文字と勉強
父の書斎で、リュシアンは途方に暮れていた。
「えー…、リュシアンってば文字読めなさすぎだろう」
適当に引き出した本を開いて、愕然となる。
何が書いてあるかさっぱりわからなかったのだ。
確かに学校には行ってないが、五才にもなって字が読めないことに普通に驚いた。
もっとも
「でも、これは正直まいった」
こちらの世界の学校は、貴族なら十才くらいで入学することになる。これも強制ではないが、王立学校の教養科は大体の貴族の子女が通うらしい。
その前にある程度の学力は、家庭教師による勉強で身に着けることになる。
さらに魔法や剣術など家の方針による個人技は、専門の教師をつけて学校に行く前に体裁を整えるくらいはやっておくのが普通だ。学校はあくまで人間関係や、貴族の子女としての礼儀作法などを学ぶことを前提に通うのだ。
騎士や、魔法を極めるものなどはさらに上の学校へ行ったり、専門の学校に行くことになる。
リュシアンにもむろん家庭教師はいる。
ただ熱心ではなかったのだ。勉強嫌いだったといってもいい。
「なんてこった、読み書きからか……」
リュシアンは、父に家庭教師の授業日数を増やすように頼んだ。そして兄の剣術の先生の授業に一緒に参加させてほしいとも。
この世界には魔法もある。
一見して、リュシアンの体つきでは兄のようにたくましくはなれそうにない。
それなら魔法もつかえるようになったらと思って、父に聞いたら困ったような顔をされた。
この世界の子供は三才くらいで魔力の適性を調べるらしいのだが、どうやら適正なしと出たらしいのだ。なんてこった。
正直その辺の記憶は曖昧だった。
今ならわかる。おそらく認めたくなかったのだろう。
だって、今ものすごくショックだからだ。
(魔法が使える世界に来たのに適正なしとは。)
書斎にある魔法の本は好きに読んでいいと言われていたので、はりきってやってきたリュシアンはここへきていきなり挫折したわけである。
「まずは、文字だな」
げんなりして、部屋を出るしかなった。
そろそろ先生の来る時間だった。リュシアンが自分の部屋に行くと、先生はもう来ていた。
「すみません、遅れました。よろしくお願いします」
「いいえ、私も今来たところです。授業を増やしてほしいといわれたそうで」
幼少期の先生なので、特に科目ごとの専門ではなく、総合的な家庭教師という括りらしい。
ただリュシアンは最初の文字で躓いていたので、他の科目どころではなかった。それまでの不勉強を反省し、きちんと文字を読めるようになりたいと言ったらめっぽう感激された。
(どんだけ勉強嫌いだったんだ、リュシアン。)
けれどやってみれば、どうして物覚えが悪いわけではなさそうだった。
そう、斎だった頃から、もとより彼は勉強はできた方なのだ。
とはいっても、天才だったわけではなく努力の秀才といわれるそれだ。
なにしろ親がなく親戚の家を転々として、どこにいっても厄介者扱い。そんな中、勉強だけでも頑張ろうと健気なことを考えたわけだが、自分の子供よりできる他所の子というのは、それはそれでけむたがられてしまう結果となった。かといって出来なければ嫌味を言われるのだから理不尽極まりないわけだが。
ともかく勉強は嫌いではないし、意外にもリュシアンは客観的に見て出来も悪くない。
まるで乾いたスポンジが水を吸うかの如くというやつである。
この分なら読み書きは割とすぐに覚えられるだろう。当然、教師もほくほくである。
できることを褒められるというのは励みになるものだ。
なにしろ前世では一切褒められなかった彼である。
ただ、必要にだっただけなのだ。
※※※
「なにやら勉強を頑張っているらしいな、リュク」
「まだ勉強というほどではないです。初歩の読み書き程度なので」
食事の際に、父親が手放しで褒めるのに、リュシアンは恥ずかしそうに笑って首を振る。それを謙遜と受け取ったのか、一緒になって母も賛同するものだから、いたたまれない。
なにしろ、リュシアンはただ本が読めるようになっただけなのだ。
前世も合わせると五十にもなろうという年齢なので、本人はなんとも面はゆいのだが。
とはいえ、これはさらなる知識の探求のチャンスでもある。喜んでくれる両親に、リュシアンはさらなる上の勉学をしたいとねだった。
歴史や世界情勢なども知りたいし、ついでなのでそちら方面の先生もお願いしてみることにした。ちょっと早いのでは? と心配そうな顔をされたが、すぐに了解して手を打ってくれた。近々来てくれるとのことである。
「……そうだな、お前はなぜか計算は得意だし、勉強が好きならどんな先生でも呼んでやろう」
「ありがとう、父様」
文字を教えてくれた先生が、そろそろ計算を覚えたほうがいいといって数学、というか算数を教えようとしてくれたのだが、正直こちらの計算は遅れているとしか言いようがなかった。
難なく解いたリュシアンに、教師は唖然として父にその旨を報告したらしい。
(うん、手加減ができるほどの問題ではなかった。)
すこし不思議がられたが、もうそこは仕方がない。それより一日も早く社会に出るために、この世界のことがもっと知りたいという思いの方が強かった。
「剣術の方はどうなんだ?」
父の問いに、思わず口をつぐんだリュシアンの代わりに、兄が答えた。
「師匠は、筋は悪くないって言ってました。でも、体が小さいので剣に振り回されるみたいです」
「ふむ、もともとあまり身体が丈夫ではなかったからな」
剣の稽古自体は嫌いではなかったので、このまま続けてもらってはいるが剣では身を立てられそうもなかった。そうなるととにかく学問を進めるしかない。あの毒殺未遂事件から約一ケ月、リュシアンはいつの間にか大人に負けないくらい読み書きが達者になっていた。
今なら父の部屋の書物は難なく読めるだろう。
知識は有りすぎて困るということはない。なにしろ剣術もいまいち、魔力も皆無では心もとないのだ。
書斎にはいくつか気になる書物があった。
まだ文字もろくに読めなかった頃、気になる図柄を見つけたのだ。
前世でも見たことのある図形。
(あれは錬金術の本ではないだろうか?)
この世界における初級の錬金術は、ほぼ薬剤師と同義だった。
鉱石や金属は扱いが難しく材料の調達も大変である。それに比べて薬の製作は需要も多く熟練度を上げるのに適当なレシピも多いからだ。
ただ錬金には例外なく等級が付くので、同じ傷薬でも特級と粗悪品とでは天と地ほどの違いがあるらしい。
薬剤師になるつもりはなかったが、有意義な知識になることは間違いなかった。
そして、もう一つ。
魔法学も、知識としては深めたいと思っていた。リュシアンには、まだまだやることが山ほどあった。
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