4.前前聖夜
2021年12月23日木曜日。神奈川県川崎市、市内某図書館。
午前11時。
優雅で上品な静けさに包まれた本の森の中、木目がたいへん美しいテーブルで一人読書に耽る少年の姿。
陽光に照らされて光沢感を帯びる真っ赤な頭髪、女性のような美しさと男性らしい精悍さの両方を兼ね備えた容貌、折り目正しい着こなしのグレーのスーツ、その全てが彼の個性であり魅力である。
昼前の最も利用者の少ない時間に訪れ、心地のよい静寂に包まれながら、時間の刻みと本の深みを味わう彼に突如、甲高く凛々しい声がかかる。
「なぁに、旧人類の真似事なんかしてるのよ」
「……今日はとても12月とは思えない、涼しげで過ごしやすい気候ですね」
「あたしが世間話をしに来たんじゃないって、わかってるでしょ?」
にこやかに挨拶をしたヴォルカンだったが、相対する少女はひどく憔悴した様子でそれを振り払った。彼女が纏う空気は、凡そ一般人のものとは思えない、執念や殺意がないまぜになった、たいへん複雑で色濃いものである。
少女の風貌に一瞬身震いしたヴォルカンは、ひとまず少女と付き添いの長身の女性に着席を促す。二人は苛立ちを込めた表情を浮かべながら椅子を引いて、静かに腰をおろした。
「僕は、何も存じ上げておりませんよ」
「北海道の萩谷派に興味があるんでしょ?」
「……その件につきましては、あなたがたにお話しする義理などありませんね」
「じゃあいい、あたしから喋ってやるよ。……あたしたちも、萩谷派を欲している」
ヴォルカンが回答を渋っていると、少女は強気に言い放った。彼女の発言はつまり、萩谷派の確保を巡って恵光派やローレンス派と敵対するというものだ。
「本日ここへいらっしゃったのは、僕たちを脅迫するためなのでしょうか?」
「邪魔立てするな、ってのが脅迫になるなら、そーいうこと」
「断言いたしますが、僕たちはカーン派に興味などありません」
現在のカーン派当主を前に、ヴォルカンは慇懃無礼な口調で言い切った。
彼の前に現れた金髪少女――アリシアは、殺されてしまった父親に変わり、弱冠14歳という若さでひとつの派閥のトップに立つことになった、マイたちと同じ新人類である。
また彼女が率いているカーン派という派閥の新人類は、数年間に渡って川崎市の人間たちを震駭させた『赤い人』の正体でもあり、その中でも過激派の人間たちは徹頭徹尾バジルたちと敵対関係にあった。
それはそうと、幾ら派閥の規模に差異があるとしても、今現在で敵対関係にある相手を挑発するようなヴォルカンの発言は、明らかに常軌を逸していた。
しかしアリシアは至極冷徹な面持ちで、
「あたしは知ってるぞ。アンタは萩谷派の存在なんて微塵も信じてなくて、本当はハイエナをとっ捕まえたいだけなんだろ?」
「アリシアさんは、素敵な比喩を使われるのですね。しかしあなたの言い分には何も根拠がありませんし、あまつさえハイエナを捕獲したところで僕たちにメリットなどありませんよ」
「……なんにせよ、そっちが手ぇ出してこないんなら、あたしたちも仕返しはしないわ」
「それは、それは」
アリシアの言葉に、ヴォルカンは感嘆した様子で深く頷いている。まだ外見的にも幼い彼女が、自他共に認める野心家との交渉を試みている姿は、何故だか微笑ましく思える。
要約するとアリシアは、北海道におけるバジルたちの任務を取り下げるよう、ヴォルカンを脅しているのだった。
「正直言うと、アンタがどこまで仕組んでるのか、あたしたちは予測できてないのよ」
「アリシアさんが、自分たちの力不足を棚に上げて、キーパーソンである萩谷派の兵器技術者をカーン派に譲れと仰っているのなら、残念ですが他の人間を当たってください」
「同情しろとも、任務を解けとも言ってない。ただあたしたちに手出しするなってこと」
「同義ですよ。『わたしではあなたに敵いませんので、今回だけは獲物を譲ってください』、あなたはこう仰っているのです。間の抜けた人間でなければ、この申し出を受けることはありませんよ。特に僕のような人間には、全くといって差し支えない程に通用しません」
たとえ相手が年端もいかない少女だとしても、自身の所属する派閥の未来が懸かっている以上、ヴォルカンが引き下がることはない。頑としてアリシアの言葉を拒否する姿勢で、彼女と相対している。
それにしても、先ほどから厳しい口調で接しているにも拘らず、アリシアの付添人である女性は一切口を挟んで来ない。
ヴォルカンからしたら本日が2度目の邂逅となるが、以前にも増して彼女はミステリアスな雰囲気を纏っている。
女性があまりに不思議な空気を漂わせているため、ヴォルカンは、アリシアが打算ありきでこの女性を連れて来たのではないか、と考えた。
「そうですね……わかりました。任務自体を解くことはいたしませんが、仮にこちらの同志がカーン派の方々と接触しても、一切の干渉をしないことを約束いたします」
唐突に、ヴォルカンは自身の言い分をアリシアの意向に沿うようなものへと変換する。これには当然、少女も警戒心を剝き出しにした表情にならざるを得ない。
「き、急になんなのよ……?」
「萩谷派の兵器技術者を先に確保したほうが勝者、しかし僕たち関東派閥連合はカーン派に対して危害を加えるようなことをしない。この条件でどうでしょうか?」
「でもそれだと、カーン派からの妨害行為については目を瞑るってことじゃ……」
