1.5.御祭り

 遠目で見てもよく目立つ、傍目ヤンキーカップルのバジルと日和は――祭りの高揚感からか、軽く触れる程度で手を繋いでいた。気恥ずかしさと「汗に触れて欲しくない」相手への気遣いが混在したワンシーンは、腹立たしくも生暖かく見守ってあげたくなる。


「というかジルくん、君はなんのためにここへ来たんだい? どうせ催しにも、屋台にも大した興味はないんだろう。……まさか、わたしにナンパを見せつけたいのかな?」


「日和さん、祭りの熱にあてられた? ベンチ座る?」


 あまりに日和が積極的に迫ってくるので、若干の恐怖すら感じたバジルはそう提案する。彼女への心配もそうだが、基本的にバジルはコミュニケーションが苦手で、相手から捲し立てられただけでパニック状態に陥ってしまう。これまでの人生で培った彼の腫瘍だ。

 その痛みに耐えつつ日和の相手をするバジルにも、心身ともに限界が来ていた。

 ――日和の握力はゴリラ並み。


「ねえジルくん、今とんでもなく失礼なことを考えなかった?」


「そ、それは……」


 つい本音を言いそうになり、バジルは反射的に言葉を呑み込んだ。しかし、だからといって今のところ善処の余地もなく、バジルは嘔吐と流涙を堪えながら逡巡した。


 たかが左手の第二関節から繋がっているだけなのに、先端から襲ってくる激痛は打撲の比ではない。なんなら脱臼しているのではと不安が永続的に脳裏をよぎるなか、隣から無自覚に物理攻撃を繰り出してくる少女に今度は精神面でダメージを受けている。

 本音の告白も死。平然を装った我慢も寿命は延びるが死。


「こ、これは長丁場になりそうだ……」


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「な、なあ日和。こういうことをしてたら、カップルに思われるかもしれない。い、いいのか?」


 いよいよ身体的限界を迎えたバジルは、真っ赤になりながら日和に問うた。手を繋いでいた事実に羞恥した日和に、左手を開放して貰うのが狙いの、打算ありきの確認である。


「そりゃあ、良くないに決まってるじゃない。でもはぐれると面倒だし、わたしみたいな美少女はナンパされる可能性もあるしで、不安なんだよ。…………そういうの、察してくれないかな?」


「――!?」


 バジルに向かって、上目遣いで囁きかけてきた。彼にとって、日和のそんな反応は初めてだった。

 改めてよく見ると、自然にはだけた上着の胸元。決して際どくはないが、ほんのり上気した白桃の肌に性欲を掻き立てられる。目を逸らしてもすぐ近くに感じられる彼女の色香が、一度意識してしまったバジルを包み込んで離さない。

 時間が経過するごとに増えゆく人々に圧迫され、気が付けば左腕が完全に日和と密着していた。


「あ、いや、えっと……ごめん」


「えっ、とー……な、何がかな、ジルくん?」


 バジルの言いたいことを悟ったのか、だらしなくつり上がった口角を隠しつつ日和が訊き返す。


「こんなに密着して、暑くない? もうちょっと離れたほうが――」


「君ね、それは自意識過剰というものだよ。わたしは一度も『不快だ』と言ってないでしょ。だから…………別に、今日ぐらいはいいじゃないか」


「……それ反則」


 どことなく色気づいてきた二人は、さらに密着度を高め、終いには腕をしっかりと組んだ。もう恥じらいの文字などどこにもなく、二人は和気藹々と往来を縦横無尽に歩き回った。

 ただどうしても、バジルの左ひじ及び左半身を蝕む激痛だけはいまだ拭えずに残っている。


 そして屋台を数軒回ったところで、遂にバジルの左腕は物理限界に達した。



 『グシャッ』



 棒切れが折れた音ではなく、確実に何かが潰れた濁音である。

 日和は最初気が付かなかったが、頑丈に結ばれた少年の左腕が微痙攣を起こしていることに気付いた瞬間、眼下の惨状に目が釘付けになってしまった。


「あ、あの、ジルくん……これ、どうなっているんだい……?」


「知るかよ……」


 味わったことのない痛みとは違う何かに苛まれながらも、バジルは赤紫色の唇を揺らして言葉を紡いだ。隣の日和は涙目になって、バジルと腕を組んだままの硬直状態で歩を進めていた。

 バジルの左ひじから先は、関節と正反対の方向へ綺麗に折れ曲がっていて、今は重力の影響で地面に向かって垂れ下がっている。まるで何ごともなかったかのように歩いている二人だが、身体の振動が垂れ下がった左腕をぶらんぶらんと勢いよく揺らしていた。メトロノームばりの振幅だ。


「ひ、ひとまず、日和は先に帰ってくれ」


「え――な、なんでだよ! わ、わたしのせいで……」

 

 バジルの唐突な頼みに、日和は大げさに取り乱して否定する。自分のせいでバジルの腕を傷つけてしまったのに、このまま何もせず帰宅できるわけがない。日和が提案を絶対に受け入れないと知っていながら、バジルはさらに戯言を垂れ流す。


「俺ってさ、痛みには慣れてるんだ。これくらいの怪我なら明日には治る」


「強がりも優しさも要らないから、とにかく介抱させてくれよ。君の詭弁に付き合うのも嫌だ。わたしがわたしのために、君の介抱をしたいんだよ。だからほら、わたしに身を預けてくれ」


「……それ、愛の告白にしか聞こえないけど」


「君ねぇ! わたしは――」


 日和が怒声をあげようとした直前、バジルが『左手』で日和の頬をつつく。

 ――できるはずのない芸当をやってのけた少年に、その少年のため必死になっていた少女は、開いた口が塞がらなくなった。

 先ほどまで身体のキーホルダーに成り下がっていた左腕のひじから先は、動かすときに多少の軋みが生じるものの、ほぼ完璧に修復していた。


「大丈夫だよ。脱臼には、骨をはめ込んで治すっていう方法があるわけ」


 そんな馬鹿げた話があるだろうか。

 たった十数秒のうちに、醜く折れ曲がっていた腕が99%、怪我の名残など跡形もなく修復されている。残りの1%は、バジル本人が感じる些細な違和感だけ。目に見える異様さなど微塵もない。


「ジルくん…………よ、良かった」


 なんの混じりけもない、純粋無垢な脱力と笑顔だった。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ほら、もう10時だ。日和はそろそろ帰ったらどう?」


「……そう、だね。ジルくんも問題なさそうだし」


 すっかり心身ともに脱力しきった日和は、右側を歩くバジルに身体を預けながらという変な体勢で歩いている。周囲の視線もかなり気になるし、何より同じ学校の生徒に見られたらただ事では済まされない。


「じゃあね、ジルくん。今日はとても楽しかったよ。あと……本当にごめんね」


「謝罪されっぱなしってのも、後味悪いよな」


「そ、そうかい。……じゃあ今度、弁当と夕食をご馳走するよ」


「二日分な」


 食費を少しでも浮かせたいバジルは、なんの遠慮もなしに隣人から食料を巻き上げる。そんな意地汚い本意を知りつつ、日和は爽やかな笑顔で快諾した。


「最後に。気を付けてくれよ」


「日和の不安が、杞憂で終わるといぃんだけどな」


 

 そのあと1時間余――日和のいなくなった夜店行列を、バジルは独りで過ごした。




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