29.狂乱波乱の舞台演出Ⅱ
2021年10月23日土曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』1F。
午前9時50分。
「ヴォルカン、状況はどうなってる⁉」
学園から徒歩5分以内の位置にあるエコービル、その内部では現在ちょっとした混乱が起きている。どうやら犯人の「赤い人」を現行犯で1名確保したらしく、彼への尋問によって得られた情報の正当性について、作戦部の同志たちが揉めているのだ。
たった今到着した、バジルとマイは愛理に詳細を告げずに来たことへの罪悪、と事態の性急さに対する焦燥で息を切らしながら、入り口付近で待機しているヴォルカンのもとへ駆け寄った。
「楠森くん……只今、出撃する部隊の再構成を行っています。先ほど、犯人への尋問をしたところ、過激派の本拠地である可能性が高い場所が2ヵ所まで絞れました。しかし、エコービルから2ヵ所までの距離が非常に長く、あまつさえ具体的にここだと断言できる程正確な位置は判明していませんので、出撃するメンバーを最適な構成にする必要があるんです」
「そうか、わかったよ。じゃあ俺も待機しておく」
「あと10分程度でなんとか完成させますので……よろしくお願いいたします」
ヴォルカンが申し訳なさそうに頭を下げたので、バジルは少し面食らってしまった。普段は歯に衣着せない発言が度々目立つヴォルカンが、こうして礼儀を重んじている現状は、それ程深刻で切羽詰まっているのだと理解できる。
それからしばらくして、一度ヴォルカンは同志たち全員を会議室に集めた。
それぞれが席について口を噤むまでの一部始終を確認したのち、大きなモニターに神奈川県周辺の地域を投影し、その中の2ヵ所のポイントに記された赤い丸印を交互に指さしながら、
「現在、過激派が潜伏している可能性の高い場所は、千葉県の房総半島と、静岡県伊豆半島の2ヵ所のうちどちらかです。そのうち『ヘヴィーズ』は房総半島へ、他の方々は伊豆半島へ大至急向かってください。仮に、山間部や臨海部で過激派の基地らしき洞穴、または建物を発見した場合は、本部への連絡をしたのち戦闘員全員の捕縛をよろしくお願いします」
ヴォルカンの指示に不満の声もなく、作戦はすぐに開始された。
同志たちが次々に席を立ち退室していく中、なぜかバジルだけが会議室に残り、いまだモニターの傍で作業を行っているヴォルカンに声をかける。それは先ほどのヴォルカンの話の中で唯一理由の不明なことがあったからだ。
「楠森くん、どうされましたか。何かご不明な点など?」
「ああ。まあ別に、深い理由とかないかもしれないけど……なぜ、房総半島に出向くのは『ヘヴィーズ』だけなんだ? 一つの部隊だけだなんて、よしんば、過激派と戦闘になった場合にかなり不利だと思うんだけど。相手が厄介な罠を仕掛けてない保証もどこにもないし……」
「――楠森くんは、そういったことなど考えず、真摯に任務と向き合っていてください」
単に好奇心で質問しただけのバジルに、ヴォルカンから帰ってきたのは、厳しい指摘の言葉だった。
今回の敵勢力の摘発任務みたいに、外敵との戦闘が前提にある任務をバジルが受けたのは、実質的にこれが初めてである。彼には数度の戦闘経験と普段の訓練で培った、痛みと恐怖への耐性があるものの、軍隊紛いの戦闘任務に対する適切な心構えなど持ち合わせていない。
さらにバジルには、先日過激派がエコービルを襲撃し『自在剣』を強奪した際、Harderの制止を振り切って勝手に戦場へ赴いたという前科があった。
そんな彼の所属する『ヘヴィーズ』の部隊が単独で、悪党の巣窟に向かうとなれば、多少の違和感を覚えてもなんら不思議ではない。せめてバジルだけでも、参加人数の多い伊豆半島へ向かわせるのが正常な措置だと思われる。
それでもヴォルカンはバジルに、『真摯に任務と向き合え』と言った。
「……わかったよ。ここで、任務の成功を祈っててくれ」
先ほどの言葉は、単にバジルへの叱責なのか、それともバジルに自信を持たせ、信頼されている事実を教えるためのポーズだったのか――どちらにせよ、白髪少年の闘志に火を灯した。
