14.衝突と邂逅と

「あっれェ、こりゃ失敬。あんたンとこの野郎だったか!」


 足下に転がる醜く歪んだ顔面を踏みつけながら、男は下卑た笑いを浮かべた。

 しかし少女の表情に一切の変化、もとい嫌悪感を確認することはできず、男は訝しげに首を傾けながら低い唸り声をあげる。

 疑心と好奇心に満ち満ちた双眸で少女をよく眺めると、男は突然片手を上げ、


「あァ、あんたムシャってヤツだろ? だったら『レッドフレーム』だなァ!」


「…………?」


 男の発言も挙動も、少女には一切理解できなかった。

 だが少女の戸惑いなど気に留めない男は、両腕に付着した生々しい艶を帯びた赤黒い液体を周囲にまき散らしながら、少女のほうへ徐々に詰め寄る。

 男の右手には、鮮血にまみれた細い棒と、その延長線上にまだ新しい血痕が浮遊している。少女は彼に戦闘の意志があると判断した途端、左手の長刀を両手で握り直して、相手に突き刺すような体勢で切先を向けた。


 腰を低くした彼女は、今すぐにでも男へ飛びかかれるように剣を少し後方で構え、左足で地面を思いっ切り踏みしめる。


「殺気立ってんじゃねェか……俺ァただ、帰り道がそっちなだけだっつのー」


「跳躍でわたしを飛び越え、帰路につきなさい。従わなければ、両断します」


「無茶ァ言うんじゃねェよ。俺ァ、アムロじゃねっつの!」


「…………?」


 少女が警告とともに睥睨しても、男の足が止まることはない。むしろ愉しげに哄笑を上げながら、確実に少女のほうへ歩み寄ってくる。

 いよいよ身の危険を感じた少女は、遠くに見える仏様への供養に「すみません」と囁くと、引き絞って構えていた大太刀をまっすぐ横へ一閃する。するとその剣戟はカマイタチとなり、正面から歩み寄って来る男へ襲いかかる、


「――Dissolve」


 少女が剣を振り終える直前に、男はナイフの柄を分解していた。風から作られた刀身が消え去るのと同時に、付着していた血液が一気に地面へ落下する。

 そして斬撃の方向と垂直に柄を持ち替え、指で側面をなぞると――カマイタチは一瞬にして霧散してしまった。


「あァあァ、悪いことしたなァ。つっても、効果は風ン時と同じだけどなっ!」


「……次は、確実に殺めます」


 男の挑発的な発言に憤りを感じたわけではないが、少女の中で焦燥感に近いものが芽生え始めていた。それをわかったうえで男はその場から動かず、少女からの攻撃を促すように手招きをした。


 少女は次で決めようと思い、右側へ振り切った太刀を一度前で構え直し――柄の部分で地面を叩くがごとく、刀剣を上下に大きく振ってみせた。


「あァ……? そりゃアレか、あんたら特有の儀式かなんかかァ?」


 男が疑心に駆られるのも無理はない。

 少女の不審な動作が終わっても、彼女の周囲に一切の変化はなかった。

 ただ刀身を自身の身体に沿ってまっすぐに持ちながら、道路の中央で佇んでいるようにしか見えない。少なくともこれから戦闘に臨む姿勢にはとても思えないため、最初は狂人ぶっていた男も、今では住宅地特有の静謐さに身を委ねている。

 そんな時間が数秒ほど続き、ついに少女は攻撃を開始する。


 ――しかし、あまり運動を得意としない少女の走力は、眼前の男に途中で逃げられてもおかしくないほどにひどいものだった。


 男は彼女の走る姿に思わず吹き出し、意地悪な表情で勢いよく後方へ飛び退いた。


「おいおい、レッドフレームよォ……あんた、ひっどい鈍足じゃねェのォ⁉」


「…………っ!」


 しかし男の稚拙な罵倒など耳に入らず、少女は健気に走り続ける。


 このまま鬼ごっこ状態が続けば、戦闘が終わる前に誰かが来てしまう――双方ともにそんな気がしてならない。なぜならたった今、新川学園のほうから終業を告げる鐘の音が鳴り響いてきたからだ。


「なァ、鈍足のレッドフレームよォ……俺ァもう帰らせて貰うぜェ?」


「…………」


 声高にそう宣言すると、男はバックステップを中断して制止し、急に少女目がけて勢いよく走りだした。

 男の脚力は異常で、ステップ並に少ない歩数で数十メートルを軽々と進んでいく。


「――おっつァん、悪いが踏ませて貰うぜェっ!」


 先ほど、自らが手をかけた若い男性。もはや人型の原型を残していない彼の遺体を踏切台にして、男は空高く跳躍した。飛距離も相当長く、的確なコントロールで少女の頭上へと飛来する。