「僕は、それでも構わないと思っております。何分、こちら側にはお人好しな方ばかりが揃っていますので。僕のほうから指示を出さずとも問題はありません」
「お人好しって、ハーブのことだろ? なぁんだ、あたしに喧嘩売ってるわけね」
アリシアは脳内に浮かんだ白髪の少年に対する嫌悪を露にして、ヴォルカンの言い分に真っ向から食い下がる。もう数ヵ月も前のことだが、白髪の少年が数十人に及ぶアリシアの仲間を容赦なく屠ったという事実があり、その被害者である彼女が少年を恨んでいないはずがない。
「楠森くんとアリシアさんの関係について深く知り得ておりませんので、僕が名指しで彼のことを保証することはありません」
ヴォルカンもまた、白髪の少年の独断行動によって生じた問題の後始末に悩まされた被害者の一人であり、アリシアの心情を慮ることも難しくはないだろう。
「……ですが、僕は彼に一目置いているのです。彼の類い稀な異能力についてもそうですが、彼の何事に関しても寛容な人柄は非常に貴重なものであり、僕たち新人類に最も欠けているものだと思っております。ですから僕が、今度の任務において、彼のことを固く信頼することは困難ですが、多少似通った部分が存在するあなたなら、彼のことを信用することもそう難しくないでしょう」
「アンタのそれこそ、自分の力不足を棚に上げてるじゃない。あたしならハーブを信用できるって……本気で言ってるんなら、とんだ見当違いだわ」
「何も違っていませんよ。ただ、今のあなたが意地を張っていらっしゃるだけのことです」
「……もぉいい。とにかく、約束は守れよ」
吐き捨てるように呟くと、アリシアは苛立った様子で席から立った。
しかし、そのまま付き添いの女性を連れて帰っていくのかと思いきや、再びヴォルカンの元へ駆け足で戻ってきて、
「――ふんっ」
「これはなんでしょう?」
少女が差し出したものは、ごく普通のネックレスだ。鈍色のチェーンに通されたシロツメクサの形のアクセサリーが醸す、瀟洒な雰囲気が魅力的な逸品である。
ヴォルカンは自身の目の前に晒されたそれの意味も、アリシアの言外についても一切が理解できていないようで、首をかしげながら彼女からの説明を視線で乞うている。対してアリシアは赤髪少年から顔を背けてだんまりを決め込んでいた。
「僕としては、なんの警戒もなしに、その首輪を受け取ることはしたくないのですが」
「く、首輪ぁ……!?」
決して皮肉のつもりではなかったヴォルカンの発言に対して、苛立ちを隠せないアリシア。だが彼女もれっきとした新人類であり女性だ、少年が装飾品の類いについて精通していないことも、納得はいかないが理解できなくもない。
「や、約束が結ばれたっていう証よ。形に残ってないと誤魔化されかねないし!」
アリシアはあくまで平然とした態度でそう述べると、ヴォルカンに再度反論されないよう、問答無用で彼の首にネックレスを通そうとした。尤も、頭蓋を通過することすら叶わなかったため、現状ではヴォルカンの頭部にかけられてしまっている。
「それは、それは。では僕も書類の代わりとなるものを、あなたにお渡しいたしましょう」
言うと、頭部のネックレスはそのままにヴォルカンは懐から紙包みを取り出した。
赤を基調とした紙袋の下部が僅かに膨らんでおり、包みの全体を覆うようにグリーンの紐が十字型に巻かれている。一目で赤色、白色、緑色を確認できる派手なその紙包みが現れた途端に、アリシアは目を白黒させた。
「えっ、え、いや、ぅ、はぁ?」
「これは、少々フライング気味ですが、クリスマスのプレゼントとして用意していた品です。しかし、アリシアさんにこれをプレゼントとしてお渡しするのは、どうも面映ゆいので、何か良い建前はないかと思案していたのですが……手形、ということでよろしいですよね?」
「ぇぇぇぇぇ……ふ、ふんっ。仕方ないから貰ったげるわよ」
ぎこちない口調と不満げな笑顔で近付くと、アリシアは奪い取るようにしてヴォルカンの紙包みを受け取った。
すると彼女は、何気なく目線を送った先に妙な光を放つ物体が映ったため、それを身に着けるヴォルカンに訊ねる。
「その指輪ってなんなの?」
「ああ、これですか。そうですね……ただの味気ない装飾品です」
「だ、誰から貰ったんだよ……?」
訝しげな表情のアリシアを眺めながら、唐突に微笑んだヴォルカン。
「アリシアさん。とある質問をしてもよろしいでしょうか?」
「あたしの――いや、いい。なんだよ?」
「形態はともかく、好意を寄せる女性がいて……その彼女に対してアプローチをしたいはずが、無意識に先走ったり、避けたり、行きすぎたりしてしまう男性を、あなたはどう思います?」
「自意識過剰なうえストーカー気質の変態だと思う、けど」
「そうですか……」
何かを悟ったように呟くとヴォルカンは立ち上がり、閉じた本を近くの本棚に返却する。そして同じ棚の中に、乱雑に片付けられた他の書物を整頓したのち、足早に図書館のエントランスへ向かった。
先ほどまで大声で会話をしていたヴォルカンたちを鋭く睨んでいた司書の女性を一瞥したのち、アリシアたちのほうを振り返り、
「また、近くにお会いしましょう」
「しばらくは嫌よ!」
どうやらヴォルカンは、男女問わず苦手に思われる人格の持ち主のようだ。
その事実をいよいよ自覚せざるを得なくなり、何気に心を傷めた赤髪少年は、苦笑を浮かべながら図書館をあとにした。
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