ヴォルカンの肩を軽く叩いて、彼の美麗で勇ましい表情を一瞥すると、バジルは会議室の扉を勢いよく開け放ち、玄関で待ってくれていたマイたちのもとへ向かった。
ビルから外へ出ると、ここまで聞こえてくる程に新川学園が騒がしいことに気付く。
学校内から雑踏を眺め、絶え間なく耳に入る大音量の音楽や一般客の声を意識していると、本当に何もしていなかろうと疲労感が蓄積してくる。しかし、たとえいち生徒が往来のやかましさにうんざりしていようと、労いどころか多少の慎みさえ人々からは感じられない。
だが、それも遠くから聞いていれば――喧騒の要塞が一変、野次馬根性を刺激する魅力的な賑やかさを纏った娯楽の宮殿、そんな夢の詰まった素敵な建物に見えてくる。
尤も、これからバジルたちを待ち受けているのは、暗くて薄汚くて、もはや道徳や人情など消え失せた超退廃的な魔境なのだが……そんなことをバジルたちが知る術など存在しない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
数時間後、バジルとマイを含む、作戦部『ヘヴィーズ』部隊は、房総半島の西側、臨海部の近くに生い茂った森の手前で車を止め、それぞれが息を殺しながら降車する。幾ら目に見える森の規模が大きかろうと、2車線の市道が思い切り通っている時点で、恐らくこの付近に秘密基地のような場所はないだろう。というより、ここみたいな開けた場所で新種のUMA的存在が生活している状態を、あまり想像したくなかった。
「そ、それで……疑惑のある地点まで、どのくらいあるんだ?」
降り注ぐ陽光と樹木の高さの関係でほとんど先の見えない怪しい森を前に、バジルは遠慮もなしに顔を引きつらせる。彼の表情は一見すると、嫌悪と使命感の葛藤で歪んでいるようにも見えるが、そこまで器用なことはできないため、単純に、異常な雰囲気を醸す目の前の森林に対する不安感が彼の表情を歪めていた。
確かに、前途多難を絵に描いたような深い森をひたすらに進むとなれば、目的地としている場所までの距離は非常に重要だ。途中で遭難してしまっては、さすがの新人類でも、お手上げであることに変わりはないのだから。
不安と恐怖に駆られ震えたバジルの声に、『ヘヴィーズ』のリーダーであるマイは無表情で淡々と答える。
「直線距離は凡そ2キロメートル。でも、ジルが気に入らないなら、ルートを変える」
「素直に目的地までの距離を聞いて落胆したかったんだけど……いや、今のままでいいです」
人一倍、仕事熱心で実直なマイから、なんの捻りもない返答を期待していたのだが、故意にあと付けされたような奇妙な気遣いが目立ってしまい、その場を包んでいた小気味よい緊張感さえも虚空に霧散してしまった。あとに残ったのは、異様な静けさのみ。
大抵の場合気まずい空気になると、ムードメーカー役の人間が機転を利かせてその場を盛り上げたりするのだが、生憎この部隊にそういった人種はいなかった。
求められれば期待に応えようとするが、何事も口で言わないと理解できないバジル。
無表情且つ無口で他人とのコミュニケーションがもはや不可能に近い状態のマイ。
彼らほど特殊でない他の同志たちも、大体はそれに準じるような特徴を煮詰めて固めたような風貌・人格をしたものが多い。
上辺では個性を尊重するとのたまいながら、世俗の範疇から僅かに外れただけですぐ他へ追いやろうとする排他的な現代社会において、これほど個性にまみれた一団は、その実あまり珍しいものでもない。だが、根底から現代の人類と異なるマイと愉快な仲間たちが、個性的な団体の中でも類を見ない異常な連中であることは事実である。
そう結論付けても、やはり今の異常な静けさに対する嫌悪感は拭えなかった。
――到着しても出発しない状態がしばらく続き、ついに忍耐の限界を超えたバジルが、
「よし、俺が先陣を切る! みんなは俺の背中に付いて来いっ!」
「ジル……一人で行くのは、危ないから……」
「え、あ、そう、だよね。ごめんなさい……」
相変わらずの冷徹な眼差しで呼びとめられると、我に返ったバジルは激しい羞恥に駆られ、森へ突き進むことなく道路脇で二の足を踏む。
