第7話 顔合わせ


「さて、うまい朝飯も喰わせてもらったし、今日も飯代分は働くか」

「うちの食事は高いわよ」

「わかってるさ」

 そう言ってショウが立ち上がろうとしたときだった。


 愛馬のいななきが聞こえた。


「うちの馬鹿馬がまた騒いでやがる」

 ショウは笑ったが、目までは笑っていなかった。

 ミリアムがウィルをみたので、ウィルはだまってガンベルトを巻く。

 しばらくすると、3人にも蹄の音がわかった。ウィルはそっと窓辺によって外を見る。

 またあいつらだ。

 ウィルは、ショウに向かって指を5本上げた。

 ショウはミリアムに何かささやいた。ミリアムはしばらく迷った後、固い表情でうなずいた。ショウはウィルを手招きすると、二人にいくつかのことを伝えた。


 

「よう、ミリアム、元気にしてるかい。ウィルも。朝っぱらから邪魔するよ」

 乱暴なノックの後、ドア越しに品性の感じられない声が響いた。

「あら、おはようございます、ティーゴさん。こんなところまで足を運んで頂いて光栄ですわ」

 扉を開けたミリアムは、坑夫相手の売り子程度には愛想良く返事をした。ティーゴの奴、また腹回りに脂肪を備蓄させたわね、とは思っても口にしない。その後にいる例の3人の取り巻き連中に至っては、何かを思うだけでも汚らわしい。ただ、見慣れない顔が1人、夏だというのに黒い外套を羽織った男が4人から離れて後ろに立っているのが不気味だった。


 ミリアムが扉の前で腰に手を当てて立ちふさがる格好をとったので、扉が開いた途端に中に入ろうとした男達は入り口で所在なく突っ立つことになっている。ミリアムの後ろにはガンベルトを巻いたウィルが立っていたことも、きっと意味があったに違いない。

 

「おいおい、なんだかご機嫌がななめだねぇ。せっかくいい話を持ってきたんだが」

「あら、いい話、っていうのは土地のことかしら。申し訳ないですけど、何度言われても手放す気はありませんから」

 愛想の良さには磨きをかけつつ、けれども、言葉には一切の妥協無くミリアムは拒絶した。

「そうはいってもなぁ、ミリアム。君のところも人手が、特に男手が足りんだろう。ウィルも一人前になるにはもう少しかかるだろうし」

 ティーゴは言葉だけは取り繕ってはいたが、その目は先ほどからミリアムの胸元を何度も見ていて本性が現れていた。まして、下卑た笑いを浮かべる後の三人については、説明するまでもない。


「そうそう。大変ならオレ達がいつでも手伝うよぜ」

「ミリアムちゃんのためなら何でもするぜ」

「夜寂しいときでもな」

 へへへ、という笑い声が汚物の発酵する泡のように感じられる。ミリアムは同じ場所で空気を吸うのも嫌だった。


「悪い話じゃないと思わないか? 君のお父さんと同期で開拓をした者たちもわしに土地を譲ってくれたよ。みんなに喜んでもらっているんだがね」

「そうね、バーナードさんは納屋が燃えて大変だったし、ワイズマンさんは家畜が急に血を吐いて倒れて大変でしたもの。そのときにすかさずディーゴさんから資金援助の話があったのでとても喜んでおられたわ。他にも、たくさんおられますけど。ええ、私達が災難を知るよりも早く援助をなさろうとするなんて、本当にご立派だと思いますわ」


 ミリアム、すまないね。私達はもう限界だ。

 優しかったバーナードさん。ウィルの熱が出たとき駆けつけてくれたワイズマンさん夫妻。それに、仔牛を譲ってくれたワイルダーさん、井戸を掘る手伝いをしてくれたディックさん。みんないなくなってしまった。

 

 それでも、私達は出て行くわけにはいかない。ここは父さんの土地だもの。それに、弟と二人で、わずかばかりの金で何ができるっていうのよ。退くな。大丈夫。私達は大丈夫。

 奥歯がきしむ音が聞こえたけれど、ミリアムは愛想笑いを続けた。


「そうだよ、ミリアム。いつ不幸が訪れるかわからないからねえ。君のお父さんの事故は本当に残念だったよ。あれほどの名手が落馬してしまうなんてねぇ。万が一に君たちにも何かあったときは、いつでも私を訪ねてくるといい」

