30.狂乱波乱の舞台演出Ⅲ

 ――剣柄の上部、小さな鍔になっている部分に、瞬きより速く斬撃が見舞われた。


 使用者から採取した血液を腕輪で蓄え、腕輪から柄が引き抜かれた際に、蓄えられた血液が一気に柄の内部へ移動する。

 移動した血液は柄の内部で絶え間なく霧状にされ、柄の上部に開いた噴射口より超高圧の霧となって噴射される。これが自在剣の仕組みだ。


 前述のとおりだと、たとえ噴射口付近が破壊されても血液は霧状で周囲に溢れるものだと思われるが、仮に外部からの衝撃が『血液の状態変化の節目を狙って』噴射口付近に加えられた場合――元々、血液タンクと直結していた噴射口付近は、大量の血液を孕んだ爆弾と化し、広範囲を巻き込んで爆裂する。


 マイは、そんな荒業を易々とやってのけた。まるで自在剣の内部の動きを熟知しているかのような、完璧なタイミングで大太刀の斬撃を見舞ったのだ。

 ――それも、5人同時に。


「さっきは、俺と一緒ならって言ってたのに……速すぎるだろ……」


 戦闘に集中しきっているマイの耳に、しょうもない文句の言葉が届くはずはない。しかし、バジルが不満に思うのも当然だ。なぜなら、すでに過激派戦闘員10人のうち5人が、マイの斬撃と模造魔剣の爆発によって戦闘不能に陥っている。正直残りの5人もマイだけで充分相手できると思われた。


 するとマイは、いまだ刀剣を持ちこちらを威嚇してくるローブの輩を見やり、


「今すぐに武器を捨てなければ、容赦はしない」


「…………」


「そう。……ジル、行って」


 過激派の連中に降伏の意志がないとわかると、マイは憂鬱そうに嘆息する。今の彼女の顔は普段どおりの淡泊なものに見えるが、どことなく罪悪と慈愛の念が垣間見える。

 少女の表情を一瞥しただけで、バジルは大凡の心情を理解した。


「わかった。すぐに取り返してくるから、それまで耐えてくれっ!」


「ジルが期待してくれたから、頑張るわ」


 ぎこちない微笑を浮かべて、静かな闘志を宿した少年の背中を見送るマイ。

 彼の姿が岩の口の中へ消えていくのを見届けると、弛緩した頬をゆっくりと平常の一文字へと戻し、諦めの悪い悪党たちのほうへ向き直った。


           ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 光の差す大穴のほうから響く、鋭い剣戟。

 現在もなおマイとローブの輩が戦っていることの証左だろうが、その激しさからかなり苦戦しているようだ。最初の一閃により5人を薙ぐことができたのは、もしかしたら奇跡だったのかもしれない。

 バジルの信念を若干の不安感が侵す。もしこの洞窟の先で、入口の際の人数など比ではない大多数の敵兵が待ち伏せしていたら、またもバジルは我が身を防衛することしかできず、他の仲間に助けられることになるだろう。


 事実として彼は、類い稀で強大な力を保有している。しかしそれは、自在剣など単体で大勢を容易く屠ることができる兵器を用いること、それを前提とした場合の強さである。特異な能力を何倍にも増幅することができる兵器ありきで、バジルの力は稀少且つ強力なのだ。


「どうか、片手で数えられる人数でありますように……」


 たった数度の称賛の声で舞い上がり、己の実力を過信してした。それが災いし、己が戦うか否かで戦況が大きく左右すると思い込み、仲間の死を冒涜してしまった。

 今さら拭い去ることのできない事実、新人類といういまだ謎の多い存在と接触して、2か月少ししか経過していないというのに、バジルが彼らの精神に多大な負担をかけてしまったことは、紛れもなく咎められるべき罪だ。


 しかし、これまで無所属もとい普通の人間として生活してきただけの、ただ外見が特徴的なだけの凡庸な少年が、新人類たちの生き方にうまく馴染めないのは、至極当たり前のことではないか。

 褒められれば己を信じ、仲間が傷つけば救いの手を差し伸べ、もう二度と傷つけまいと己の才覚をひたすら磨く。全て、好奇心旺盛でお人好しな少年たるべき行動だ。


 だが新人類の同志たちは、誰も彼もがバジルに現実を突きつけてくる。「お前はただ運命に翻弄されているだけだ」と。今ここにある自分が揺るぎなく本来の姿であり、仲間を助けたいとのたまう自分はただ、理想を模しているだけの劣化版なのだと――。

 そんな劣化版でも、いまだ弱気なところを隠しているバジルでも、マイは信じて、現状での救済策をバジルに与えてくれた。


 だからたとえ、敵が強大で防戦一方の戦いを強いられるとしても、バジルは今の自分を信頼してくれた少女に応えたかった。もはや素なのか偶像を演じているのかもわからなくなった、人呼んで『劣化版』の自分をとことん痛めつけて、それで一人きりの勝利を勝ち取ってやる。

