分。
「ただいま戻りました……といっても、誰もいないですが」
会議室の中で独りごちるヴォルカン。地下1階のエレベーターフロアで、鹿児島まで彼に同行した同志たちと別れたため、彼以外の人間は誰ひとりとしてこの部屋にはいない。
「――へえ。ヴォルカンでも、気配を見逃すことがあるのか」
「……そう、あなたでしたか。スニーキングは控えていただけますか、ラボンくん?」
背後からヴォルカンに声をかけたのは、黄色がかった茶色い頭髪の少年。
彼は新川学園では
「大戦の準備、進捗はどうなってる?」
「そうですね……柏木派との同盟締結に多少時間がかかりましたが、計画に支障はありませんね。しいて言えば代表が向かわれた京都ですが――おっと、これ以上は言えません」
「いやいや、なんで言えねぇんだよっ」
意味ありげに言葉の先を言い渋るヴォルカンに、ラボンは企み顔で追窮する。
「いえ。単に、しがない学生の僕にはとても口にできない内容、というだけです」
「誤魔化すな……って言っても、どうせ意味ないんだよなぁ」
「――それより、ラボンくんは、甘美で無謀な夢物語からは目覚められましたか?」
ヴォルカンは険しい表情で訊ねる。その言葉が指し示す事柄について自ら深く触れることはせず、ラボンが自分自身で言外の部分を理解するよう促しているようだ。
「ああ、俺はもう大丈夫みたいだ。しかしだな、俺が心配なのは……」
「君の意見は尤もですが、彼には僕から釘を刺しておきました。以前のように、魔剣の虜となって傍若無人な振る舞いをすることも、僕たちの意向に背くことも、彼はしないでしょう」
「なんでそう言い切れるんだ……?」
「僕に聞かずとも、ラボンくんなら容易に理解できるでしょう」
そう言って踵を返したヴォルカンは、会議室から出て行ってしまう。
彼の口から真相を聞くことはあまりにも難しいことで、たとえ何か答えたとしても、それが真実である保証はどこにもない。
それでも、もはや信用など欲することもなく、結果的な勝利を手にするために策を講じるヴォルカンの一言一句は、大体が正しい。
決して納得はしていないのだが、彼がまだ口外しないのなら、自分が知る必要はない。
もはやヴォルカンの才能ともいえる話術によって、ラボンはそう思い込んで、地下6階にある自宅へと足早に戻っていった。
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