31.狂乱波乱の舞台演出Ⅳ

 薄暗い洞窟内に絶え間なく飛散する、艶めかしい液体。

 鼻孔を貫く金属臭は時間経過と共に濃度を増し、宙空を舞う黒い滴はすぐに冷えた岩の地面へと落下する――ただただそれの繰り返し……。

 耳をつんざく悲鳴と四肢を斬り落とす時の濁音が、狂宴の会場にBGMとしてゆるゆると流れる中、激しいパフォーマンスが繰り広げられていた。


「斬ッては落としィ! 接着工程を眺めつつゥ……またァ斬ッて落とす!」


「――。――。――」


「へへッ、おォい、すげェじゃン!? まるで、エンドレスのスイカ割りみてェだ!!」


「――。――。――」


 強靭な双刃による苛烈な斬撃と激痛が、痙攣し続ける全身へ、まるで堰を切ったように襲いかかる。意識のほうはすでに感覚というものを拾うことをやめており、今もなお立ち尽くしながら、鮮血と肉片と雄叫びを周囲にまき散らしているのは、完全に無意識下での事象だった。


 ニーデルが本物の自在剣を装着してから、ずっとこの状態が続いている。


 新人類たちの間で『魔剣』と呼ばれるその得物は、バジルが精一杯の抵抗で無地の剣を振りかざそうとも、まるで木の棒を折るように易々と両断してしまった。それが始まり。


 腰を抜かしたバジルの右肩から入刀し、泡立ち濁った血液を纏いながら身体を両断する。

 しかし、幾ら叫び声に怨嗟の念を込めようと、バジルの意識は残ったままだ。

 心の臓物を経由し二つに分断された、絶命寸前の肉体は、なんとか命を絶やすまいと必死に治療を行う。彼の人間離れした自然治癒力は、大量出血から来る倦怠感や失望感をはっきりと残したまま、患部のみを治してしまう。肉体と精神の感覚の乖離によって、バジルは不本意ながら自己修復を繰り返すサンドバックと成り果てていた。


 もはや彼の自意識など介入する余地のない一方的な暴力――その一言が現状の全てだ。


「おらァ、ジルくんよォ。なンとか言ッてくれよなァ? これじゃァ、退屈じゃねェの」


「――。――。――」


「あァ、そォかよ。サンドバッグは、言葉ァ喋ンねェッてことな?」


 下卑た笑みを浮かべて、先ほどまで血肉を周囲にまき散らしていたバジルの青白い肌に刃を突き立て、骨ごと腕を貫く勢いで突き刺し、かき混ぜる。


 グチャッ。ビキッ。ビチャッ。フシュゥ。ニチニチ。バキバキッ。グチャッ……。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「あハハハ、ハハ、ハハハハハッ――!!」


「――。――。――」


 もう、この狂宴がどのくらい続いたかわからない。20分を超えているのは確かだ。

 血塗れた生温い床に座り込むバジルは、叫びすぎて声が出なくなってしまい、現在は斬撃を食らうたびに、掠れ声を絞り出しながら痙攣と吐血をただ繰り返すだけの、汚らしい肉人形と化している。その姿は凡そ人間と呼べるものではない。


 腕が下に落ちた。すぐ治った。


 指が吹き飛んだ。すぐ治った。


 肩から斬られた。すぐ治った。


 心と体の臓物を抉り取られた。すぐナオった。


 首を飛ばされた。すぐ直った。


 朦朧とする意識の中で、バジルが何度も口にする言葉。しかし一つとして、声にはなっていない。

 はっきりと意識が残っている分だけ、それら残虐な行為の一つ一つが余計につらい。斬られた感触も、穿たれた感触も、裂かれた感触も、抉られた感触も、全て記憶と心に刻み込まれている。


 長時間に渡る残虐な悪戯で、最高に高まったバジルの感性を、様々な形状の苦痛が容赦なく蹂躙する。

 もはや「痛い」や「苦しい」の言葉では表現できない、重厚且つ大容量の悪感情が一定のテンポで流れ込んでくるため、彼の自意識を溜め込んだダムはすでに決壊してしまっていた。虚ろな青白い双眸、情けなく半開きになった口、痙攣と出血・止血をひたすら繰り返すだけの身体がその証左だ。



「ジル、ジル、ジル、ジル――ぅ!?」


 バジルの帰りが遅いことを心配したマイが、狂宴の舞台にやって来た。

 血だまりと、分裂した異常な数の肉体、そして哄笑するニーデルの眼下で力なく座り込んだバジル。

 前述の光景を目にしたマイの表情を――刹那、どす黒い怒気が包み込んだ。


「この……っ!!」


「あハハハ、ハハハ、ハハァ――」


 瞬く間に、大太刀で空間を横へ一閃したマイ。

 彼女とニーデルとの間は20メートル以上開いていたが、怒髪衝天する天才剣士には関係ない。光線を断ち切るがごとき速さで薙ぎ払われた刀剣は、どんな業物でも敵わない切れ味を誇るカマイタチを生み出し、前方で不快な笑い声を上げる狂人に向かって発射した。


