学園都市の姫様

「ごめんね、だと?!」

 

 彼は顔を真っ赤にして怒っているが、リュシアンはびっくりして目を瞬くばかりだ。

 クラス分けで発表された教室へ行き、荷物を置いて式が行われる講堂へ行こうと扉から出た瞬間、リュシアンは人とぶつかった。吹っ飛ばされたのはむしろリュシアンの方で、それこそ危うく転びそうになったのだけど、そこはまずは謝るという習性の民族だった名残で一言、ごめんねと謝ったのだ。

 丁寧に謝って、その横を通り過ぎようとしたところで、まず背の高い男の子が立ちふさがり、そのあとでのっしのっしという効果音で現れたのが彼だったのだ。


「誰に向かってそんな舐めた口を利いてるんだ」


 後ろに倒れそうなほど反り返って丸いお腹を突き出したガキ大将の横で、腰ぎんちゃくが「そうだそうだ」と合いの手を入れている。

 昔こういう漫画あったなあ、などとリュシアンがちょっと懐かしく思って眺めていると、さらに調子に乗って来た彼はフンッと鼻息を荒くした。


「僕は、マンマル王国の第二王子だぞ」


(え、そんな面白い名前の国あったっけ?)


 あぶなく噴き出すところだったリュシアンは、口を手で押さえて素早く思考を巡らせた。大体の国や大きな都市は覚えたはずだけど、一向に名前がヒットしなかった。


「……なにを新入生に絡んでいるの、キアラン」


 その時、後方から凛とした涼やかな声が聞こえてきた。それまで偉そうにふんぞり返っていた少年が、信じられないようなものを見たように、まん丸の顔を一気に引きつらせて小さくなった。


「ひっ、姫様! あわわ……、これは、それは、あのっ、新入生に指導していただけで」

「ふうん、指導ね。おかしいわね、学園内では身分は不問のはず。それを振りかざしていたように見えたのは私の見間違いだというの?」

「い、いえッ、あの……」

「だいたい、マンマルは国ではなく自治区ではないの。いい加減なことをふれまわるな」


 広大な敷地を誇るドリスタン王国には、いくつかの自治区が存在する。それらが、たまに領地の拡大や、独立を求めて小競り合いになったりもするのだ。国としては常に頭の痛い問題なのである。

 腕を組んだ少女に、マンマル王国とやらの偽王子はますます背中を丸めて説教を聞いていた。

 リュシアンにとっては、わけのわからないうちに巻き込まれて、なんだかわからないうちに解放され、ただぼんやりとやり取りを見守るしかなかった。


(――僕、もう行ってもいいかな?)


 そうこうしている間に、しどろもどろと言い訳がましいことを言いながら後退りしていた彼は、ちょっと少女がリュシアンの方を見た瞬間に、びっくりするくらいの身のこなしですたこらと姿を消した。ついでにいうなら、取り巻きはすでにどこにもいなかった。逃げ足の速いことである。


「あなた、新入生? どうかこの学校に失望しないでほしい、あんなことは……あら?」


 振り向きざまにそう言いかけた少女は、改めてリュシアンの顔を凝視した。

 それこそ身長差が四十センチほどあるので、彼女は完全にしゃがんだ格好で、がっつりと覗き込んできた。


(あのハンプティ・ダンプティは姫様と言ってたっけ?)


 リュシアンは、キアランの台詞と態度から彼女をドリスタンの王女だと推測した。長身のせいで大人びて見えるが十二~三才くらい、身長は百五十センチくらいはあるだろうと思った。

 モンフォール王国では見かけない綺麗な黒髪で、瞳は青だ。それも薄い青ではなく、黒に近い深い群青ぐんじょう色である。言葉遣いや態度はどこかさっぱりとした印象だが、顔だけ見るとまるでお淑やかな日本人形のようだった。

 サラサラの黒髪が上から掛かりそうなほど近づいて、やや目尻の下がった大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。


(……顔っ、顔が近いっ!)


 リュシアンは思わず赤くなった。この際、精神年齢がどうのという言い訳はしない。美少女に急接近されたら、大抵の男子の反応など決まっている。

 

「あれ、リュシアンじゃないか」

「え…、エ、エドガー王子? うそ、一緒のクラスなの?」


 そんな場面でいきなり声を掛けられて驚いたが、その相手にも面食らった。

 教室に入った時は気が付かなかったが、彼が出てきたのはさっきリュシアンが出てきた教室だった。張り紙にも当然、その名前はあったのだろうがぜんぜん気が付かなかった。

 個々のクラスということは、スキップでⅡクラスからの開始ということだ。年上とはいえ、そこそこ優秀なんだろうとリュシアンはなかなか失礼な感想を覚えた。

 なにしろ、初対面が間抜けな出会いだったのだから仕方がないのかもしれない。


「王子はやめろよ、ここでは身分は関係ないんだろう? 兄上がいつもそう言ってたんだ」


 呼び捨てでいいよ友達になりたいから、と笑ったエドガーにリュシアンは本気で感心した。前にも感じたが、幸いなことにイザベラの影響より、王太子の影響を多大に受けてるようだ。


「あなたがエルマン王子の弟で、エドガー王子ね。話は聞いているわ」


 それまで熱心にリュシアンを観察していた少女は、すっくと立ちあがってエドガーに握手を求めた。


「じつは、彼がそうかと思ったのだけど……、勘違いをしてしまったようね」


 エドガーはそれを受けて手を出して、彼女がリュシアンを示したことに「ああ」と納得したように頷いた。


「俺はエドガー・エヴルー・ド・モンフォールだ。よろしく、えと……」

「自己紹介がまだだったわね、私はニーナ・リュド・ドリスタン。どうかニーナと」

「わかった、ニーナ。俺のこともエドガーと呼んでくれ」

「そ、それで、あの。その子なのだが……」


 ニーナは、いつの間にかエドガーの後ろに移動した少年を、そわそわと気にしながら紹介してもらおうと期待を込めて聞いた。


「さっき俺と間違えたんだろう? 無理もないさ、だって俺の弟……っ、むぐっ!」


(ぎゃーっ!? なに言ってんの、やめて!)


 さらっと飛んでも発言をしようとした口を目いっぱい腕を上げて両手のひらで塞いだ。


(くそう、背が高いなコンチクショウ! つか、なんで知ってるのさ)

「もごもご……」


 小声で抗議したリュシアンに、押さえつけられたままもごもご「父上に」と呟いた。やはりあの王様が、むやみに暴露していたようだ。別に隠せとまではいわないが口止めくらいはしておいてほしいとリュシアンは疲れたようにため息をついた。


「ああ、やっぱり。そうだと思った。だって、シャーロット様にそっくりなんだもの」


 けれど、次にニーナが嬉しそうに言った台詞にリュシアンは弾かれたように顔を上げた。

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