1.「楠森」という男

 2021年8月6日金曜日。神奈川県川崎市某所。

 

 帰り道だった。


「まったく……急に連絡があったと思えば、まさか補習させられるなんて」


 陽光と対の煌びやかさを纏う短い髪。頭頂部のそれを搔き毟りながら、小柄で華奢な少年は苛立ちを込めてそう述べた。ニュアンスでいうと愚痴である。

 学校指定のブレザーの制服を少し着崩したスタイルで、前のボタンは上二つ以外が全て外れている。子供が格好良さを取り違えたような外見だが、少年の見てくれと合わされば違和感はほとんどない。むしろ平常の着こなしにさえ見えてしまう。

 名前は楠森くすもり。近くの高校に通う高校1年生。


「うちの担任も理不尽がすぎる。下手したら訴訟問題だと思うけど」


 楠森は相変わらずの不満顔で、隣を歩く少女に同意を促す。

 彼の左横を歩く少女は、同じ学校のクラスメートである恵光えこう日和ひよりだ。


「ジルくんは先生から、呼び出された理由を聞いていないのかい?」


 淑やかな調子で訊き返した日和は、いじらしく茶色い髪の先っぽを巻いてほどいてを繰り返す。どこか疲労感の漂う表情が、まるで楠森を拒んでいるようにも見えるのだが。


「これまた随分お疲れのようで」


「わたしの問いに答えてくれないかな……」


 楠森は申し訳なさそうに日和を一瞥し、


「『素行不良』だってさ。俺のどこにそんな要素があるって話だよ」


「……ジルくんって本当に阿呆だよね」


 短く嘆息した日和は、包み隠さず楠森を詰る。


「そんなことないよ。今日の白いカチューシャも似合ってると思う」


「同じフレーズを聞きすぎて、もう喜べないよ」


 楠森が話題を勝手に転換したことに言及せず、日和は退屈に唸った。尤もそれは、深い同情の意もこもっているのだが……。彼女もまた被害者であることに変わりはない。

 

 川崎駅から徒歩約5分とアクセスの良い場所に建つ「私立新川学園」は、中等部と高等部が同じ校舎にある形態ではあるが、中等部の卒業生は他の高校へ入学することもできる。

 また都心の近郊地域にあたる川崎市ならではの静けさも定評があり、毎年のように溢れかえるほどの入学志願者が訪れる場所なのだ。

 それはつまり裏を返せば、入学者のほとんどが成績優秀ということになる。無論、今年度の新入生である楠森と日和も、その例外ではない。


「というより、今年は本当に運がなかった。なあ日和?」


 しかしこの学園の中高生、その両方の話題としてよく挙がるものがある。それは、


「そうだね。毎年、普通科の1組の担任は変人らしいし」


「早くも1年目で裏付けが取れたわけだ……」


「ジルくんは被害者であり、同業者だけどね」


 『1組の担任は変人らしい』という、噂より教師への悪口に聞こえるこの説が、残念ながら二人の前に現界してしまったらしい。ともすればその生徒もまた然り、というのが日和の意見でもあるのだが。

 現に、今日二人が夏期補習へ強制参加させられた件について。

 これに対する日和の見解は、


「まあ、どうせ。予定していた補習組に欠員が出たとか、そういう理由だろう」


「……なんでそう思ったんだよ?」


「あの教師のことだ。真面目な副担任に『不真面目な生徒を全員改心させてみせる』みたいな漠然たる啖呵を切って、いざ本番を迎えてみると数人が連絡もよこさず欠席した。といっても欠員はせいぜい3、4人程度。欠員としては微々たるものだったけれど、短絡的なあの教師のことだ、どうせ『失敗』だと思ったんだろう。それで見てくれが『不良』っぽいわたしたちを急きょメンツに加えて、外殻だけの補習組を再構成した……って、ところかな」


 それを踏まえたうえで、日和は楠森に向けた目線を少し上――彼の頭髪へと送り、


「……ジルくん、その髪をどうにかしないか? その見るからに頭の悪そうな色彩のせいで、わたしにまで飛び火している気がしてならないんだよね」


「マジでごめん。何が言いたいのかわからなかった」


 日和の言わんとしていることが、完全に理解できないわけではない。ただ結論として自分に皮肉を言いたかったのなら、無駄に遠回しなだけ腹が立っても仕方がないだろう。

 そうした楠森の心境を見透かしたのか、日和が上機嫌に鼻を鳴らした。


「……なんだよ、日和?」


「いいや。そんな君が、クラスメートの厚意に与ったという事実が、なんか夢みたいで」


「絶対に褒めてないだろ」


 そんな力ない憤りに、日和は爽やかな笑みを浮かべた。


 備考のようになってしまったが、楠森の本名は「楠森バジル」。白い髪の少年である。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「じゃあな。今日の夜はどうする?」


「質問をするなら先に挨拶はしないよね。ジルくんは迂闊だなぁ」


 日和の指摘にバジルが鼻白む。自宅のあるアパートの2階へ駆け昇った日和は、彼の反応の余韻を噛みしめて、謝罪のごとく一礼する。


「ジルくんは、その様子だと余暇のようだね。夏休み中に余暇って表現もおかしいけど」


「細かいことはいいから……日和が暇だったら、その……」


 その先を言い淀み、頬を赤らめたバジルは深く俯いてしまった。

 さながら恋乙女のような仕草に日和も動揺しつつ、バジルがなかなか口にしない部分について躊躇なく言及する。


「それで、わたしとどうしたいの?」


「い、いやっ…………ああもうっ! 祭りに行きたいんだが!」


「うん。それで?」


「お、お前もなかなか狡猾だな……」


「煮え切らない態度のジルくんをフォローしているのに、その評価はちょっとひどいよね」


 日和の反論にぐうの音も出ないバジルは、一度上げた面を再び下へ向けるしかなかった。

 本日の夕方から出店が出て、川崎市にある稲毛神社では『山王祭』という祭りが催される。毎年数日間にわたって様々な行事が行われる大きな祭りではあるが、正直なところ若者にとっての祭りとは『数多の夜店によって作られる一夜限りの往来』を指している。特に、他県から川崎市へ来たバジルはその傾向が強い。

