数メートルごとに設置された街灯の間すら、都会の夜は明るい。見上げた空には満月には少し欠けた月と、強い光を放つ一等星が輝く。夜もだいぶ更けてきたが、空の色は紺よりまだずっと藍色だ。

 車道との境には桜が増えられていて、淡く照らされた花びらが夜空に舞っていた。そろそろ時期も終わる頃だろう。落ちた花弁が醜く靴に踏まれ、所々に茶色い染みを落としている。

 零斗は隣に空を携え、コンビニまでの道のりを歩いていた。

 ふんふん、と気分よさげに鼻歌を歌う空の黒髪が風になびく。まだ見慣れない制服のスカートがはためく。

 零斗は街灯が照らす光に一歩足を踏み入れ、乾いた唇を動かした。

「先日はすみません、怖かったでしょう?」

 空を止めようと、拳を振り上げた件である。

 短かった光の下から左足が出て、右足が薄ぼんやりと暗いアスファルトを踏む。

 空が零斗を見上げ、にっこりと微笑んだ。

「ぜーんぜんだよ、零くん。それに、謝るのは僕でしょ? 本来なら奏くんの意に添わないことをしようとしたのだから。でも映七が願ったから、仕方ないよね」

 その口調がどうしても皮肉めいて聞こえてしまって、零斗は軽く舌打ちをする。

「随分、空は『女の子』が板につきましたね」

 その長い髪は、映七を真似ているんですか。と、言ってしまってから失言に気づく。

 足の止まった空を数歩離れてから振り返る。零斗も歩みを止めた。

 空は、思わずゾクリとしてしまうような笑みを浮かべていた。

 零くんはさ。空の唇が動く。

 貼りつけた笑顔は、パーツ一つ一つを取ってみるとどれも完全には笑っていなかった。全てを組み合わせてようやく笑顔に見えるような中途半端さ。

「零くんはさあ。時々口調や物腰なんかとは奇妙なほどズレた、気の短いところを見せるよね」

 その不完全な美しさで、空が零斗を見上げる。言われた瞬間に、その推察通り、頭にカッと血が上っていく。理性で逆上しそうになるのを辛うじて堪え、平然を装った顔で首を傾げる。

「そうでしょうか」

「でもさ」

 まるで零斗の言葉など聞こえなかったかのように、空が続ける。低い低い、十四歳を迎えても声変りをしていない彼のものとは思えない声だった。

「基本的には、零くんが何をどうしようと、正直僕はどうでもいいよ。簡単には零くんを嫌いにはならないし、何を思って行動しようがそれは個人の勝手だから」

 そこで一度言葉を区切ると、冷たい瞳で零斗を射抜く。

「――でもね、もしさっきみたいなことを映七に言ったら許さないから」

 感情の読めない表情で、呆れたような溜め息をこぼす。

「零くんは確かに強いんだと思うよ。あの日だって、早すぎて何も対処できなかったし、運動や喧嘩や、そういったもので零くんに勝てる人はいないと思う。でもね、僕には優先すべきものがあるから」

 柔らかくなった視線の先にいるのは映七だ。そこには、零斗の存在すべきところどころか、奏や白花、サトル、あの家の他の誰であっても入る余地はない。そうやって二人だけの世界に縛ることで、この二人が自分たちを守ってきたことはよく知っている。

「俺に勝てる自信があると」

 少しでも怯えた素振りを見せたくなくて答えたが、それに対して鼻で笑った空の余裕を見て無理だと感じた。

 零斗は超人的な運動能力を持っている。他人の目には瞬間移動にも見えるような速度で走ることなんて造作でもないし、やったことのない競技であっても、ルールさえわかれば世界記録も夢ではない。筋肉のつき方は一般男性のそれだと思うが、そういうふうにできている、らしい。しかし、空に勝つにはそんなもの何の意味もない。

 彼らには純真であるがゆえに、どうしようもなく不純な結びつきがある。それが解き放たれることがない限り、彼らは死んでも相手を勝たせることはない。

「それでも僕は、映七を守るよ」

 その言葉の裏の真実を、零斗は知っている。

 もし誰かが空の命を奪おうとしても、空を前にした時点できっと相手は怯むだろう。それほどに、彼と映七との関係は歪んでいる。ここまで強い自己愛に、勝てるものなんてそうそうない。映七の存在だけが彼にとっての全てなのだ。

「だから、映七には言わないでね」

 いつものトーンに戻し、ニコニコと笑いかける。また鼻歌を歌い、零斗を追い越していく。零斗はその小さな体を追うしかなかった。

 空の前にはスポットライト。零斗はそれを避けるように闇に靴を下ろして進んで行く。

 夜の光は決して零斗たちを隠してはくれない。

 嘲るように、顔が微笑みそうになるのを堪える。その皮肉すぎる感情が見えでもしたのか、藍色の空から月が陰った。

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