 バジルは決心を固め、日に日に色素が減少していく黒と青の瞳をきりりと力強く細めた。


「ここだけ、やけに大仰な作りだな……」


 洞窟内をひた走っていたバジルは、目の前に不自然な物体が立ちはだかったことで一時停止する。


 彼の視界を易々と埋め尽くす大きさの、巨大な門がそこにあった。


 荘厳な佇まいの扉は、その規模と重金属製だと思われる光沢感を見ると、バジルが持っているどの手段でも破壊は不可能だと思われた。彼の異能が攻撃重視のものだったならまだしも、外見・機能ともに完璧に防御重視のそれでは、破壊どころか傷一つつけられないだろう。


「取りあえず、間に剣でも捻じ込んで……」


 ――と、バジルが刀身を扉と扉の間に突き立てると、突如大門が動き出した。

 まるで王城のごとき厳かな門は、凄絶な金切り声を上げ、閉ざされていた道を徐々に開放していく。その様子を、固唾をのんで見守る一人の白髪少年の前には、いつしか新たな暗黒世界が広がっていた。


 入口の灯りだけが光源となっていた洞窟内に、今度は外の光さえも受け付けない完全な闇が誕生する。外部からの来訪者を待ち受ける漆黒は、この世ならぬ異空間として眼前に現界し、あまつさえその入口で狼狽しながら入るのをためらうバジルを中へといざなっていた。


「やっぱり、ナメクジじゃないか」


 外界からの情報を断固として拒絶する空間に住んでいると思われる、先ほどのローブを着た輩に対して、バジルの下した評価は相当なものだ。

 今の彼が知る恵光派やローレンス派の人間たちは、自らを新人類というだけあって、まだ幾倍も人間らしい生活をしていた。ローブの輩も自分たちの方法で新人類を繫栄させようと企んでいるのなら、現在の無意味な殺しばかりに明け暮れる日常と、人気のない森の中の不気味な洞窟で慎ましく暮らすライフスタイルは、それこそ闇弱である。


「おィおィ、そいつァひでェ言い様じゃねェかァ、ジルくゥん?」


「……その呼び方やめろよ。変態サディスト」


「あァ、誰が変態だッつの⁉ 俺ァ男に関心ねェンだよォ!」


 ――無音に近い足音と共に暗黒世界から現れた、黒っぽい金髪の細身の男。

 彼、ニーデル・カーンとの邂逅は、バジルにとって2度目だった。


「それで、お前以外のローブはいないのか?」


 それはニーデルが、バジルの前に登場する際に気配を一切感じさせなかったこともあるが、彼を含むカーン過激派の連中が今も潜んでいると思われる場所は、外側から見ても全てが闇に包まれてしまっているため、敵影の数を把握するなど以ての外。

 ニーデルとの戦闘の途中で、さらに増援が来てしまう可能性を考慮したうえで、バジルは目の前の難敵に訊ねた。


「アンタとの戦はなァ、俺の担当なんだよォ。そンな訳で、ラスボスは俺だぜェ?」


「は、はあ……担当って、どういうことぉ?」


「俺からアズガルズに掛け合ってェ、アンタをぶっ殺す役どころにして貰ったンだよ」


 殺伐としながらも淡々とした物言いだが、口にしたニーデルの表情はこれまでに見せたことのないような、愉悦に満たされた笑顔だった。その顔こそ、彼が殺人という行為に快楽を覚える異常性癖の変態であることを証明している。バジルの身体を嫌悪感と恐怖が支配した。


「さァて……アンタ、聞くところによると不死身らしィじゃねェか」


 唐突に浮世離れしたことを言い放ったニーデルは、さながら子供のような企み顔をする。

 一方、バジルはその質問の内容に困惑していた。

 最初に情報元として疑った、以前に恵光派の同志数名を襲った輩は現在もエコービルで保護しているため、彼らが過激派の連中と連絡を取ることは不可能なはずだ。しかし、先日バジルがニーデルと出会った際には、一度たりとも能力を使っていない。

 結論として、当時と同じ青色の奇抜なコスチュームに身を包む彼が、バジルのいまだ秘められたポテンシャルに気付くことのできる方法は――全くわからなかった。


 だが当然、ニーデルの発言が自白を誘発するためのトラップである可能性も存在する。自ら能力を暴いてしまわないよう、バジルは情報の入手方法については決して触れない。


「お、俺が死なない体だったら、どうなんだよ……?」


「いやァ、もしそうなンなら都合が良いンだよなァ。なにせ」


 両手をポケットに勢いよく突っ込み、その手をニーデルが引き抜くと――、


「コイツで斬り刻むゥ時に、死んじまッたらつまんねェだろォ?」


「――――⁉」


 黒金の質感、腕輪の大きさ、柄のデザイン、どれを取っても魔剣『自在剣じざいけん』であった。

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