35.第一のフィナーレ

 2021年10月30日土曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』RF。

 午後18時。


「このビル、屋上階なんてあったのか」


「ええ、勿論。普段は僕しかいないところなど、特筆すべき長所ですよ」


「お前がいなかったらなお好きになりそう」


 早口で嫌味を述べると、バジルはフェンスに凭れかかる赤髪の少年の隣へ。

 赤髪の参謀長ヴォルカンは、夕日をバックに一人たそがれていた。


「それにしても……先ほどのアリシアさんの激昂ぶりは、なかなかのものでしたね」


「なっ……!? こ、ここに来た俺の心情も、多少は汲んで欲しいんだけどなぁ」


「僕は何分、職務にうるさいものでして。他者の弱みを握ることが得意なのですよ」


「……それは絶対に、ただの趣味だろ」


 たわいない日常に会話に聞こえるのは、ちょうど3時間前のことだ。


 簡単にいうと、自在剣によるバジルの暴走で、ニーデル以外の過激派の人間が一人残らず命を落とした挙句、模造自在剣のデータとサンプルの行方も一切が不明となってしまった。この事実にアリシアは激怒し、会議中であるにも関わらず悲鳴と怒号をあげ、原因のバジルをこれでもかと言わんばかりに罵倒した。


 一連の出来事を見ると、多少やりすぎているようにも思えるが、アリシアの信頼を真っ向から裏切ったどころか、単独で任務を達成できると啖呵を切った挙句の大失敗という前提があれば、至極当然のことである。


「尤も、僕が危惧しているのは、今後の君の信頼についてですよ」


「それは……アリシアか?」


「彼女を含むカーン派とは、元より事件解決までの一時的な同盟関係でしたので、今回の事件が君と彼女の関係に埋められない溝をつくってしまった可能性は、かなり低いと思います」


 バジルの問いを、少し力んだ声音で否定するヴォルカン。


「僕はですね、代表や日和さんを含む方々との今後を心配しているのですよ」


「……それもそうだよな。今回のことは、全部俺が悪いわけだし」


「自覚がおありのようでしたら、きっと彼女たちは楠森くんに、挽回の機会を与えてくれると思います。相手によっては膨大な時間がかかるでしょうが、何もしないよりは良いでしょう」


 ヴォルカンは悟ったような口調で、励ましの言葉を口にした。

 今度の事件に関しては、バジルが暴走した原因が判明しており、マイや日和もすでに知っていることだ。そのため彼女たちが、バジルが過激派の連中を気の向くままに殺したと思っている可能性は低いが、バジルが傍若無人な振る舞いをしたことに変わりはない。

 それでも、元々人当たりのいい性格の人間ばかりが周囲にいる現状は、自らの非を認めて後悔しているバジルを、決して見放すようなことはしないはずだ。


「そういえば、思い出したんだけど……」


 唐突に、疑問が頭に浮かんだバジルは低く唸って、胸の前で腕を組んだ。


「僕にとって差し障りのある内容でなければ、なんでも構いませんよ」


「お前、ニーデルが自在剣を盗む件から、ずっと予想してたんだろ?」


「…………」


 差し障るどころか、ヴォルカンの企みそのものの核心をついた質問だった。いや、誰でも至るような疑問ではあるが、それでも本人に聞いた際の効果はとてつもないものだ。


「そうですね。答える前に、なぜそう思われたのですか?」


「なんだか、事件の黒幕が使う常套句に聞こえてならないんだけど」


「…………」


 バジルのふざけた一言を、ヴォルカンは否定しなかった。それどころか無言で誤魔化す対応について、バジルはさらに追及する。


「別に詳細が知りたいわけじゃなくて、『はい』か『いいえ』が聞きたいだけなんだ」


「……たとえ真相を知らずとも、楠森くんが僕たちの仲間でいるうちは、何もいたしません」


「それがどういう意味かはわかりかねるが……わかったよ」


 今すぐに言わないのなら自分には関係ない。そう判断し、バジルはヴォルカンにそれ以上のことを訊くことをしなかった。


「とにかく俺は――この『血の力』で、全部を解決して見せるさ」


 楠森バジルが手にしたのは、仲間と正しい力の使い方、そして『魔剣』。

 魔剣は『血の力』で作動する、ただ人を斬ることしか能のない殺戮兵器だ。

 その兵器を、仲間たちを守る手段へと昇華させることのできる人間は、バジルしかいない。

 バジルは、自分が求めていた場所を、存在理由を見つけたのだ。

 たとえスタートが憐れでも、自分にしかできないという事実は決して揺るがない。むしろ、その事実に頼ることでしか、失ったものを取り戻すことはできなかった。だからバジルは何度でも斬って斬られて、新人類という新たな仲間たちの役に立とうとする。


