第5話 星の声




 夜になると、風が強くなってきた。

 打ちつけたばかりの板は、思わぬことで割れたりはがれたりすることがあるから。

 そう言って、ショウは外に出て行った。

「大丈夫だよ、この間まで、大風が吹くと屋根がバタバタいっててさ、僕、結構怖かったんだ。今日は音がしないから、安心して眠れるよ」

 ウィルの言葉を聞いて、ショウは嬉しそうに笑っていた。

 ミリアムは「油が勿体ないから」という伝家の宝刀を抜いてランプを消すと、ウィルを寝床に行かせた。疲れていたのか、ウィルは面白いほど簡単に眠りに落ちた。こんなに安心した寝顔を見るのは久しぶりだ。そう思うのは、私が安心しているからだろうか。

 ミリアムは静かにその場を離れ、そっと外に出た。


 ショウはすぐに見つかった。納屋にもたれかかるように腰を下ろし、空を見ていた。雲は少なかったが、流れは速かった。

 見回り、ありがとう。そう言ってミリアムも隣に腰を下ろす。


「驚いたよ。晩飯、美味しかったよ」

「昔、母に教えてもらったの」

 ショウの言葉は、ミリアムが一番聞きたかったことだった。心の中で何度も母に感謝の言葉を叫んだ。

「暖炉の脇の写真、見たよ。素敵なご両親だったんだな」

「え? ……うん。母さんも父さんもね、優しかったわ」

 ミリアムの声には、懐かしさと、少しの寂しさが混ざっていた。

「写真の脇のデピュティのバッジがあったな。どおりでウィルが銃の扱いに慣れてるわけだ」

「ええ。父は世話好きでね。お節介焼きだったの。この辺りの開拓が始まった頃から、自然と人に頼られてね。もめ事の仲裁とかするうちに自警団みたいなことをするはめになってね。この町が大きくなり始めた頃、新しく来た人たちと元からいた人たちの間で諍いがふえだしたの。それでデピュティまで引き受けることになったのよ」

 デピュティ、保安官の助手とでも言えばいいのだろうか。正保安官のマーシャルや群保安官であるシェリフと違い、場合によっては一般市民が任命されることもあるわけだが。

「ウィルは父さんの仕事に憧れていたし、銃も習いたがってたわ。でも、私は心配でたまらなかった。父さんも、どちらかといえば争いごとは好きじゃなかったの」

「ああ、わかるよ」

 ウィルの銃は銃身長3インチ、ピースメーカーとしては最も短いモデルでシェリブズと呼ばれる。その名の通りシェリフ達が携行性を重視して使用したモデルではある。おそらく、親父さんが、ピースメーカーを手に入れたのは、保安官助手になってからのことだろう。その際には、ピースメーカーとしては威力の低い38口径モデルを選んでいる。マンストッピングパワー、つまり対人殺傷力を重視した45口径ロングコルト弾が標準であったからこそ、コルト社製のシングルアクションアーミーは軍に採用をされている。けれど、姉弟の父はあえて小口径の銃を選んだ。職務として使う以上、好む好まざるにかかわらず引き金を引くときが来る。できることなら命までは奪いたくなかったのだろう。


「父はウィルに絶対に銃を触らせなかったわ。ウィル、それでいつも怒ってた。姉ちゃんは母ちゃんに料理を教えてもらえるのに、僕は何でダメなのって。でも、何か予感があったのね。事故の1ヶ月前かしら、ウィルももう大きくなったからって、扱い方だけは教えてたのよね」

「そうか」

「開拓が始まったばかりの人たちは、みんな協力して仲良く暮らしていたっていうけど、町が大きくなってくるとそうもいかなくて。いざこざが絶えなかったわ。特に、金にものを言わせて牧場経営をはじめる輩がやってきた頃からはね」

「そうか……。大変だったな」

 

 『事故』のことを口にしたあたりから、ミリアムの声には怒りとも憎しみとも言えない暗さがこめられていた。どのような事故だっただろう。けれど、ショウがそのことに触れるのをためらううちに、ミリアムはいつもの快活な表情でショウに尋ねた。


「ねえ、ショウ。明日の朝は何か食べたいものはある? うちのお客様の朝食にオートミールなんかだしたら、母にしかられるわ。好きなものを言ってね」

「たいしたもんだ」

「ええ、母は料理の名人だったんだから」

「いや、そうじゃなくて。君の親父さんもお袋さんも、ちゃんと君たちの中に生きているだろ。絆っていうと安っぽくなっちまうが、確かにここは君たちの家なんだな」

 それを聞いて、ミリアムは頬が赤くなるのを止められなかった。嬉しさと恥ずかしさと。ショウはつぶやくように自然な感想を口にしただけだと思うけれど、だからこそ効いた。しばらく、何も言えずにミリアムは黙っていた。


「いろいろと手を出しちまったが、余計なことをしちゃったたかな」 

 一瞬、ショウの言葉の意味がわからなかった。それから、ミリアムは慌てて首を振る。

「ううん。とっても助かってる。どうして?」

 どうして、そんなことを言うのだろう。どうして、こんなにも親切にしてくれるのだろう。どうして、どうして旅をしているのだろう。聞きたいことはたくさんあった。

「いや、ここはミリアムとウィルがちゃんと守ってる家だったからさ」

 自分が手を出せば、二人の至らないところが浮き彫りになる。できていないこと、しなければいけないはずのことを指摘することになる。けれど、自分にできることを見逃せば、二人が楽になることはない。今日一日、ショウはそんなことを気にしていたのだ。

