薬草園の管理人

 灰色のツナギに、麦わら帽子、首には手拭いをかけた老人が立っていた。


「クリフか、びっくりした」 


 薬草園の管理を任されている老人で、身分は奴隷である。

 十年くらい前、孫のニールと共にここへ来た。もともと農民だったらしく、土いじりを得意としていて手際よく園全体を取り仕切っていた。

 この国のずっと北の、小さな雪国の出身らしい。貧しい土地で税金が払えなくなり奴隷となった。

 奴隷商を流れ渡るうちに、息子夫婦を亡くしたため、残った幼い孫と老人という引き取り手が付きにくい状態に陥ってしまった。


 そんな時、父のエヴァリストが彼らを見つけた。

 この国、モンフォールにはきちんとした奴隷を扱う法律がある。

 動物のように無条件で売り買いされることは本来ない。犯罪奴隷などの例外はあるが、だいたいは最終的に自分を買いとることができるような仕組みになっている。

 けれど、露天商などのいわゆるもぐりの奴隷商。これは例外で、商業ギルドなどにも入らず、独特の決まりによって動いている。後ろのつながりが複雑で、モンフォールの法律に縛られることはないし、基本的には黙認するより仕方がないというのだ。

 

 その露天商で、老人がたたき売りされていた。

 しかも孫らしき幼児とは別売りにされていて、老人はどうしても一緒に売ってくれと懇願して折檻を受けていたのだ。エヴァリストは、家族奴隷として彼らを買った。

 むろん、ただ同情してではない。

 老人の手を見て、その体躯を見て、使えると判断したのだ。そして家族奴隷は、家族の為なら献身的に働くので悪い取引ではないとの計算もあっただろう。なので、老人の働きによっては孫は奴隷から解放できるとも約束した。

 また奴隷商には、むやみに折檻するなと忠告するのを忘れない。

 自分が買おうという奴隷を傷つけられるのは面白くないし、街の美観にも影響する。ある程度は仕方がないが、むやみに奴隷を虐げるな、と。

 暗に、うちの領地で商売しにくくなるぞ、と脅しをかけておく。無法地帯にならないように、これくらいの釘は刺しておかなければならないのだ。

 実際、奴隷に舐められるわけにはいかないという事情もあるだろうが、基本的には契約魔法によって主人には逆らえないはずで無為な暴力は必要ないのだから。

 

「今日も錬金術のお勉強ですか? 必要な素材があれば、ニールのやつに申し付けてくれればすぐにも用意しますんでおっしゃってくださいね」


 物心つく頃にはすでにここにいたニールは、今年十三になる。だいぶたくましくなって、今ではクリフにとってもかなりの手助けになっているだろう。

 実を言うとリュシアンは、母親に許可をもらうずっと前からこの薬草園へは出入りしていた。あまり外出することがなかったリュシアンにとって、草木に囲まれて開放的なこの場所は、唯一くつろげる場所だったのだ。

 リュシアンは当初、内緒でここに通っているつもりだったが、クリフとニールにはもちろんばれていた。老人なりに気をつかってそっとしておいてくれたのだが、うかつなリュシアンはすぐに彼らと鉢合わせになった。それから一年近く通い詰め、今ではすっかり気心知れているのだ。


「うん、ありがとう。でも今日はちょっとクリフに聞きたいことがあるんだ」


 そう言って作業場のほうへ走っていく少年を、クリフは道具置き場へ移動しながら見送った。すぐに大きな本を抱えて戻ってきたリュシアンに、しゃがみこんで今日使う道具の手入れをしていた老人が笑いながら立ち上がった。


「ぼっちゃん、そんなに走ったら危ないですよ」

「もう…、ぼっちゃんはやめてって言ってるのに。それよりも、これ」


 五才は十分ぼっちゃんだと思うけれど、なんとなくリュシアンはそう呼ばれるのが恥ずかしかった。なにしろ、常に大人であった斎の記憶が混在しているのだから

 リュシアンが差し出した本を、クリフは汚れた手で触らないように覗き込んだ。


「錬金術の本ですね。素材のことが知りたいんですか?」

「うん、これと、これ。ここにないよね?」


 魔法の紙あれこれ、のレシピ集。ハードカバーのやたら重い本は、リュシアンの小さな手にはいささか持て余し気味になるが、それをなんとか片手で持ってページをめくっていく。

 魔法陣の写生について…、ワックス使用の複数回耐久可能の魔法紙、と書かれたページを開き、材料がずらりと並ぶ中で、指で選んでトントンと二つ指さす。

 老人はそれを確認して、感心したように頷いた。


「よく知ってますね。ここにある植物や素材を全部覚えてるんですか」

「あ、え、っと。全部ってわけじゃないけど、でもなんとなく…これなんかはないかな、と」

 

 さすがに五才児が、ここの薬草園の在庫をすべて把握してるのはちょっと気持ち悪い。思わず動揺しながらも、リュシアンは動物の脂っぽいそれを指摘した。明らかに薬草園にはなさそうだ。


「そうですね、これはモンスターから取れる素材ですな」

「えっ、モ、モンスター?」


 びっくりして危うく本を落としそうになる。

 剣と魔法の世界とわかったその時から覚悟はしていた。ここには、モンスターが存在する。想像はしていた、でも怖いものは怖い、だってモンスターなのだ。


「そんなに強いモンスターではないので、冒険者ギルドからの商品としてはそう高価なものではないですよ。ただこの錬金に使うには、加工するのに魔力が必要なので素材として買うとちょっと高くなると思いますが」


 上位の錬金術に使う素材は、素材自体も錬金術で作らないとならないものが多い。いわゆる下請け業者みたいな、錬金が必要な素材を作ることを専門とした錬金術師もいるらしい。それだけ需要があるということだろう。


「それとこっちは通称”紙の木”と呼ばれるホワイトツリー、すこし森の奥の方に群生する木なので、これも冒険者ギルドの扱いになります」

「冒険者ギルドか…」


 さすがに五才の子供が、一人で冒険ギルドに買い物にいけないだろう。ワックスは錬金術が絡んでるから商業ギルドかな? と思ったけど、どちらにしても無理だろうとがっかりした。

 子供という前に、リュシアンには他の問題もあるのだ。


(護衛ぞろぞろ連れてけって?むりむり…、だいたい冒険者ギルドに何しに行くんだって話だよ。)


「そうそう、ぼっちゃん」


 頭を抱えたリュシアンを気の毒に思ったのか、クリフは一つの情報を提供をした。

 その言葉を聞いたリュシアンが、思わず心の中でよっしゃとガッツポーズを取ったことは、残念ながらクリフは気が付かなかった。

 気が付いていたら、間違いなく止めていたに違いないからである。


※※※



「というわけで、で裏山来ちゃいました」


 武器は、練習で使っている木刀、護身用ナイフの二つ。素材採集用のリュックと、腰にはベルトに付けられるポシェット。意気揚々と、青々と茂る森の中に、リュシアンは立っていた。

 ターゲットは言わずもがな、ホワイトツリーの皮と、オークモドキの背脂だ。

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