 ティーゴの声がなめるような湿り気を帯びた。ミリアムは背筋に鳥肌が立つのを感じる。すぐにでも逃げ出したかったけれど、それ以上にわき上がる怒りが強かったから、足下を踏みしめて立ち続けることが出来た。


 そのとき、後ろに立っていた黒い外套の男が初めて口を開いた。

「ティーゴさん、今日明日と風が強いんだ。こんな日は火の始末に気をつけた方がいいって、そこの嬢ちゃん達に教えてやった方がいいんじゃないか?」

 乾いた、冷たい声だった。

 大きくはないのに、平原を横切って執拗にどこまでも届く投げ縄のような声。ミリアムの表情から愛想笑いが消えた。


「そりゃ、大変だ。ダンヒルのだんな。ミリアムちゃん、じゃ、オレ達で火の用心をみてあげようか」

「そうだな、それが親切ってもんだろう」

「家の中を見てやるよ、邪魔するぜ」


 ダンヒルと呼ばれた黒外套の男の威をかりて調子づいた三人組は、勝手な理屈を述べながらミリアムを押しのけて家に入ろうとする。ウィルが、両腕を広げてそれを押しとどめようとしたとき。


「おっと、手が滑った!」

「下がれ!」

 二つの叫び声が交錯した。聞き慣れた声と、黒外套の声と。

 

 声が聞こえると同時に、ウィルはミリアムを引っ張って後に飛び退いた。

 立ち止まった三人組の目の前に、釘の生えた木の板が降ってきた。

 

「いやぁ、話をしてるところ悪いねぇ、昨日の大風で屋根が傷んでないか見ていたんだが、慣れない大工仕事だから手元が狂ってしまって」

 雪解けを誘う春の風のように。どこか間の抜けた、けれど暖かみを帯びた声が屋根から響く。

「てめえ、この間の暴れ馬野郎か!」

「ミリアムのところに転がり込んでやがったのか」

「降りて来やがれ」

 頭に血を上らせた三人組が屋根の上に向かって叫ぶ。けれど、男達の位置からは昇りつつある東の太陽を背にしたショウは逆光になっているはずで、まともに見上げることができない。その隙に、ミリアムは呼吸を整えることができた。

「見ての通り、男手なら足りています。父の友人のショウさんが来てくれてますから」

「そうだぞ、ショウ兄ちゃんは何でもできるんだ!」

 とっさに口をついたのは、全くの出任せだった。父の友人だなんて、打合せにはなかった。ウィルまでが便乗している。

 お願い、ショウ。自信たっぷりの笑みを浮かべながら、ミリアムは心の中で手を合わせ祈る。


「ありゃ、あんたたち、この間の人かい。悪いねぇ。いやね、この子らの親父さん、ビルにはガキの頃にお世話になってさ。いやぁ、あの人も若い頃は結構な悪だったぜ。だいぶ危ないことを教えてもらったりしたんだが、ッと、これは内緒だ。それで家を建てたから遊びにこいって言われてたんでね、来てみたんだが、いや、ビルがこんなことになってるんならもっと早く来れば良かったよ」


 相変わらずとぼけた声で、ショウは場の空気を作っていく。ああ、神様。

「あんたが、ティーゴさんかい。噂は聞いてるよ。A・ティーゴといえば、大した地主さんらしいね」

 呼びかけられ、地主もショウを見上げる格好となった。招かれざる客たちが誰も口を挟めないようだ。


「そういや、地主さんってのも最近は大変らしいね。昔ビルに世話になった仲間たちも偉くなってね、連邦やら州政府で働いてるんだが、そいつらから聞いたところだと、土地を巡って争いが絶えないんだろ? なんでも、ちゃんとした手続きで買った土地であってもすぐに訴えられたりとかするらしいじゃないか。しかも、訴訟ごとにはけっこう費用もかかるし、負けて土地を奪い返されたりすることもあるんだって? 難しい話はよくわからないんだがね、お金持ちはお金持ちの苦労があるんだねぇ」

 ティーゴは、苦虫をかみつぶしたような顔になった。ウィルはショウの言葉を思い出していた。


『呼吸をはずせ』

 今もまだその言葉の意味はわかっていないけど。相手の調子を乱し、こちらが主導権をとる流れを作れ、ということなのかもしれない。確かに、さっきまでの息苦しさはすっかり消えている。