「おっるァァァァァァァァっ!」


「――っ⁉」


 少女は奥歯が軋むほどに歯を食いしばり、天上からの斬撃を太刀で受け止める。

 男の細身な体格と武器の大きさからあまり威力はないが、小さな余波が生まれるほどその衝撃は凄まじいものだった。


 少女は長刀の柄を両手で握りながら、コマの紐を引くように左側へ瞬時に滑らせる。すると、男は頭上で一回転したのち、器用に自分のナイフの刀身に足を乗せ、少女から遠くに後退った。


「あァあァ、これだから同種は嫌なんだよなー」


「……次で、最後、です、から」


「あら、俺よか消耗してんのォ? レッドフレームなァ、もう帰って寝ろよォ」


「わたしは仕事を全うする。放棄は命令違反、論外」


「律儀だねェ、うざったいけどな」


 男がそう呟いた刹那――頬からとめどなく何かが溢れ出でてきた。

 頬から顎に渡って妙な温さを覚え、男がそっと触れてみると、間違いなく自分の血だった。


「てめェなァ……不意打ちは嫌じゃねェが、それは俺の場合だっつの」


「…………」


 少女は無言で、再び刀身を垂直に構え、上下に勢いよく振ってみせる。何度も、何度も。

 男はいよいよ腹が立ってきたらしく、もの凄い剣幕で歯ぎしりをしながら、動作を繰り返す少女に向かって走り出した。

 すると少女は、最初と同じように刺突の姿勢をつくる。腰を低くして、両手で持った太刀を後方へ引き絞りながら、相手が特定の範囲内に侵入するまでひたすら待つ。



 ――――今、




「なっ……ロ、ング、ソード……⁉」


「おォ、今日一のイイ顔じゃねェかっ。やっぱ美人はいいねェ!」


 少女は確かに、最高のタイミングで男に刺突を見舞った。だが長刀の切先は男の脇腹のすぐ横の空虚に突き刺さり、また余波として発生したカマイタチも巧くかわされてしまった。

 対して、少女の刺突を見事に回避した男は、コラージュ・ナイフなら絶対に届かない距離にあったはずの少女の手の甲に、一文字の傷跡をつけた。そして前進の勢いをそのままに、少女を軽々飛び越えて背後を取った。


 少女は手の甲の傷と男の脅威の身体能力に気を取られ、振り返るのが遅くなってしまった。


「――っ⁉」


「じゃあな、鈍足のレッドフレームゥ。また来てやるよォ」


 男の声が聞こえたのち、少女の顔面に向かって『赤い液体の入った瓶』が飛んで来た。

 少女は反射的に瓶を一閃する――。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 どこからともなく現れた閃光に包まれた少女は、しばらくして目を覚ました。

 辺りを探しても、金髪の少々イカれた男の姿はない。そして、理由もなく殺されてしまった同志の男性の遺体も、どこにも見当たらなかった。

 少女は負傷した左手に、銀の得物を握りながら、ただ徒に佇んでいた。


「(そろそろ雨、降らないかなぁ……)」


 そんなことを考えている時間も、ここに居ていい理由も彼女にはない。本来ならば早急にこの場を去らなければいけないのに……なぜか、ここに居たいと思った。

 曇天から僅かに差す陽光が、血の滴る長刀を艶やかに照らしている。この光景は確かに美しいのだが、傍目では死の予兆にしか感じられないだろう。

 


「(それにしても……なんか、いるなぁ……)」


 少女が感じ取ったのは、怯えと好奇心でぐちゃぐちゃになった足音。

 彼女は足音を聞いただけで、他人が只今どういった心境をしているのか、ほとんど正確に把握することができる。素晴らしい才覚ではあるが、他人との密なコミュニケーションをあまり得意としない彼女からしたら、まさに宝の持ち腐れだ。


 そんなことを考えていると、唐突に、誰かの足音の中にある感情が混ざった。

 間違いなく……恐怖だ。


「(わたしって、怖いかしら……)」


 わからない。少女は、自分のことがよくわからなかった。

 だからちゃんと聞いてみようと、その誰かのほうを振り返る。



 しばらく見つめ合って、何かを確信したらしい白髪の少年は、


「……や、やあ」

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