16.誂えた衝突

「ンじゃァ、二人分のお礼参りといこっかァ?」


 男は平淡な口調でそう述べると、白く華奢な右手に握ったグレーの剣柄を天空へ一直線に掲げ、己の存在を誇示する。天高く昇る太陽の光がほんの一瞬、灰色の柄の延長にある見えざる刃を橙黄に照らした。


 ――突如として現出した派手な衣装の細身な男は、実に狡猾な人間だ。


 男の腕を高く掲げたポーズは一斉射撃の合図だった――そのため、彼の姿に動揺した恵光派とローレンス派の戦闘員へ向けて、前方百二十メートルから銃弾が雨あられ。


 避けようのない弾丸の嵐を、同志たちの先頭に立っていたマイは、大太刀を高速で回転させながら必死に弾き返す。己の身体を優に超える長さの刀身と驚異の軽さを生かして、弾道は見えずとも一発一発を確実に無力化していた。


「おォ、さッすがレッドフレーム。鈍足とはいえ、剣の腕はピカイチだなァ!」


 男は余裕の笑みを浮かべながら、額に汗して剣を振るっているマイを称賛する。男の笑顔は非常にアンニュイなもので、口調には表れていないが、現状に退屈しているようだった。

 男の合図によって一斉射撃は続き、マイも負けじと身を粉にして、弾幕から同志たちを守り続けた。


 そんな膠着状態が数分続いたのち、準備が整ったと言わんばかりにワゴン車のクラクションが戦場に鳴り響く。サイレンに並ぶ耳障りな音に、男は振り返って「先に行け」と指示する。


 

 ――自在剣を乗せたワゴン車は、すぐに戦場から離脱した。



 現時点で、恵光派とローレンス派の敗北は決定。

 マイに注がれていた鉛の雨がやむと、ローブを着た輩は歓喜に胸を躍らせ、マイを含む同志たちは最大戦力を失ったことに愕然として絶望感に全てを支配された。元戦場だった閑寂な住宅地の道路、今そこに明らかな勝者と敗者がいた。


 しかしそれでもまだ、瞳に熱を灯した二人は、


「おい、あんたらァ。MS奪ったくれェで、はしゃがンでくれよォ。俺ァパイロットの相手すっから、あんたらァ帰って模様替えでもしといてくれァ」


「作戦部所属の者はワゴン車の追跡、『ガンズ』はわたしの援護、諜報部所属の者は捜査員の手配と逃走経路の割り出し、それぞれ直ちに行ってください」


 昂奮感に目を光らせる黄土髪の男と、黒色のポニーテールの少女は、それぞれの同志たちに的確な指示を出す。双方とも、声音と表情に鬼が宿っていた。

 そのため各々が指示どおりに動き出し、数分足らずで戦場は静寂に支配された。


「おいおい、律儀な性格のあんたらしくねェじゃンか。どーィう風の吹き回しだァ?」


「わたしの任務は工作員の捕縛。ここから立ち去らないなら、戦闘の意志があると受け取る」


「そんなことよりッ、自己紹介してねェよな?」


「必要ありません」


 マイと金髪の男、ローレンス派の戦闘員を含めた5名のみの戦場。

 男は相変わらず訛った言葉で御託を並べ、マイも生真面目な性格から彼の言葉にいちいち乗っかろうとする。彼らの自然なやり取りに戦闘員たちが不自然な汗をかいているとも知らず、さらに二人は茶番を繰り広げる。


「俺ァ、ニーデル・カーンっつってな。あんたとおンなじ、帰国子女なんだぜェ?」


「…………カーマイン・ローレンス」


「やっぱ、あんたァうざったいな。名前知っても、どゥせレッドフレームのまんまだしなァ」


 ニーデルが身勝手なことを言うと、マイは少々不機嫌な顔をする。普段の真顔に変わりはないが、若干眉根が下がり目がつり上がっているのがその証左だ。


 なんだか緩い雰囲気のもとで男女が会話をしているようにも思われるが、双方が利き手に刀剣を握りしめている。いつ一触即発の事態になるかも定かでない現状、二人の会話は異常そのものだった。


