事後処理

 まるで視えない筆で描くように、魔法陣が目の前に一枚、また一枚と展開されていく。

 時間にすれば、ほんの数秒だったに違いない。

 瞬くような速さで陣の中にスルスルと滑らかに呪文が刻み込まれていき、やがてリュシアンの前には青白い光を放つ五連の魔法陣が現れた。 

 その場にいた全員が、思わず手を止めて呆然と見上げている。輝く五枚の魔法陣が並んださまは、壮観としか言いようがない。

 最後の呪文が紡がれた時、なぜかリュシアンはどうすればいいか分かった。


「フェアリーサークル!」


 言葉に乗って、魔力が魔法陣を突き抜けていく。

 爆発にも似た光の渦が、リュシアンを中心にして薬草園のほぼ全体を包み込んでいった。


※※※



 あの襲撃事件から一週間、エヴァリストは事件の後始末に奔走した。

 生き残った首謀者の残党と、ピエールの証言で黒幕が明らかになった。子爵位をもつ男で、数年前までは王都にいたらしい。そして、これだけのことをしでかしながら、財産の半分没収、国境端の辺境へ飛ばされるのみという処分が下された。明らかに、どこかからの梃入れがあったとしか言いようがなかった。

 少なくとも本当の意味での黒幕ではなかったのだろう。


 ちなみにピエールは、怪我どころか毒の後遺症もなく無事だった。

 すでに死亡していた暗殺部隊の面々以外は、騎士や薬草園の使用人たちも全員無傷の状態である。言うまでもなくあの最後の範囲魔法がもたらした結果だ。

 あの場にいた半数の人間が、何が起きたのかわかってなかっただろう。真実を知っているのは、中心部にいたほんのわずかの者たちのみだった。

 加えていうなら、あの場でたった一人だけひっくり返った人物はいた。

 リュシアン当人である。


「鉱山奴隷になるというのか?」


 エヴァリストは、ため息とともに目の前の人物を見た。

 重厚な机の上には、座っている人物の顔が隠れるのではないかという書類がうずたかく積まれており、その向こうの少年の姿も半分しか見えない。

 そして、その横にはリュシアンと同い年くらいの少女が立っている。

 ピエールと、妹のリディだ。

 結局のところ、ピエールには情状酌量が認められて、元の雇い主から無条件で解放された。むろん身分は奴隷のままだったが。

 子爵が保有していた奴隷のほとんどは、今回のことで財産の返還という形で商業ギルド預かりとなった。ピエールが今ここにいるのは事情聴取の為である。

 ピエール達を買い取り、奴隷から解放することは難しいことではないが、放逐された奴隷全員にできるわけではない。それならするべきではないというのがエヴァリストの考えだった。

 だが、商業ギルド経由できちんとした売買が行われれば、身寄りのない彼らにとってはむしろその方がいいのかもしれない。少なくとも寝食に困ることはない。


 そこへもってきて、先ほどの問答になる。

 自らの意思によって、鉱山の奴隷に売ってほしいとピエールは言った。その余剰金で、なんとか妹を買い取り、自由の身にした上で学校に行かせたいのだという。

 父の横でハラハラと見守るリュシアンは、ピエールとエヴァリストの顔を交互に見た。同じくリディも心配そうに兄を見上げている。もしかしたら兄の言っていることの意味をあまり理解できてないのかもしれない。


「……わかった」

「父様っ?!」


 大きく息をついたエヴァリストは、観念したように頷いた。驚いたリュシアンが声を上げると、それを手で制して続けて口を開く。

 

「君の覚悟はわかった。罪の意識もあるだろう。このまま許されても、君は納得しないのだな」

「は、はい」

「しかし、君は犯罪奴隷ではない。懲罰ではない鉱山での労働は、我が国の法律では十六才からだ。私が法を守らないわけにはいかない」

「……っ」


 ぴしゃりと言い放つエヴァリストに、ピエールは黙り込んだ。

 もとより鉱山での労働は、死との隣り合わせの危険な労働のため、犯罪奴隷が罪を償う(極刑と同義)ために送り込まれる。志願してくる者は、法外な労働賃金目当てでくる命知らずたちに他ならない。

 とは言っても正直な話、妹のリディを自由の身に開放したとして、学校に行くまでの面倒を誰がみるのかとか、学校に行ってもそこでの生活費をどうするのかとか、彼が鉱山奴隷になったからと言ってすべてが解決できるほど現実は甘くない。

 ピエールも本当はわかってはいるのだ。ただ、なにか自分を追い込んで贖罪をしたかったのかもしれない。


「……そこでだ、君にはこの屋敷で十六まで働いてもらう」


 その言葉にピエールは弾かれように顔を上げる。


「もちろん遊ばせておく労力はないからね、キリキリ働いてもらうよ。その時に考えが変わってなければ、私も今度は止めはしない。好きにすればいい」

 

 唖然としてぱくぱく口を動かしたあと、何か言おうとするピエールを遮るようにエヴァリストは畳みかけるように付け加えた。


「リディも同じだ。学校に行くまでは、奴隷としてここで働いてもらう。就学可能な七才になったとき、どうするかはあくまで本人の意思に任せる」

 

 無茶なことを言っている自覚はあったのだろう、ピエールは結局この提案を受け入れた。少なくとも妹と一緒にいられるし、エヴァリストは学校の件も完全には否定しなかった。

 ピエールは、改めて屋敷の主人であるエヴァリストへ頭を下げた。


「どうか…、よろしくお願いします」


 めちゃくちゃな言い分も真剣に聞いてくれて、こうして真面目に受け答えしてくれた。特別扱いはしないといいながらも、結局は屋敷に引き取って将来のことまで腐心してくれている。

 ほとんど投げやりで鉱山へ行って、それで罪の意識から逃げようとしていた自分が恥ずかしくなったのだろう。

 せめて精一杯働いて、ここの人達への罪滅ぼしと、恩返しをしていこうと心に決めたのだった。


「丸く収まって安心しました。それでは、僕もこれで……」

 

 ピエール達は、自分たちが配属される薬草園の責任者クリフに連れられて部屋を出て行った。さすがの父の采配に満足しつつ、リュシアンはそそくさと部屋を出ようと回れ右をした。


「待ちなさい、リュク。少し話そう……」


(ですよねー…)

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