魔界では

 そろそろ季節が変わり、魔界では、休暇前と呼ばれる時期になった。

 この地域には、魔王城のある島周辺以外、基本的に夏と春しかない。進級を控える休暇前という時期は、うららかな春と言っていい気候だ。

 地下にある実習室は、単位ギリギリの生徒たちが最後の追い込みで大わらわの時期でもある。そんな活気にあふれた教室内において、まるでお通夜のような一団があった。

 ニーナを始めとする留学生組だ。

 もちろん、沈んでいるのは成績のせいではない。

 むしろ、彼女たちはいろいろな成果を上げて留学生でありながら、優秀な生徒に贈られる賞をいくつか貰ったくらいだ。今までもろもろの事情で認められなかったカトリーヌやベアトリーチェも、その成果をいくつも認められて、塔への入所の足掛かりを掴んだそうだ。

 けれど、それら功績をあげるきっかけとなった人物が、今ここにはいない。

 ――リュシアンが姿を消して、約半年の月日が経った。


「ニーナ、理事長からなにか連絡あった?」


 やがて沈黙に耐えかねたように、手持無沙汰にめくっていたレポートを机に置いて、アリスが口を開いた。

 その問いに、ニーナは緩く首を振る。


「……いいえ。今は、待つしかないわ」

「ねえ、ニーナ。その……神子様? って本当にリュシアンじゃなかったの?」


 予想された鈍い答えに、アリスは少し被せるようにして続けた。


「……どうかしら。何しろ遠目だったし、顔も半分隠してる状態だったもの。髪色は似てると思ったけど」

「そうだよな、服装も身体全体を隠してたし、ずっと黙ったまま座ってたしな。ただ、あの横に立ってた人、俺見たことある気がして……」


 じつは彼女たちは、数日前まで理事長、つまりコーデリアの手引きで大神殿へ赴いていたのである。この時は、リンの空間移動をつかったので、行くことができたのはニーナとエドガー、コーデリアのみであったが。


「父上に以前、候補は女の子だと聞いたことがあるのじゃが」


 ベアトリーチェが「そういえば」と、思い出したようにポツリと呟く。


「えっ、そうなのか? うーん、確かに髪は長かったな。半年ぽっちであんなに伸びるもんじゃねぇしな」

「髪もそうだけど、理事長の話では本人が違う名前を名乗っているそうよ」

「あ、え? そ、そうなの」


 と、初めて聞いた情報に戸惑うアリス。

 ニーナも隠しているつもりはなかったが、いっぺんにいろいろと情報を得たため、話すことが偏っていたようだ。実際、ニーナとエドガーは、同じように神子の祭事を見たにも関わらず、それぞれ違うところで引っかかっていた。エドガーは付き人の青年に、ニーナは神子の近くに静かに佇んでいた黒ずくめの少女を。

 あらためてニーナは、コーデリアが神殿関係者から聞いたという神子の名前を、思い出しつつ口を開く。


「ええと……そう、イツキ。確か、ミヤタイツキだったかしら、長いし発音しにくいからって、本人がイツキでいいって。まあ、今は神子様って呼ばれてるけどね」

「……あら?」


 ふいに、カエデが顔を上げた。


「どうしたの? カエデ」

「あ、いえ、その名前、なんだか私の名前に……というか、うちの一族につけられる名前に共通する独特の発音だな、と思って」

「それもそうね、仮に偽名だとしても、なぜその名前を使ったのか気になるわね」

「……そもそもアイツだとして、ただ大人しく言いなりになってるか? なんか事情があるのかもしんねぇが、なんかアイツらしくねぇな」


 もくもくと手仕事をしていたダリルが、おもむろに会話に加わってきた。相変わらず、微妙に仲間の輪から外れたところで、一人で作業をしていることが多い。今ではベアトリーチェの開発した機械仕掛けの仕組みを理解して、日々器用に改良……いや、魔改造している。

 

「私も、違和感は感じてるわ。でも、その神子がリュシアンじゃないとしたら、何もかもが振り出しにもどってしまうわ……それに、私の感覚では理事長は何らかの情報を掴んでいると思うのよ。だから、今は連絡を待ちましょう」


 エドガーを始め、アリス、カエデ、ダリル、そしてベアトリーチェと、先ほどから一言も口を挟んでこないカトリーヌも、一様に不満を抱えた顔ではあったが、実際にはこうして日常が流れていく日々なのである。

 そして今でこそ、こうして落ち着いて話しているニーナだったが、リュシアン失踪の当日はもちろんこうはいかなかった――。

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