 しかし、眼前の惨状にかなり動揺しているマイの太刀筋には、迷いが生じていた。

 左肩から斜めにニーデルの胴体を両断するつもりだったはずが、左手の震えのせいでかなり上方にずれてしまい、結局カマイタチは金髪狂人の左肩だけに炸裂。

 だが、激昂して放った本気の一撃なだけに、ニーデルの肩からはおびただしい勢いと量の血液が流れ出でた。


 するとニーデルは、濁り色の長い前髪が濡れるくらいの勢いで血を吐いて、頭部を後ろへ投げやった反動で後方に大きく倒れ込む。

 思い切り白目を剝き、紅い体液の混ざった泡を吹きながら横たわる彼の両手には、いまだに自在剣が握られていた。しかし――血の霧で創られる刀身が跡形もなく消え去っている。


「……ごめんなさい」


 ひどく沈鬱な表情で、謝罪の言葉を述べるマイ。

 彼女の謝罪は、一方的になぶられて心身ともにボロ雑巾のようにされてしまったバジルへのものと、そして貧血状態になるまで自在剣を使用させてしまったニーデルへのものだった。


 尤も、彼女は何も悪いことなどしていない。バジルに任された残党狩りも速やかにこなし、元より指示されていた「過激派の輩の捕縛」も済ませてから、なかなか帰って来ないバジルを迎えに来た、ただそれだけのこと。

 仕事熱心であまつさえ仲間想いの彼女は今、目の前で絶望感に打ちひしがれる少年を、涙で潤んだ瞳で見つめていた。その表情は悲哀でもなく、憐憫でもなく、慈愛でもなければ同情でもない。いつもの、平常で非凡な無表情である。


 このあと、マイと他の同志たちが協力して、生存している過激派の連中と今にも干からびて死んでしまいそうなニーデル、そして誇りも根性も傷だらけにされて憔悴しきったバジルを、今日中に帰るため急いでエコービルまで運び出した。


 エコービルに到着した際、ヴォルカンがバジルに結果を訊ねても、


「俺は負けた。自己修復の欠陥に気付かず、唯一自信のあった痛み耐性も、大したことはなかった。俺は魔剣がないと死ぬ。俺は魔剣がないと、自分の能力に依存しすぎてしまう……」


 ――と、延々自己嫌悪を語り続けるだけだった。

 

          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 2021年10月24日日曜日。神奈川県川崎市、『隣人荘』2階、楠森家。

 午前9時。


 いつもと同じように天井を眺めていた。

 彼の目線の先にはベージュ色の壁紙と、存在すら朧げなコバエたちが見えるだけ。ただそれだけで、ずっと代わり映えしない天井。

 熱視線を浴びせても焦げないし、誰かの愚痴を零しても口を挟んでこない、全てにおいて平々凡々なアパートの天井のままだ。


 バジルはそんな天井を眺めていると、ひたすら平凡な白壁と異常極まりない自分のこれまでとを、いつの間にか比較するようになっていた。


 たかが白壁だが、彼奴は大抵の不幸を遠ざけることができている。放火魔や泥棒、解体業者とさえ遭遇しなければ、安寧な日常を満喫することができる、自身の権利をしっかりと主張できる存在なのだ。


 対して、バジルはどうだろうか。生まれる前から宿していた特異な能力については仕方のないことだが、最近ではヴォルカンの作戦に振り回されてばかりいる。

 断るという選択肢がないのなら、現状を甘んじて受け入れるべきなのに、どこか意地を張っている部分が時折露になることは、本来あってはならない。

 啓示のごとく自らに受け渡された運命に対して、拒絶か甘受しか選択肢はないというのに、どうにかバジルはその中間に居続けようとしている。

 決定権をかなぐり捨てて、状況と流れに身を任せようとした結果――心も体も極限まで壊されてしまい、あの時信頼してくれたマイから直々に休養、もとい戦力外通告を言い渡されたバジルの姿は、滑稽極まりないものだった。


「あー……挽回、いつできるだろう……?」


 無自覚に、開け放題の口元から本音を零した。普段ならマイの対応に憤り、ふてくされてしまうバジルだが、今回は休養の言葉を甘んじて受け入れ、こうして素直に自宅で怠慢な時間を過ごしている。彼の言葉は、傷ついてもはや戦力にすらならなくなった自分自身を励ますためのものだったのかもしれない。

 

 しかしこの日から数日後、バジルは精神面・身体面ともに完全復活を遂げた。

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