 さらに言えば、冤罪もといバジルの巻き添えで補習に参加させられた日和は、誰の目から見てもわかるほどに疲弊している。夜店の重要度より、日和のバジルに対する評価を重要視したうえでバジルは彼女を祭りへ誘っているのだ。


「そ、それで……いいかな?」


 日和はフェンスに凭れかかって、一人黙考に耽る。そして、


「君は本当に……クラスメート且つ学年一の美少女に海へ誘われたくせに、祭りにはわたしを誘うってね……非常識と言うか、節操がなさすぎじゃないかな」


 そう言いつつも、彼女の頬は紅潮している。赤茶の髪を弄る右手は、高速回転で髪を巻き上げては瞬間にといて……それを続けるばかりだ。

 しかし高低差のあるアパートの1階からは、彼女の様子などまるで見えない。


「そう言われると……じゃあいいよ。居もしない妹と仲良しこよしするから」


「え――いやいやいやいやっ! それって幼女拉致だよね、冗談抜きに犯罪だよね⁉」


「だとしたら、同じアパートに住む同級生のプランに沿って犯行に及びました、って供述するよ。大丈夫、詰問されても口割らないから。拘置所で罪悪感に身を焦がれながら一日中泣き続けて、いつか涙で溺死するから大丈夫」


「長いよ! わかったから……落ち着いて欲しい」

 

 先ほどのヒールな雰囲気はどこへやら、見下していた相手以上に取り乱す日和の恥ずかしい顔を下から眺めるバジルは、下卑た笑みを浮かべるのだった。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 どこか若さを失った二人のやり取りからおよそ4時間。いまだ日は照っているが、頃合いだろう。

 普通の祭りは18時過ぎから屋台を出し始める。今が17時過ぎなので、川崎駅から徒歩で10分程度の稲毛神社には、コンビニや近くのアパートで寄り道をしながら向かえばいい。

 ――と、そんなことを考えるバジルは、1時間前から日和宅の前で待っている。

 

 二人が暮らすアパート『隣人荘』は、新川学園から徒歩10分の距離にある優良物件だ。尤も、隣人荘の周囲にも多くのアパートが存在する。

 日和は中学生の頃から住んでいるのだが、なぜバジルがこのアパートを選んだのか……率直に言えばツテである。

 とはいえこのアパートの入居条件に「隣人間での交流を積極的に行い、且つお互いに苦労を分かち合う」という項目が存在する。自己主張の強い二人がこの条件を満たせたことはもはや奇跡と言えるだろう。

 ちなみに二人は、文字どおりの隣人関係にある。2階東側の隅に楠森家、その左隣に恵光家の順で並んでいる。相性の良し悪しはともかく仲は良い様子。


「やあ、お待たせしたね。そのまま放置も考えたくらいだよ」


 ドアから出てきた日和は――大きめの帽子と、チェック柄の半袖シャツと、デニムのショートパンツと、黒い短い靴下にスニーカー。なんとなく好みが炸裂した服装に仕上がっている。しかし似合うか否かの二択なら、その判断材料としては十分だった。


「浴衣がないって落ち込んでたけど、似合ってるじゃないか。これなら、いつお嫁に出しても恥ずかしくないな。うん」


「君ねぇ、本当に……もう」


 よくわからない間を作った日和は、軽快な足どりで階段を下る。

 すぐに気付かなかったが、帽子の中で小さなお団子を作っていた彼女は、声高にバジルの名前を呼んだ。昂奮と期待が溢れているのか、全身が細かく揺れている。


「あいつ……小難しいこと言うくせに、やっぱり子供じゃないか」


 呆れと安堵がないまぜになった、微妙な感情がバジルのテンションを塗り替える。彼自身、今回の祭りが生まれて初めてのものなのだ。正直、日和以上に楽しみにしている。

 そんな彼さえもまるで保護者のような気分にさせる、日和とは一体何者なのか……?


「ジルくん、何をしているんだい? 早く行こうよっ!」


「――はぁい。今行きまーす」


 とにかく、そんなこと今はどうでもいい。

 祭りに持っていくものは、我が身と友人オア恋人と財布だけ。あとの小難しいことは全て放っておいて、全身全霊で笑い狂うのが祭りの真骨頂だ。

 高揚感と臨場感、そして人情に溢れた年に一度の大往来。その場はまさに、地元民も余所者もない、日本人も外国人もない、外せる限りの隔たりを除去しきった自遊空間である。



「まァでも、祭りン中でも相容れない存在……皆無とは言い切れンだろ」



 誰の言葉だったんだろう。不意に聞こえたその声は、バジルの耳朶を強く打った。


「日和、ちょっと待って」


「――? なんだい。忘れ物?」


「じゃあ財布忘れたことにして、今日は勘定よろしくね」


「君の図々しさには頭が上がらないよ……」


 これは誤魔化しではなく、必要な忘却だから。そう自分に言い聞かせて、バジルは強く踏み出した。それに続く日和の歩幅に合わせて、二人仲良く。

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