第一章 試行錯誤

目覚め

「やはり…は、王都の……関係…らしい」

「まあ、では……もしかして…の」


 途切れがちな声がどこからか聞こえてきて、リュシアンはぼんやりと目を覚ました。


「君の…からは、無理……か?」

「……様が亡…第…の派……で…」


(よく聞こえない。)


 その声がよく知る両親の声だとは辛うじてわかった。

 高い熱のせいで散漫になる意識の中、なんとなく彼らの話を聞いていた。

 さわさわと意味をなさない話し声が、やがて徐々に明瞭になっていく。

 毛足の長い絨毯を踏む足音を聞きながら、少年は彼らがベッドの方へと歩いてくるのを感じていた。


「どうして放っておいてくれないのかしら」


 母親らしき声が涙ぐむ。


「泣くでない。辛いのはこの子なんだ。なんとか私たちで守ってやらねばな」

「わかってますわ。たとえ王家でもリュクは渡しません」


(王家に…?)


 なぜ王家の話になるのか、寝ている少年には思い当たることはなかった。

 なにしろ王都になど行ったこともないし、王家のことは教科書でしか知り得なかったからだ。


 伯爵家の三男坊を、何が悲しくて王家が欲しがるのかと考えて、リュシアンはふと腑に落ちた。

 熱に浮された頭が、すっと冷めていくのを感じた。 


(違う、逆だ。いらないのだ。)


 排除したい、ということなのだろう。

 重い瞼に逆らわず、瞳を伏せたまま、リュシアンは再び睡魔に身を委ねた。


(おそらく僕は…いや、僕のを、邪魔だと思う奴がいるんだろう。)


 リュシアンにとって衝撃だったのは、むしろこの優しい両親が本当の親ではないかもしれないということに終始した。どんな秘密を明かされようと、おそらくそれ以上の驚きもそして悲しみもなかっただろうから。


(俺は、また家族を失うのだろうか?)


 優しく細い指が、少年の薄い色合いの金髪を梳いている。目をつぶったままのリュシアンに、その姿は見えなかったが、そんな彼女の肩を父親が抱き寄せていることまでも、視えずともわかっていた。


(僕は、貴方たちの子供でいたい。)


 熱のせいでもなく、殺される恐怖でもなく、リュシアンの瞼から涙がこぼれ落ちた。


 ※※※



 ゆっくりと目を開けると、覗き込むいくつもの顔があった。


「ああ、よかった。リュク、わかりますか?」


 青い瞳が、優しそうに微笑んだ。

 オービニュ伯爵の妻で、リュシアンの母親アナスタジア。

 決して華美ではないが、いつも笑顔を湛えた素朴で愛らしい女性だった。美しい金髪を結い上げているが、それでもかなり若く見える。

 すぐに答えようとしたが、リュシアンは咽喉がつっかえさせて思わずせき込んだ。

 妹のマノンが慌ててベットサイドの水差しを母親に渡す。


「あ、俺は父上呼んでくる」


 やり取りを見ていた兄のロドルクは、はっとなって慌てて部屋を出て行った。

 水差しの水で喉を潤すと、ようやく落ち着いたようにため息をつく。そのまま身体を起こそうとしたが、アナスタジアはそれを許さず肩を軽く押さえて首を振った。


「まだ起きてはいけませんよ。気分は悪くありませんか?」

「にいさま、へいき?もうだいじょうぶ?」


 仕方がなく母親に頷いたリュシアンは、ベットに縋りつく妹の頭を撫でてやって「大丈夫だよ」と笑って答えるにとどめた。

 ふと母が少し驚いたように瞬きして口を開きかけたが、すぐに誰かが部屋に入ってきて皆の意識はそちらへ移った。


「リュクは大丈夫か? アニア、どうなんだ」


 リュシアンの父親で、オービニュ伯爵である。


「先生にきちんと診て頂かなくてはいけませんが、今のところは問題なさそうですわ」

「ご心配かけて申し訳ありませんでした、僕はもう平気です」


 先ほどの母同様、リュシアンの常とは違う様子に目を見張りはしたものの、彼はすぐに一つ頷いて優しく笑いながら続けた。


「先生が来るまで横になってなさい、しっかり診てもらうのだぞ」

「はい、ありがとうございます」


 いつもならこういう出来事の後は、ひどく落ち込んでいて浮上させるのが大変なのだが、リュシアンの表情は意外なほど明るかった。それこそ普段よりも、と言ってもいいくらいに。

 どこか不思議そうな顔をしている両親にリュシアンは思わず苦笑した。

 変に思われたのはとうぜん本人も気が付いていたが、わざわざ態度を改める気はないようである。

 元のリュシアンも、もちろん彼本人ではあるけれど、たぶん今はまったく同じ人物ではなかった。


 ただ、リュシアンは昨日の夜のことは心に内に留めることにした。

 聞いてしまったこと。

 リュシアンの出生が王家に関係していることを。

 まだ確信が持てないのも確かだが、本当はまだ信じたくなかったのかもしれない。

 いままで家族だと疑いもしなかった彼らに、息子ではないとはっきり断言されることが。


 ともかく、リュシアンは変わった。ただ腐っていた今までとは違う。

 何かから守ってくれている両親の為にも、そして巻き込まれてしまうかもしれない兄妹の為にも。

 もはや自分一人のことだけではないとわかっていたのだ。

 リュシアンの本音として、果てしなくどうでもいいことに正直なところ巻き込まないでもらいたかったが、たぶんそっとはしておいてくれないのだろう。

 それなら力をつけるしかないのだ、対抗する力を。


 最終的には国を出てもいいとさえ、リュシアンは考えた。

 家族を守るためにはそれが一番いいのかもしれないと。

 逃げるみたいで恰好は悪いが、どうしても放っておいてくれないのならもう仕方がないと、それも一つの手段として腹をくくることにしたのだ。

 そのためにも力をつけて、一人で生きていけるようにしなくてはいけないと決めた。本意ではないが戦わなくてはならないとなったら、泣き寝入りだけはしたくはないからだ。


(誰かの損得の為に、なぜ自分が不利益を被らねばならないのか。)


 これ以上何もしてこないというのなら今までのことは水に流してもよかったが、おそらくそうはならないだろう。


(これから忙しくなりそうだ。)


 自分の生死がかかっているというのに、リュシアンはどこか楽しげだった。

 ブラック企業のサラリーマンという前世を持つ彼には、嬉しくもない自信があった。

 年中無休、昼も夜もぶっ通しで働ける自信が。


(まあ…、たぶんそれで過労死したんだけども。)


 でもこれは自分の為なのだ。やりがいとしては前世の比ではないだろう。リュシアンはどこか開き直ってしまっていた。せっかく異世界にまで来たんだし、楽しむための努力ってやつだ、と。


 前世は過労で死んだ挙句、異世界に転生してみれば、今度は常に命を狙われるいわくつきだったりと、まさに波乱万丈すぎる人生を約束されたリュシアン。

 逆に、ここまで来たらもう楽しむしかないだろうとさえ思った。

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