3.身も心も此処に在らず
2021年12月21日火曜日。神奈川県川崎市、私立新川学園前。
午前7時35分。
「郷さん、おはよう」
「あ、うん。おはよう、楠森くん」
学園の、新雪が降り積もる校門前で佇む一人の少女と、バジルは挨拶を交わした。
肩甲骨の辺りで切り揃えられた黒髪が魅力的な、幼い顔立ちの彼女は、か細い身体を分厚いコートに包み込んで、降りしきる結晶と肌を刺すような冷気に震えている。なんとか体を冷やさぬよう片手を交互に吐息で温める仕草や、首や肩をすくめる姿はとても愛らしく、また少女の素直さと純粋さを容易に垣間見ることができる。
彼女、
「日和ちゃんも、今日はゆっくりなんだね」
「真冬に長時間外で立っていることなんて、わたしにはできないよ」
「そ、そうだよね。変だよね、うん……」
「郷さん。今のは、別に郷さんを皮肉ってる訳じゃなくて、単に日和の照れ隠しだからね?」
バジルは先日の朝に、日和が雪景色をたいへん喜んでいたという事実を知っている。日和が愛理から、その感性を子供染みていると思われたくないと考えていることも、バジルにとって大凡は見当がついているようだった。
「それはさておき、黒崎さんや江洲さんはまだ来てないの?」
「えっとぉ……」
愛理に訊ねながら周囲を眺めるバジルに、隣の少女はひどく冷めた視線を向けている。
最もその内容に触れてはいけない人間が、殊更にその話題を持ち出したとなれば、一体どういう目論見があるのか疑わざるを得ない。そしてその、日和の胸中に気付かないバジルは当然、冷淡な表情の日和をただ怪訝な顔で見つめるばかりであった。
「わ、わたしなんかより、楠森くんのほうが知ってると思ってたんだけど……」
「別に同棲してる訳じゃないし、さすがにマ――黒崎さんの予定までは知らないよ」
寄せられた信頼に応えられなかったバジルに対して、愛理はまだ何か物言いたげな顔をしている。はにかみながら、小さく口の開閉を繰り返しているその様には、事実を追窮したい好奇心とバジルへの遠慮がうかがえる。
「日和は、黒崎さんや江州さんの居場所知らないか?」
二人では正解に辿り着かなかったため、バジルはついに日和へ解答を求めてきた。
無論、彼の質問にありのまま答えることなどできるはずもなく、
「ジルくんの要領の悪さが招いた事態に、わたしを巻き込まないでくれるかな」
「どういうことだよ……?」
バジルが訊き返した直後、閉ざされた柵の向こう側から誰かの声が聞こえてきた。
3人が振り向くとそこには、モッサリとスッキリを掛け合わせたような、ダサくて騒がしい服装を身に纏い、とにかく退屈そうな表情を浮かべる女性の姿。
「よお。朝っぱらからなぁに盛ってんだぁ?」
「そういうんじゃなくて、単に校門が開くまでの暇つぶしですよ」
「ンなら自宅でやれ」
「相変わらず、身も蓋もないこと言いますね……」
女性の理不尽な態度と口調に対して、バジルは苦笑いを浮かべる。彼女の物言いに逐一対応することが億劫なのもあるのだが、それ以前にバジルは、彼女とのやり取りのほとんどが不毛であることをすでに知り得ていた。
そのためこれ以上の会話を望むことはなく、目線だけで女性に校門を開くよう催促をしてみせる。
「――あぁ、わかったよ。早く開けろ、ってことな?」
女性は嫌味ったらしく嘆息すると、両側の柵を繋いだ南京錠と鎖を解いて、勢いよく両側へスライドさせる。両側へ流れていく柵の勢いもさることながら、レール部分との摩擦音がたいへん耳障りなものであったため、バジルたちは顔を引きつらせて両耳を塞いだ。
3人の反応が陳腐なものであったためなのか女性は鼻白み、沈黙したまま先に校内へと逃げ行ってしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
寒さから逃れようと急いで高等部の教室に来たものの、結局は室内に充満した鋭い寒気がバジルたちを襲った。
どうやら新川学園高等部の各教室に設置されたエアコンはかなり古い型番のものらしく、その性能の低さについて本体を確認する必要もない程に、教室内は冷え切っている。もはや冷蔵庫といって差し支えないだろう。
「そ、それで、黒崎さんたちの件なんだけど……」
1年1組教室に着いてから、最初に切り出したのはバジルだった。
先ほどの話題について徐に言及すると、どうやら今になって事実を思い出したらしく、愛理や日和から顔を背ける。
「黒崎さんや江州さんや暁月は、実家に帰ったんだって?」
