15.悪党

 2021年8月15日日曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』前道路。

 午前10時。


 休日の昼前、普段閑静な住宅地に『銃声』が響き渡る。

 そんなテレビ特番で挙げられそうなデタラメな情景が、今すぐそこにあった。


「――ルージュ、状況をお願い」


「だっ、代表……本日未明、カーン派と思われる工作員が『エコービル』内に侵入し、開発部で保管されていた自在剣を屋外に持ち出したところ、防犯装置が作動し警報が鳴りまして……現在、東京方面へ逃走中の工作員と同志たちが交戦状態にあります」


 けたたましいサイレンの音にいざなわれ、ビルの外へやって来たマイ。そしてビルの入り口で対応に追われていた緋色の髪の少年に、現状報告を受けた。


 少年は「東京方面へ逃走中の工作員」と述べていたが、実際はビルのほんの少し先で戦闘が繰り広げられている。どこで使用しても銃の発砲音は大きいのだが、銃声や絶命時の叫び声がビルの前まで鮮明に響いてきているのがその証左だ。


 しかし、幾ら日中は人が少ない住宅地だとはいえ、ここまで大規模な戦闘を行っていれば、普通は誰かが気付くはずだろう。人避けの魔法や闘争の絶えない異世界の話ならまだしも、いまだ非科学的な存在に対して否定的な2021年の町中で、戦闘が勃発している。


「住民のほうは、どうしているの?」


 マイも周囲の住民のことが気になり、ルージュという少年に再度訊ねる。


「……それが、俺らにも住民がどうなっているのか、把握できていません。憶測ですけれど、カーン派がなんらかの方法で戦闘を隠蔽してるんでしょうね……ですが、それがいつまで保つのか、有効範囲はどれ程のものなのか、それら一切が不明です」


「……そう」


「はい。ですんで、現在カーン派工作員を追っている同志たちには、極力拳銃の使用を控えるように伝えてあります。ですがこの様子だと、恐らく苦戦を強いられているのだと……」


 天然パーマのかかった赤髪を忙しく撫ぜて、少年は震えた声でそう言った。

 

 するとマイは左手の大太刀を両手で握り直し、右腰の鞘へ剣を込めるように構えた。肩幅の2倍近く足を広げ、膝が直角なる手前のところまで腰を落として前を見据える。

 その姿勢はまさしく、右腰に携えた剣鞘から瞬く間に剣を引き抜き一閃する、熟練の剣士のものだった。


「え、代表……何しているん、ですか?」


「研磨を限界まで行い、空間を斬り、迅速に現場へ向かいます」


「いやっ、『空間を斬る』って……今から双葉さんにバイクを頼みませんか?」


 少年は真っ青な顔でマイの提案を否定するが、彼の意見などマイの耳には入っていない。

 彼女は何事でも一度集中すると、目的達成以外の事柄を全て脳内から抹消し、集中力の権化と成り果てる。その才覚はまさしく『作戦部のエース』と呼ばれるに相応しい、彼女の剣術を最大限まで高める固有スキルだ。

 そしてマイは少年への宣言ののち、ゆっくりと刀身を無形の鞘から引き抜いていく。


 ――しかし彼女の剣は一切の滑らかさを帯びておらず、まるで風の流れをなぞるように、優しくゆっくりと鞘から刀身を露にする。

 相手を威嚇するような鋭い目つきで、マイは徐々に刀身を引き抜く。


「――え、な、なんでそんな音がするんですか……⁉」


「…………っ!」


 非現実的すぎる情景に、緋色の髪の少年は驚愕の表情を禁じ得なかった。


 刀身の長さから、マイはすでに無形の鞘から刀剣を解放し終えているはずだ。しかし彼女の剣を鞘から引き抜く動作は、いまだ継続している。もうすでに、柄を握る両手がくびれより左側に来ているが、大太刀は軋みと小さな火花を散らしながら空間を滑り続ける。

 彼女が『空間を斬る』と断言したとおり、大太刀の通った場所には剣戟の跡が残っていた。そこには同じく痕跡として、銀箔のようなものも僅かに浮遊している。それこそ彼女が最初に言っていた研磨の軌跡なのだろう。



「――行ってきます」



 言い放った刹那――マイの足下で旋風が巻き起こり、赤髪の少年は後方へ吹き飛ばされた。そして少女は『何か』をして、一瞬のうちに約20メートルの道路を駆け抜けていた。彼女の移動モーションの糧となったはずの『何か』は、速すぎて少年には認識できなかったが、向こうに見える彼女が左側に大太刀を携えていることから、


「一閃するのと同時に、前進したのか……?」


 少年はその結論に達したが、それでは彼女の運動神経に関する欠陥や、移動距離の異常な長さを説明することはできない。

 考えうる可能性は「剣と共に回転しながら前進した」というものだけだが、少年はその可能性を信じたくはなかった。物理法則を完全に無視し、且つ殊更に自身と刀身から風を発生させたという事実が、マイが普通の人間ではないことを決定的なものにしていたからだ。


