小さな訪問者

 顔の半分を隠す、薄いベール。

 折り返しに金細工の飾りがある白の四角い帽子。

 高級神官が纏う、男女とも変わらぬ白い長衣。これは生地に艶こそないが、絹のように滑らかな肌触りで、形こそ質素だが高価な品だと推測できる。

 そして髪の後ろの一部を縛って、その先に同じ髪色の付け毛を白い飾り帯で結んで足している。

 いや、なんでだよ!? 思わず速攻で突っ込んだ俺に、それら準備をしてくれたメリッサが説明してくれた。地毛もかなり伸びたが、髪は力の象徴のような意味合いがあるのだそうだ。簡単に言ってしまえば、ハッタリを利かせるためだろう。

 それに神子は、基本的に女性が多い。信仰している神が女神ということもあって、その代理である神子も女性であることが好ましいとされてきたからだ。

 長い髪は中性的な要素にもつながり、そのことにも意味はある。実際のところ。過去には男女とも「姫神子」と呼称されることも多かったようだ。


「お兄ちゃんは、お兄ちゃんで間違いないぞ! そこ、大事だから」


 そんな基本情報を知っていた俺は、突然現れた少女に藪から棒に「姫神子」呼ばわりされて、脊髄反射で全力で否定した。本当なら、まずはこの子は誰だと疑問に思うべきだったが。

 なにしろここは、神子とその関係者しか立ち入ることができない場所だったのだから。


「……やっぱりそう、だよね。前に会った時は普通に男の子だったもん。ちょっとびっくりしちゃった」

「前に……?」


 そこで初めてその少女を注意深く見たが、すぐには思い当たらなかった。

 就学前か、せいぜい小学校一年生くらい? 服装はワンピースのような、腰の部分で帯で結んであるだけの質素な恰好だ。二つに結んだ髪は肩より少し長いくらい。少なくとも神官見習いには見えないし、下働きにしては幼すぎる。その娘とも考えられるが、どちらにしてもここにいる理由がわからない。

 考え込む俺の顔をじっと見ていた少女は、はっとしたように急にしおらしい顔をした。


「あっ、そうか……やっぱり怒ってるよね? お母さんがひどいことしたもん。でも……」

「ん……? いや」


 もじもじと足で地面を擦り、落ち着きなく身体を揺らしてうつ向いた少女は、だんだん涙声のようになっていく。思わず立ち上がろうとした俺を、ペシュが止めるように前に出た。立つのを止めたわけではなく、かなり高い椅子だったので危ないと思ったのだろう。

 ペシュはこちらを向いていたが、その体は少女のすぐ前を覆う形になった。

 少女がちょっと驚いた顔をしたので、危ないと思ってそちらに気を取られたその時、彼女の後ろにいきなり人のような影がゆらりと動いた。

 いや、たぶん人ではないだろう。なにしろ後ろの木々と完全に同化しているのだ、姿も、そして気配さえも。

 もしかしたら、最初にペシュが警戒したのはこの影に対してだったのかもしれない。


「……私のせいなの」

「あ、え? な、なに」


 少女の背後の、ぼやーっとした人型の空気の歪みのような存在が気になって、つい返答がなおざりになってしまう。


「私がダメだから、お母さんはお兄ちゃんを連れてきたんだと思うの。私がもっとちゃんとできてたら、お母さんはひどいことしなくてもよかったのに……私が、悪いの」

「一体、何の話をして……?」


 すると、再びペシュが警戒するように後ろを振り向いた。

 ぼんやりしている人影の、その後ろから、今度は若い女性が現れた。彼女には蜃気楼の人影が見えているらしく、そちらに目配せを送って、すぐにその横の少女を見つけると、ほっと胸を撫でおろした様子だった。


「お、お母さん?」

「勝手にお外に出ちゃダメだって、あれほど……」


 遅れて俺に気が付いたのか、彼女は驚いたようにハッと息をのんだ。

 少女の肩に置いた手が、ここから見てもガタガタ震えているのがわかる。みるみる青ざめていく女性に、俺の方が逆に驚いたが、そんな怯えたような困惑したような複雑な表情を、どこかで見たことがあった気がして、声を掛けそびれた。

 なんだろう、デジャビュってやつか? でも、一体いつ?

 支えあう親子、そしてそれを守護する……影。

 ピントが合うように、それまでぼやけていた人型の蜃気楼が、いきなりくっきりと見えた。知らないはずのこの三つの顔ぶれが、雷にでも打たれたかのような衝撃とともにフラッシュのごとく瞬く。


「……うっ!?」


 それと同時に、凄まじい頭痛に襲われた。あまりにも突然で、それまでぼんやりと考えていた思考は、一瞬で吹き飛んでしまった。

 思わずテーブルに手を突き、並んでいた軽食やお茶が食器ごと地面に落ちた。それらを気にする余裕もなく、俺は頭を押さえた。

 慌てて駆け寄ってきたペシュの手を取ったところまでは覚えている。

 けれど、先ほど掴みかけた記憶の欠片は、手にした瞬間に空しくもバラバラと零れ落ちてしまったのである。

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