「つーか、俺にゃあんたみたいな大義名分ねェし。なんか理由決めンとなァ……」


 ニーデルの独り言だったが、なぜかマイは質問だと受け取ったらしく返答を述べた。


「わたしの目的は工作員の捕縛。その逆もまた然り」


「……あァ、あんたに捕まンないように、あんたをぶっ殺しゃいいのかァ!」


 ニーデルは刺突の構えを取って、そのままマイ目がけて走り出した。

 彼は前回と同じく驚異の身体能力で、走りながら自身に浴びせられる銃弾を確実に刀身でいなしている。

 拳銃で攻撃するローレンスの戦闘員たちは面食らって銃撃の精度が若干落ちてしまったが、マイは臆することなくその場で剣戟を繰り出し、カマイタチをニーデルに発射し続けた。


「あァあァ、そんなチンケなもンしか出さねェのかァ? 追いつィちまうぞォ?」


「…………っ!」


 挑発と共に、ニーデルはマイたちの50メートル前まで接近してくる。その間にも一切の休憩もなく銃弾を浴びせ続けたのだが、彼の身体に命中するどころか服にすら一発もかすっていない。


 ニーデルには生半な攻撃など通用しない、そう悟った戦闘員の一人が突然その場で倒れた。彼の身体は恐怖と自己嫌悪に苛まれ、異常発汗と微痙攣を起こし、今にも失神しそうだ。

 マイは集中しているため気付かなかったが、彼を介抱するために一人、また一人と戦闘員たちは銃をおろして、戦場にいるにも拘らず地面で縮こまった仲間に寄り添っていた。


「うっわァ、情けねェったらありゃしなィ。女一人に狂人ン相手任すかよォ⁉」


 その光景を目の当たりにしたニーデルは、マイに同情するような失望の色を顔に宿す。


 彼もまた戦場に身を置くれっきとした戦士であり、戦うなら死ぬまで逃げず、逃げるなら恥をさらすのが当然なのだ。中途半端に戦いを放棄し、自分たち戦士の誇りを冒涜するような真似をすれば、たとえ仲間だろうと容赦はしない。ニーデルは常にそういったスタンスなのだ。


 怠惰の滲んだ表情には僅かに怒りがこもり、ニーデルの剣戟と走る速さは加速度的に上昇していく。


「レッドフレームよか先に、てめェら野郎から掃除してやるよォ!」


「…………っ⁉」


 刺突の構えで猛進してくるニーデルにマイは薙ぎ払いを見舞うが、彼は常人離れした瞬発力と脚力を駆使して斬撃の直前に跳躍し、彼女の奥で団塊しながら膝をつく戦闘員たちのもとへ飛来する。


「今すぐ回避、その後一斉しゃげ――」


 マイは咄嗟に振り返って指示を出そうと声を張るが、彼女の目に入ったのは、外敵を前にして力なく座り込んだ同志たちだった。

 彼らは顔面を死への恐怖に歪めるも一切の抵抗なく、一人ずつ血潮にまみれていく。


 ニーデルの殺人には躊躇も容赦もない。自身の視界に入った部位を削ぎ落とし切り刻み、泣き叫べばアンコールだと受け取って彼奴の声帯・口腔・目玉を串刺しにする。

 元々疲れ切ったような表情の彼が、人体を解体している間に笑うことは決してなかったが、とにかく彼は耳障りな絶叫、飛散する臓器と肉片、絶望感に濡れた双眸、そして終極的に無抵抗でなぶられる姿を渇望しているようにも見えた。


 そんな残虐非道な彼の殺人を目の当たりにしても、マイは普段の冷静さを欠くことはなかった。


「あァあァ、なんつーかねェ……あんたらは色ンな意味で、殺し甲斐なさすぎィ」


「……ごめんなさい」


「ほォら、そうやって謝ンだろ? 普通は号泣、絶叫、糾弾じゃねェのか? 弔いは通夜ン時にしてくれやァ? ほんッと、そーィう弁えがねェ連中は嫌だねェ」


「…………」


 仲間の死に対してひどく冷静なマイを、殺した張本人のニーデルは嘲る。彼の言葉は、マイに人間らしい感情が垣間見えないと、そのまま言っているようなものだった。

 しかし、マイは自身を否定されてもなお、大股で刺突の構えをつくる。ニーデルは自分の皮肉に対する彼女の答えだと受け取り、切先をマイに向けながら少しずつ近付いていく。


 すると突然、ニーデルが走り出した。マイは彼の姿勢から刺突かバックスラッシュの可能性が高いと判断し、高く掲げた大太刀をニーデルの鼻先目がけて振り下ろす。


「ンまァ、そう来ると思ってたけどなァ!」


「…………」


 ニーデルはマイが剣を振り下ろした直後、バスケのドリブルのごとく身体を回転させながら彼女の右横をすり抜けた。さらに彼は通過する直前に刃を突き立て、マイの脇腹に浅く斬撃を見舞った。