「僕が言うのもどうかと思いますが、楠森くんを含む僕たちは全員、現代社会に背く反社会勢力であり、未来の大量殺人鬼です。尤も、その印象が無所属の方々の記憶に残ることはあり得ませんが」


「…………」


 ヴォルカンの普段どおりの皮肉に、バジルは深刻な表情で目を伏せた。

 今度の騒動に関しては、新人類同士での戦いだったが、今後執行される『新旧大戦』は訳が違う。

 

 バジルたちの敵であり駆逐すべき害悪は、その実平和な日常を生きる無害な人間たちだ。どこかのスーパーヒーローと違って、彼らが正真正銘の正義であり、その彼らの正義と安寧を破壊しようとするバジルたちが、まごうことなき悪である。


『旧人類を滅ぼして、純地球生まれたる新人類が本物の人間を証明する』


 言葉にしてしまうと、その行為の罪深さや傍若無人ぶりは薄れてしまう。むしろ環境破壊をしておきながら、次は他の星に住もうとのたまう旧人類こそが地球にとって害悪だと、錯覚にさえ陥ってしまいそうになる。

 だが仮にそれが錯覚ではなく、新人類たちの今後行われる殺戮行為が地球を救うための最善の手段だとしても、バジルは素直にその方法を肯定することができなかった。


「楠森くんは正直、たいへん不幸な方だと思います」


「……どういう、ことだよ」


「前々から疑問に思っていたのですが、僕が楠森くんに新人類の概要を説明したあの時に、なぜ拒絶しなかったのですか? いえ、当時の僕が脅し紛いのことを言ったことも理由にあると存じますが、それにしても……楠森くんは、不自然すぎるのですよ」


「そうだよな……俺はなんで、自分が傷ついても人を殺しても、こう正常なんだろう……?」


 自分が悪だ、数多の一般人を無残に殺し歩くバケモノだ。そう、自分が確実な悪者だとわかっていながらも、自身の評価を下げるだけの行為を行う人間が、果たして存在するだろうか。

 よしんば今が殺人鬼でも、将来は大英雄として崇められる。口約束しかされていないこの夢物語を信じたとしても、いつか必ず心のどこかに綻びが出る。それも自分自身では気付くことができないほど、瑣末なのに貴重で他では補いようもないような破綻だ。


 最初からずっと色々な少女に心配をかけて、しまいには自分にだけ不安を晒して期待を寄せてくれた少女を裏切ってしまった。失敗ではなく、自分の視野に入っているにも関わらず最後には見て見ぬふりをしてしまったバジルの償うべき罪。

 今まで孤独しか知らなかった少年は、己の背負った幾つもの罪に気付きながらも、いつも以上に冷静で素直だった。

 バジルの明らかな異常に対して、ヴォルカンはより橙を増した赤い髪の毛をくすぐったそうに撫ぜて、


「いえ、今の楠森くんがどうであろうと、何も問題ではありません。ただ僕としては、今後の作戦において、君が普段秘めている感情が爆発しないようにしていただきたいだけです」


「俺が、秘めている、感情か……」


 バジルは心臓の辺りを右掌でなぞって、自分自身に問いかけた。俺はお前がわからない、お前はいつもどんなことを考えているんだ、と。


「自在剣が『魔剣』と呼ばれる所以は本来、刀身に置換される異常量の血液にあるのですが、どうやら貧血状態に陥った際の人格破綻も関係がありそうです」


 ヴォルカンは続きを、あくまで可能性だからと言い渋ったが、ようはアズガルズ・カーンとの決戦の際にバジルの残酷な一面が露になったことを皮肉っているのだ。


 深刻な表情で皮肉を言われたバジルは全く気付いておらず、疲弊した様子でため息をつく。


「それで、ですね……楠森くん」


「ど、どうした?」


「冬期休暇に入ってからは、地方の新人類とも交流をしていこうと考えています。もう少しで期末試験ですが、断固追試と補習を回避してくださいね。でなければ、独り留守番です」


「――そういえば俺、まだ高校生だった……」



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