迷い人3

 かつてこの世界には、大きな大陸が双子のように並んでいた。

 おおまかに区別をつけるとすれば、片方は人族により魔力に頼らず道具などが発展した国が多く、もう片方はエルフや魔族、亜人など多種多様な種族が主に魔法を軸に発展させた国々が多かったらしい。

 これら過去については、幼い頃に父の書斎の書物で得た、せいぜいがうわべ程度の知識である。

 現在は、一つの大陸と大小さまざまな島からなるこの世界だが、約三百年前のある事件までは、この大陸とほぼ同じサイズの大陸がすぐ隣に存在したのだ。アルヴィナは、いわゆる失われた大陸に存在した大きな町の名前だった。

 エルフ、魔族、数多の亜人、そして人族の国をも支配下に置いたという、当時最強のフォルティア帝国。今や大国として名高いモンフォールやドリスタンさえも、かつてはその支配下にあったらしい。


「幼いころにこちらの大陸に移り住んだので、当時の事はあまり覚えていないのですが…、亡き父から故郷が消失した事実は聞かされてました」


 ギルドマスターの執務室、その大きなソファーの三人掛けの方に、突っ立ったままで待っていた僕たちに、ジーンは座るように促した。部屋に入ってくるなりいきなり語り出した彼に、僕達二人はそれぞれ違う意味で驚いた。

 僕の驚きは三百年前に幼かったというジーンの年齢のことで、恐らくカエデの驚きはアルヴィナが失われた地だと語られたことだろう。


「本当に、ここはアルヴィナじゃないのね…」

「君が言っているのがフォルティア帝国の首都アルヴィナの事なら、その通りです」


 そんな名前の国なり町なりが、仮にこの世界のどこかに存在していれば別ですが、とジーンは苦笑して前置きした。思わず立ち上がりかけた腰を再びソファーに沈めた少女は、胸の前で寒そうに手を擦りながらギュッと両手を握って、やるせない表情でジーンを見つめ、ふと縋るようにこちらを見た。


「…貴方たちはエルフ、よね?さっきは人族が大勢いたけれど、まさかここは人族の国なの?」

「その通り、ここは人族の国です。というかほぼ人族の国しかない、というのが現状です。おそらく貴女が危惧している通り、ここは貴女のいた世界とは異なる場所なのだと思います」


 驚いたことに、彼女はこの状況をすでに甘受しているように見えた。そしてジーンも、彼女がどこから来たのかおおよそ想像が付いている様子だった。

 むしろこの場で一番混乱していたのは僕だったかもしれない。


「すみません、さっきから事情が呑み込めないのですが…、彼女は、つまりどこか別の世界からやって来たってことですか?」

「…そう、ですね。ただ、かつては同じ世界の、と注釈がつくことになりましょうが」


 ジーンの答えに、僕よりも先に少女が「やっぱり」と口の中で呟いて小さく首を振った。今までの話から察するに、彼女はこの世界では消滅したと考えられている大陸の住人で、その大陸は、今現在も別のどこかに存在し、そこから何らかの事情でこちらに来てしまった、とそんなところでいいのだろうか。

 ちょっと突拍子もない話ではあるが、二人の深刻そうな表情を見るに冗談とかではなさそうだ。


「寄りにも寄ってなんでこんな時に…、きっと大騒ぎになってるわ」


 カエデは心底困ったように呟いて、しばらく黙り込んでしまったが、ふと何かを思いついたように顔をあげた。


「ねえ、その子ベヒーモスよね?肩に乗ってる子は吸血コウモリだし…、あなたも私と同じように…いいえ、それともまさか…異界渡り?」


 いきなり向けられた質問に、とっさにどう答えていいのかわからず、思わずポカンとしてしまった。助けを求めるようにジーンを見上げたが、驚いたことに彼もまた「どうなの?」的な視線を寄越していた。その様子に、彼もまたずっと自分に対してそのような疑問を持っていたいたのだろうと推測できた。

 い、いや、異界渡りとか意味わかんないんですが!?


「た、確かにこの子たちは異界の住人だと思うけど…、それはある人が引き合わせてくれたってだけで…」


 そこまで話して、そういえばと思わず口を噤んだ。

 今まで記憶の奥底に眠っていた記憶が、なんの前触れもなく、まるで水面に浮きあがる空気玉のように弾けた。

 そうだ…、あれは水面。

 鏡のように研ぎ澄まされた恐ろしく凪いだ湖面。

 一つ二つと静かに生じた水紋の輪は、まるで何かがつま先立ちで歩いているようだった。

 誘われるように目で追うと、水面に立ち上るけぶるような霧の中に獣のような一つの影。

 やがて凛とした声が、優しく言い含めるように、また窘めるようにいくつかの警告をした。それは、ほんの数分の出来事だったけれど。

 なぜ今まで忘れていたのだろう――


「…そういえば、あの時、僕はどこか違う場所に立っていた」


 あれが異界であったなら…

 でもあれはほんのひと時の事だ、何かの思い違いかもしれない。それに、もしそうだとしても、あの獣がしたことではないのだろうか?


「あなた…っ、えとリュシアン、だったわね、なぜそれを早く言わないのよっ!」


 独り言のような僕の話に、その少女、カエデは驚くほど食いついてきた。身体ごと身を乗り出してきた彼女に、思わずびっくりしてその顔を押し返してしまったとしても罪はないだろう。


「な、なに?!どうしたの?」

「うぷっ、…だ、だからね。貴方が会ったのはたぶん神獣よ。あらゆる世界を跨ぐことが出来るという麒麟に間違いないわ」


 両手で押し戻されながらも、カエデはめげずに顔を振ってその手を払いのけ、逃がすものかと言わんばかりに僕の両肩をがっしりと掴んだ。


「案内して頂戴!その湖よ、そこに連れていって!」


 必死の形相の少女に詰め寄られてタジタジになっていたその時、いささか呑気な調子でドアがノックされた。

 ジーンは僕たちの様子に構わず「どうぞ」と来訪者を招き入れた。


「お呼びと伺いましたが……、なにか御用でしょうか」


 ギルドのサブマスター、リアム・ロベールは、見知らぬ少女にホールドされている僕に気が付き一つ二つ瞬きをしたが、すぐにいつものように微笑みつつ優雅な会釈をして、何事もなかったようにジーンに向き直った。

 相変わらずの紳士な対応…、でも余計に恥ずかしいのでむしろ何か突っ込んで欲しかったよ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 いつもお読みくださりありがとうございます。

 大変勝手ではありますが、ここから先のお話は、視点が一人称になります。

 以前の物を手直しする時間が、今は残念ながらありませんが、順を追って直していければなと思っております。

 ご意見など多々あるとは思いますが、ご容赦して頂けると助かります。これからもよろしくお願いします。  

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