「楠森くん、あの、なんで疑問形……」
「正直俺も伝聞しただけだから、本当の理由は知らないんだ」
先日ヴォルカンに説明された『任務』について深く掘り下げることはなく、あくまで本日の終業式にマイたちが参加しない理由だけをバジルが述べると、日和は安堵の表情を浮かべた。
思い返すと、バジルが北海道へ赴くのは12月27日だが、マイたちは目的地のみ指示を受けていた。そのため出発の正確な日時をバジルが把握していなかったことも、ある意味では当然のことだったのかもしれない。
それにしても、バジルの解答があまりに煮え切らないものだったにも拘らず、愛理の表情や態度からは懐疑の念も驚愕の念も見られなかった。
彼女の厚意なのか、バジルがこれまで築き上げてきた信頼の賜物なのか、詳細は不明だがバジルや日和にとってはたいへん好都合なことであることに変わりはない。
二人は互いの顔を一瞥すると、愛理に向かって小さな笑みを浮かべた。
「そ、そういう楠森くんは、冬休みどうするの……?」
「俺は大きな予定が一つだけ入ってるけど。それ以外はずっと暇かな」
「じ、じゃあ、その、お願いがあるんですけど……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
3人が登校してから2時間後、特に問題もなく終業式を終えた中高の生徒たちは、皆一様に浮かれた様子で自身の教室へと還っていく。
その理由は主に二つ、12月22日から1月13日までの約3週間に渡る冬休みと、クリスマスイブに行われる新川学園恒例のクリスマスイベントだ。
前者に関しては他校のものと大差ないのだが、後者は本校の中高生で構成される「行事部」なる部活動の部員が役員となり執り行われる行事で、その目的は冬休み中に生徒同士が疎遠になり関係が断たれてしまうことを防ぐこと。また男女の出会いの場であるがゆえに、このイベントをきっかけに交際する生徒も少なくない。
まさしくこの学校は人間関係の基礎や重要性、人間の機微を正しく学べる有意義な場所なのだ。
――という詳細な説明を副担任の女性から聞いたところで、唐突に1年1組の生徒たちへ、イベント参加の有無が問われた。
「クリスマスイベントといえど、学校行事であることに変わりはありません。本来強制参加であるこのイベントですが、家庭の事情により参加が困難だという方は、挙手をお願いします」
粗野な性格の学級担任と異なり、上品で礼儀正しい副担任の女性が挙手を促すと、たった一人だけが手を挙げた。誰あろう、楠森バジルである。
「楠森、お前は何故に参加を拒んでいるんだ?」
「説明の必要があるんですか……?」
「お前しかいないんだ、遠慮なんて必要ねえだろ」
無茶苦茶な理由で説明を催促してくる担任の女性。バジルは真面目そうな副担任に助けを求めるが、女性は無言でバジルから顔を背ける。どうやら担任の女性と関わり合いたくないらしく、彼女が何を言おうともノータッチの姿勢をとっているようだ。
とはいえ、実のところバジルは余裕でクリスマスイブのイベントに参加することができる。彼が北海道へ出かけるのは12月27日であり、24日のイベントまで猶予がある。
人間関係の重要性をよく理解しているはずのバジルが、どういう理由でイベントに参加することを拒んでいるのか、恐らくこの場で正しく理解しているのは日和だけなのだろう。
「ひ、日和ぃ……」
そう考えたバジルは最後の手段として、新人類の中で唯一この場に残っている日和に助けを求めた。
彼女はつい先日の席替えにおいて、バジルの右斜め後ろの座席に移動しているため彼の救援要請を端から拒絶することができず、また彼の心情を理解しているがゆえに生半な拒否を口にすることも避けたかった。そのため仕方なく彼女も手を挙げて、
「先生。楠森くんは明日実家へ帰るそうですよ」
「恵光さぁ、そんな月並みな回答は求めてねぇって」
「だってさ。どうするの、ジルくん?」
一時的に味方をしてくれた日和だったが、担任の一言であえなく玉砕されてしまった。愛想笑いを浮かべながらお手上げ状態に陥る日和の皮肉によって、再び周囲の視線はバジルに向けられた。
「お、俺は、その……」
「あ、あのぉっ――!!」
追い詰められたバジルが先を言い淀んでいると、咄嗟に一人の少女が立ち上がった――。
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