「やっぱ、俺ってローレンスじゃねぇのかな……」


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 マイは新川学園に通じる十字路に辿り着くと、すぐに銃声のする方向を確認する。


「……人数は7名。うち拳銃所持が3名、刀剣類所持が5名」


 正確に敵影の人数と武装を言い当てた彼女は、小走りで現場に向かう。


 現状は、自在剣の入った容器を所持した工作員2名を、恵光派とローレンス派の戦闘員が銃撃しているというものだ。逃げながら銃弾を避ける工作員から、仲間だと思われる敵影までの距離は凡そ120メートル。遠くの敵影は逃走用の大型ワゴン車に隠れながら銃撃を行っており、そこから数メートル手前に佇む紺色のローブを着た人間が、恐らく自在剣のケースを受け取る役割を与えられたのだろう。


 しかしその戦場にマイが参加したことで、戦況は一気に逆転した。


「……わたしが出ます。発砲を最小限にして」


 マイの声は銃声にかき消されるほど矮小なものだったが、同志たちは確実に彼女の指示を聞きとり、返事と共に数名が拳銃をサーベルに持ち替える。


「わたしの一閃で道を開きます。その後すぐに車を襲撃し、捕縛してください」


 少女の声を合図に、剣を持った同志たちは前傾姿勢をとり、次の合図を待つ。

 一同が準備を終えたのを確認したのち、マイはゆっくりと歩みながら大太刀を『∞の字』に振り回し始めた。その速度は段々と増していき、刀身の纏う冷風もその規模を拡大していく。


「……ごめんなさい」



 逃走用のワゴン車まで50メートルを切った工作員たちは、余裕の笑みでマイを一瞥する。


「「――かっ、はっ……⁉」」


 しかし振り向いた彼らはそのまま前へ向き直ることが叶わず、二人同時に背中から一文字の血潮を噴き出して、コンクリートに倒れ込んだ。狙って投げたかは不明だが、片方の男は持っていた自在剣の容器を前方に勢いよく投げる。


 マイの一閃の直後に飛び出した戦闘員がケースの確保に向かうが、彼らの走力とケースの飛距離が大きく違ったため、彼らより先に敵がキャッチしてしまった。


「マズい、奪われたぞ⁉」


「総員、彼奴を発砲しろ!」


「『ヘヴィーズ』は早く追えっ!」


 恵光派とローレンス派の同志たちは一斉に取り乱し、次の行動になかなか移ることができない。

 対して、先ほど自在剣のケースを回収した小柄な体躯の人影は、弾幕から逃げるように近くのワゴン車の中へと消えていった。

 その人影とケースを護るように、紺色のワゴン車からは、続々とローブを着た人間が降車してくる。彼らは各々利き手に剣柄を握っており、それぞれのタイミングで延長線上に風を纏い――目に見えない刀身を創り出した。


 ――それは明らかな殺意、敵愾心、恐怖の表明である。


 彼らの心情と行為に対して、マイは少しだけ端整な顔を歪める。戦闘に特化した能力を持ち合わせていながら、その実、彼女は戦いを好んでいなかった。

 戦場において、敵への情けは嘲笑であり、敵を恨んで殺すことが尊敬の証なのだ。幼い頃にそれを教えられた少女は、決して戦いを拒むことをしない代わりに、胸中では幾度も自己嫌悪を繰り返している。それでも彼女は、父親や同志のために戦い続けている。


 だからマイは、相手から向けられた負の感情を絶対に蔑ろにしない。彼らが殺意を向けてくる限り、彼女自身も全力の殺意と剣術をもって、慙愧の念も罪悪感も残らないほどに、彼らを大敗させる。


 マイは目尻を最大までつり上げて、冷たい微笑を口元に浮かべ、剣柄を握る両手に精一杯の力を込める。そして∞の字に振り回す大太刀の速度を上げて、ついにマイは全身に旋風を纏った。


「……ごめんなさい」


 律儀な彼女は、敵を確実に討ち取れると判断した時、相手に対する謝罪を述べる。

 冷たくて甘い響きは銃声に溶け、誰の耳にも入らない。むしろそれで良かった。マイは深く息を吸い込んで、自身の周囲を駆け巡る刀身を目の前で制止させる。


 そして――左に旋回してからの一文字斬を繰り出し、その鮮やかな剣戟に沿って現れたカマイタチを、眼前軽々と銃弾を弾くローブの人間たちへと発射した。


 ――しかしその見事な風の斬撃は、突如飛来した黒い影によって分解されてしまった。

 マイは彼の顔を見た瞬間に、全身を粟立たせる。それは恐怖にも似た昂奮感だった。


「あァあァ、勿体ないねェ。いーィ剣だったンだがなァ」


 若干褒め言葉にも聞こえる、慇懃無礼な低い声。

 彼の人格をそのまま映したような、黒く濁った黄土色に近い金髪。

 飢えた野獣のごとく鋭い目つきと、淡泊な白色をした面長の顔。

 見間違いようもない程に特徴的な真っ青の衣装に身を包んだ男は、以前と同じ下卑た笑みを浮かべている。


「ンじゃァ、二人分のお礼参りといこっかァ?」

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