 それに、ショウはこうも言っていた。

『銃は抜かなくて済むのが一番さ』

 確かにショウは銃を抜かずにこの場を押さえ込みつつある。

 姉がウィルの肩に手を回してきた。ウィルもその手を握りかえした。


 ショウの言葉は続いた。

「あぁ、それと、そっちの真っ黒の旦那。ダンヒルさん、だっけ? いや、あんたのおかげで助かったよ。危うく、お連れさんを怪我させちゃうところだった」

 全く人を食った言葉だった。けれど、黒外套の男の言葉にも予想外の力があった。

「いや、たいしたことじゃないさ。それより、あんた、ショウとか言ったな。曲芸撃ちの名人であんたと同じ名前の人間がいたんだがね。心当たりはないかい」

 ミリアムは息を呑んだ。けれど、ショウの言葉には微塵も揺らぎはなかった。

「いや、知らないねぇ。見せ物師のショウ、ね。名前通りでお似合いだが、よくある名前だからなぁ。ガキの頃からもっとカッコイイ名前にあこがれてたよ。っと、ダンヒルさん、そこからじゃ逆光でまぶしくて見えにくいだろ。上からじゃ失礼だし、話があるなら降りていこうか?」

「いや、人違いならいいさ。その曲芸撃ちはなんでも撃ったっていうから、お手本を見せて欲しかったんだが。特に、人間を撃つところとかね」 

 ダンヒルはそういうと、唇をねじ曲げて笑いながら背を向けて歩き出した。


 ミリアムに、『考えておいてくれよ』と捨てぜりふを残してティーゴが引き返すと、三人組はその後を追うようにバタバタと帰って行った。


 五人の乗った点のように小さくなり、見えなくなってから、ミリアムは床に座り込んだ。

 立てなかった。その横にウィルも座り込んだ。顔を見合わせて、二人で笑った。


「いい匂い」

 ウィルが感嘆の声を上げる。ミリアムも気付いた。確かにいい匂いだ。

「良く踏ん張ったな。立派だ。ウィル、お前もだ。ほら」

 ショウが湯気の立つカップを3つ盆にのせてもってきた。

「オレのとっておきさ。結構いい茶葉なんだぜ。ま、ご褒美だな」

 行儀が悪いと思ったけれど、床に座り込んだまま3人でお茶を飲んだ。ショウは、小さな缶に入った焼き菓子までだしてくれた。実はな、甘党なんだよ、と笑いながら。


 きっと。ミリアムは思う。

 きっと、こういう優しさをショウに教えた人がいるんだ。近づいたように感じたけれど、いくら背伸びしても届かないぐらい遠いのかもしれない。

 お茶は温かくて、甘くて、それでいて少しだけ苦みが感じられた。

 

「ねぇ、ショウ。ショウはやっぱり銃の名人だったの? あの黒い奴が言ってたけど」

「いいや。人違いさ、ウィル。オレは名人なんかじゃないよ」

 甘みと苦みの中に、小さなトゲがまじった。ミリアムも知りたいことだったけれど、それは、きっと触れてはいけないことなのだ。だから、ミリアムは話題を変えた。


「ショウ、本当に助かったわ。あなたのおかげよ」

「なに、オレはちょっと手伝っただけさ。大した貫禄だったぜ、ミリアム。流石だよ。もちろん、ウィルも良く踏ん張ったな」

 ショウはウィルの頭をなでながら何でもないことのように語った。

 けれど、今、どれほど姉弟二人が誇らしく思っているのか、どれほど喜びを感じているのか、きっとショウはわかってくれているはずなのだ。


 ウィルを見ているショウをじっと見つめながらそんなことを考えていたミリアムは、不意にショウがこちらを見てきたので、慌てて口を開いた。何か言わなきゃ。

 

「ねえ、ところで、ウィル。いつからショウ『お兄ちゃん』になったの?」

 最初、おじさん呼ばわりされたので露骨に機嫌を悪くしたショウ。あれがたった2日前のことだなんて。ミリアムにとっては、場をつなぐための当たり障りのない質問のはずだった。

 ウィルも、特に深く気にした様子もなく、自分の考えを口にした。

「え、だって。姉ちゃんとショウが結婚したら、お兄ちゃんになるでしょ」

 ショウが咽せた。ミリアムは派手な音を立ててカップを落とした。

「僕、ショウがずっとここにいてくれたらいいな」

 

 その日も、ショウは姉弟のために献身的な働きをみせた。

 けれど、なぜかミリアムとの間に微妙な距離ができていたような気がするのがウィルには不思議だった。


 

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