 マイは痛みを感じた次の瞬間に振り返り、ニーデルを目で追う。


「レッドフレームよォ……攻撃が安直じゃねェのォ。やっぱ動揺してんなァ」


「…………」


 ニーデルが軽口で皮肉を言っても、マイの表情に変化はない。

 するとニーデルは唐突に、


「俺ァ、あんた気に入ったぜ! うちに来ねェかァ?」


「わたしには、ワイナーがいる。カーン派には入らない」


「今日だってなァ、あんたを引きン抜きに来たっつうのもあってだなァ?」


 ニーデルは根気強く自分の派閥へいざなおうとするが、頑なに首を縦に振らないマイ。そもそも横にすら振らないで、じっとニーデルのほうを眺め続けている。


 彼女の心情など全く読めないニーデルは、マイの表情があまりに変化しないため嫌気がさしたらしく、一度小さく嘆息すると、再び見えざる剣を天上に掲げた。


「ンじゃァな、今日はお別れだッ」


「…………?」


 ニーデルが呟いた直後――どこからか小型の物体が飛来し、マイの腹部を貫通した。


「――――っ⁉」


 マイは目の前の男が撃ったのだと判断し、小さなステップで後退すると、即座に右手で患部を押さえつける。幸いにも物体は貫通していたので、完治したあとの心配はない。

 漆黒のスーツさえ濡らす大量出血。患部を押さえる右手からはとめどなく鮮血が滴り落ち、マイの意識を徐々に奪い去っていく。


 ニーデルは今回でマイを殺めるつもりはないらしく、今はただマイの苦悶の表情を眺めている。愉悦に頬を染めることも、罪悪感に顔を歪めることもなく、それはひどく冷淡な表情だ。


「そンじゃァ、俺はこの辺で帰ろッか」


 

 ――捨て台詞の途中で、戦場にうら若い声が響いた。



          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……あァ、いや、誰だよ?」


 ニーデルはその少年を見ても、一体誰なのかはわからない。当然だ、今回が二人にとって初めての出会いなのだ。そのためニーデルは帰路につこうとする足を一旦止めて、突如姿を現した少年を見つめている。


「い、意外と苦戦してるみたいな……?」


 余裕綽々と不安を述べた少年の声に、マイが振り向いた。


「ジル……来たらダメ……」


「そういう訳にもいか――って、なぁ、マイ大丈夫⁉ 凄い出血じゃないか⁉」


 ようやくマイの怪我に気付いたバジルは、制止を呼びかけるマイの声など聞かずに彼女のもとへ駆け寄る。バジルが来た時には、マイの足下に血だまりができていた。

 どう見ても新顔の白髪の少年に、ニーデルは怪訝な顔で訊ねる。


「そこのチビッ子さァ……ホントに新人類なンかァ?」


「ち、チビだと……言われたことないぞ、そんな悪口」


「知るかよォ。お前は新人類かッて聞いてンだぜェ、どうなんだァ?」


「そりゃ、マイたちと一緒にいるんだから、そうなんだろ」


 ニーデルの質問に、渋りながらもバジルは淡々と答える。


 するとニーデルは何かに気付き、少し頭を小突いたのち、ニタァと下卑た笑みを浮かべた。


「あァあァ。お前、祭りン時に恵光の女といた奴かァ。その髪は覚えてるぜェ?」


「は、はあ……?」


「いいぜェ、今日は帰ってやるよォ。じゃァな、『ジルくん』」


 最後に意味深な言葉を残して、ニーデルは塀を飛び終えながら住宅地の中に消えていった。


 元戦場に残されたのは、バジルとマイと、無残に殺された元人間たちの肉塊。


 バジルにとって――彼の目撃した第一戦は、惨敗であった。

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