枕の下の秘密

坂岡ユウ

枕の下の秘密

 私はセーラー服を脱ぎ捨てた。


「こんなの、もうやってらんない!」


 若松栞は、中学校時代のダサいジャージに着替え、そのままベッドに飛び込んだ。そして、脱いだセーラー服は畳みもせず、枕の下へ無造作に入れた。私は一体何になろうとしているのだろう。夢もない。なんにもない。親に言われるまま、芸能事務所のオーディションを受けているけれど、本当は芸能人なんかになりたくない。スポットライトなんか、いらない。いっそのこと、死んでしまいたい。そんな想いさえも、脳内を駆け巡る。


「このままじゃ、私が私じゃなくなってしまうよ...」


 涙まじりの声で、そう呟いた。決して親に聞こえないよう、小さく。


 すると、母親が部屋に入ってきた。赤い紙を目の前に突きつける。


「お前、わかってるよね。明日もオーディションだから。」

「はい。」


 母親の顔が歪む。


「なんなの、その態度は!」


 私の頬に拳を突きつける。


「すいません!」


 私は床に頭をつけ、全身全霊で謝った。


「わかればいいのよ、わかれば。流石、ウチの子は優秀だね。」


 私の心の中は、怒りよりも切なさで支配されている。同級生たちと同じ青春時代を共有できないことに対する切なさ。自分だけの夢を持てない切なさ。夢さえも、決められてしまう切なさ。


「さあ、今夜は早く寝る。お前、また体重増えてたわよ。痩せるために、今日の晩御飯はなし。」

「はい。」


 母親が部屋を出て行った。その後、私は泣いた。声も出さずに泣いた。思いっきり泣いた。どんなに泣いても、涙は枯れてくれない。私が唯一高校生であることを証明できるモノである、紺色のセーラー服が見つめてくる。


 力尽きるまで泣いた後、私は眠りの世界に入った。眠りに入ったことを自分でも気付かないくらい、私は疲れ果てていた。



「君の演技力じゃ、芸能界なんて、無理だよ。」

「あなた、向いてないんじゃない。」


 見覚えのある場所。とあるオーディション会場。制服姿の私は、言葉でボロボロに打ちのめされる。本当は芸能界なんか入りたくないのに。


 ありったけの闇が、私を包み込む。力のない視線で、前だけを見つめているその姿は、あまりに情けなかった。まるで永遠とも思われるような屈辱の時間。こんなことなら、とびきり変な格好をして新宿を歩き回ったほうがマシだ。寝ている間の夢さえも、母親に支配されなければいけないのか。起きていても、眠っていても、すべては親のもの。私は親の所有物。



「栞さん、栞さん...」


 闇の中から、男の人の声が聞こえてくる。これは一体どういうことだろう。眼を開けてみると、そこにはタキシード姿の髭を蓄えた老人がいた。


「あなたは?」

「私は、あなたの夢を司る者です。」

「夢を、司る者?」

「ここはあなたの世界です。あなたの好きなように生きるのです。それがあなたの人生ですから。」

「は、はい。」


 少し視線を下に向けると、服装が変わっていた。セーラー服姿。そう、高校生としての私なんだ。


「これから、あなたについての質問に答えてもらいます。勇気を持って、自分に正直に答えてください。」

「どんな質問なんですか?」

「あなたの夢について、です。」

「夢、ですか。」

「はい。あなたは今、誰かに決められた夢を実行させられている。だけど、そんなのは夢と言わない。あなたの、あなただけの夢を、探すのです。」


 この人、信頼していいのかもしれない。そう思った。


「では、お願いします。」

「わかりました。まず、あなたの夢を教えてください。」

 

 私は一瞬戸惑った。


「私の、夢ですか?」

「ええ。」

「私には夢がありません。強いて言うなら、一度くらい本心で笑いたい。それくらいです。」


 タキシード姿の老人は微笑んだ。


「立派な夢を持ってるじゃないですか。」

「えっ?」


 私は老人の表情を見た。とても柔らかい表情だった。


「質問を続けます。あなたはどんな人になりたいですか。」

「誰にでも優しくできる人。」

「良いですね。次の質問です。今のあなたが欲しいものはなんですか。」

「モノじゃなくても、いいですか。」

「ええ。」


 私はしばらく考え込んだ。そして、こう言った。


「誰かのぬくもり。やさしさ。恋のようなもの。」

「恋のようなもの、ですか。」


 本心だった。誰かのぬくもりが欲しい。恋でも、なんでもいい。とにかく優しさが欲しい。


「わかりました。続いての質問です。あなたが好きな人はいますか。」


 私は思いっきり息を吸い込んで、言った。


「います。」

「そうですか。それでは、最後の質問です。あなたは夢を見ることが好きですか。」


 迷う質問じゃない。


「はい。」


「最後まで質問に答えていただき、本当にありがとうございました。」

「こちらこそ、夢に関しての質問、面白かったです。」

「最後に...」


 老人は眼を輝かせた。


「あなたが本気で追いかけられる夢を持ってください。ひとつだけで十分ですから、それをひたすら追いかけてください。夢を諦めないで。」



 目の前のすべての世界が、光に包まれた。もう、そこにはタキシード姿の老人はいなかった。そして、現実世界に引き戻される。眼を開けると、目覚ましが八の針を指している。遅刻だ。


「やっばい!」


 私は急いで着替えようとした。だが、制服が見つからない。なんとか見つけたが、何故か制服があったのは枕の下だった。どうして、私制服がこんなところにあるのだろう。とにかく急がなきゃ。だけど、私は気付いた。もう急がなくて良いんだと。



「私、芸能界を目指すの、やめました。自分だけの道を歩かせてください。」

「お前、何言ってんの?」

「言葉の通りですよ。」



 気付けば、頬には手の痕がくっきりと付いていた。でも、今は気にしない。誰かに決められた夢なんて、そんなの夢とは言わない。それをはっきりと理解できたのだから。そして、高校で同級生たちと過ごす日々が、純粋に“楽しみ”だと言えるようになったのだから。自分だけの夢を追いかけるという自由を手に入れることが出来たのだから。あの日、枕の下に無造作に入れたセーラー服が、私に何かを教えてくれたような気がする。枕の下の秘密とは、私に青春色の力を与えてくれた制服の存在だったのかもしれない。思いっきり、自分らしく生きてみたい。自分らしく、自分に嘘をつかず、自分のやりたいように頑張ってみる。そう、私の人生は私が主人公だから。生きるよ、夢に向かって。

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