いざ、敵対勢力の本拠点らしき場所を前にして、確たる証拠がないまま捜索を開始するか、敵対勢力が何か行動を起こすまで待機しているか、バジルは決めあぐねていた。
現在リーダーシップを取るマイに決定権を半ば委ねられている以上、バジルが身勝手な判断を下すことは、当然ながら許されない。彼と彼女の決定次第で、10人超の人間の未来が大きく左右される。
「ジル、これからどうするの?」
「う、うぅーん……」
マイの言葉に対する回答を濁している暇などないとわかっているが、バジルの脳はなかなか決着をつけてくれない。
渋って、避けて、誤魔化しても、猶予が延長されることはないというのに、本人の意志とは裏腹に脳は結論を出すことを拒んでいるようだった。
――それならもう悩まなくていいと言わんばかりに、マイはバジルの手を引いて、
「全員、わたしとジルに付いてきて。万が一過激派の人間と遭遇しても、むやみに刺激せず、早急にわたしへ知らせること。では――行きましょう」
バジルが提案する前に、マイは一人で同志たちを纏め上げる。バジルがすぐにできなかったことを易々と成し遂げた彼女の姿に、普段のアンニュイ且つマイペースな雰囲気は微塵も感じられない。そこにいるのは隠れながらに統率者の器を持つ、心優しい美麗な女性だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
血の香りに慣れることが、まさかここまで苦痛だとは――。
上体を前に屈めた前傾姿勢で、ひたすら森を奥へ奥へと進む己を、大型犬か何かと錯覚してしまいそうになる。今の自分がどれ程惨めで滑稽なのか、それは自分自身がよく解っていた。
森のとある場所から途絶えることなく薫ってくるそれは、人血特有の臭いに他ならない。
距離にして数百メートルもの距離があるにも関わらず、血の香りに敏感な少年が激しくむせ返るほどに、強烈な死臭が漂っていた。
それは、視覚ですら吟味したくない血液の色艶や動きの情報を、遠くにいるはずの彼の嗅覚へダイレクトに発信してくるものだから、堪らない。
少年は独り悪臭に耐えながら森を突き進み――そしてようやく、周囲に充満した悪臭の源泉、つまり血だまりのある場所へ辿り着いた。
この現場を詳細に説明するとしたら、最初に思い浮かぶのは『数多のミイラ』である。
――――――――――――。
幾つもの戦場を乗り越えてきた傭兵たちでさえ、この現場を見た途端に絶句した。中には両目を大袈裟に覆い隠す者もいたが、そんな生半な抵抗で、湧き上がってくる嘔気と嫌悪感から逃れることができるはずもなく、すぐに自らの足下へ泡と胃の内容物をぶちまけた。
死の香りに耐えかねた結果、激しく嘔吐する同志たちを見て――今まで封じ込めていた様々な感情が一気に込み上がってきたため、どうにか体液の逆流を堪えていた者たちまで次々に、濁った黄色い体液を嗚咽交じりに吐き出す逆噴水へと成り下がってしまった。
――と、このような形で作戦部『ヘヴィーズ』部隊は半壊した。
身体を蝕む倦怠感と死体への嫌悪に押し潰されず、冷徹な面持ちで状況を俯瞰することができているのは、バジルとマイと……否、この二人だけである。
「なあ、マイ……こんな状況下で、2対10はどうしたら勝てるかな?」
刀身が黒色と、鍔の上に描かれた紅色の一本線だけで彩られた無属性サーベルを左右に1本ずつ持って、広く立ち回れるように股を大きく開く。
焦燥を孕んだ早口で不安を零すバジルの後ろには、いまだ恐怖心と嘔気に抗い続ける同志たちの姿。
そしてバジルの守り切れない反対側に、同じく大きく足を開き腰を落とした態勢で大太刀を構えるマイが、目の前でおぞましい鮮血の剣をちらつかせるローブの輩を、鋭く睨みつける。
「ジルとわたしなら、すぐに片付く」
「それが予言だって信じたいなぁ……」
普段どおりのマイが妄言をのたまい、バジルはそれが今ここに顕現して欲しいと切に願う。
バジルが小さく嘆息したその刹那――血潮が、まるでアーチを描くように宙を舞った。
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