「私、ちゃんとなんかできてないわ……」 

 言いかけて、ミリアムの言葉が止まった。ダメだ。泣いちゃダメだ。両親が倒れてから、ウィルを支えて一応ここまではこれた。親切面をしてやってくる大人に裏切られたのは一度や二度ではない。泣いていては、つけ込まれる。

 水が出るとはいえ、それほど豊かではない土地をここまで作物がとれるようにしたのは両親の力だった。それを、連中はハゲワシのようにむしり取ろうとする。第一、ミリアムを慰みものにしようと言い寄ってくる男も大勢いた。中には、力任せにことに及ぶ者までいた。昨日だって、弟まで危険な目に遭わせてしまって……。

 

「ミリアム、君もウィルも、今、ここに生きているだろう? それで十分だって」

 ショウがミリアムの髪をなでる。無骨な指が、柔らかい髪の中に潜り、そっと、何度も頭皮をなでた。

 堪えきれず、ミリアムは泣いた。

 ショウは黙って胸を貸してくれた。

 これまで、我慢をしてきたつもりはなかった。ただそうしないと生きていけなかった。

 必死に、できることをしてきた。誰にも話せなかった。弱みをみせては生きられなかった。

 夏とはいえ、風が強い夜だった。ショウの腕がミリアムの背中をなでるたびに、手の温かさを感じた。


 どのくらいそうしていただろう。

 ため込んでいた涙が流れるにつれて、ミリアムも落ち着きを取り戻していく。

 しっかししなきゃ。そうだ、話題を変えよう。

「ねえ、ショウ。外で何を……」

 と、声をかけようとして、ミリアムは慌ててまたしがみついた。ダメだ、泣きはらしの顔を見せるわけにはいかない。

 でも、待って。だからって、こうやってしがみつくのは女としてどうかしら? 軽い女なんて思われたら。そもそも、男を家に連れ込んでいることになるわけだし……。あ、もしかして、もともと女として見られていない、っていう可能性も……。


 ミリアムが先ほどとは別の意味で感情を制御できなくなったとき、ショウの口からつぶやくように言葉が漏れた。

「星を見てたんだよ」

 ショウはしがみつくミリアムを抱えたまま軽々と立ち上がった。あ、と思うまもなく、そのまま横向きに抱きかかえられる。ショウの眼は、空に向けられている。ミリアムは顔を隠すことなくショウを見ることができた。

「星? ……そうね。明日は晴れるみたいね」

 風は強かったが、雲は多くない。まばらに星は見えていた。この季節、強い風は雷雨を招くこともあったが、ミリアムには明日は持ってくれるように見えた。少なくとも、明日は晴れる。

「ああ、いや、天気も見てたんだけどな。星を見てたんだよ」

 流れ者の習性で、方角を読んでいたのだろうか。次に向かうべき土地のために。

「ミルキーウェイの近くに、大きな十字架、みえるだろう? つけねの輝く星、デネブから探すと見えやすいか」

 ショウはミリアムを地面に立たせると、指で天を指した。いや、星はいいから、もう少しそのままで、とは口にできなかったミリアムはその思いが漏れないように慌てて頷いてショウの指を追う。

 初夏、流れ雲に遮られるも、満天の星の中で、ひときわ明るい星が見えた。確かに、大きな十字架が空にかかっている。

「そいつを中心にあちこちに伸ばすと、首を伸ばした白鳥に見える、ってことになってるわけだが。星座の形って、割と無茶な奴が多いけどこいつはわかりやすいよな?」

 ミリアムが星座に詳しくない、と見て取ったのだろう。ショウはミリアムが知らないことに気付かないふりをしながら、必要な知識を語っていた。ミリアムも北極星を見つけるための大熊のしっぽぐらいは知っていたし、白鳥座の名前ぐらいは知っていたけれど、その中の星の名前は知らなかった。ショウにもたれながら話の続きを聞く。

「で、白鳥がミルキーウェイに横たわるその両脇に、やたら明るい星が一個ずつあるだろ。あれがアルタイルとベガって奴だ。わし座とこと座なんだが、こいつはそう簡単には絵が想像できねえ。あっちのベガの周りの四角型の星をどうつなげたら琴に見えてくるんだか。って、ミリアムが見えてたらごめんな」

「ううん、私も見えないから大丈夫。でも、どうして琴なんだろうね」

「昔の連中は、よっぽど暇だったんだろうな、あの空の点々を結びつけて絵描いて、物語をのっけたんだから。……こと座の元になった琴にも結構有名な話があってな、聞きたいか?」

 空を見たままだったショウがこちらを向いたので、目が合った。ものすごく近い距離だった。どぎまぎしながら、ミリアムは頷いた。


「大昔の楽師にオルフェウスって男がいたんだよ。すっごく琴が上手かった上に、嫁さん思いの奴でな。不幸にも嫁さんが蛇に噛まれて死んじまったんだが、諦めきれなかったんだよ。それで、地獄の底まで降りていって、冥界の神に直談判しにいったんだ。妻を帰してください、って。すごいよな、腕っ節なんてからっきしの優男なのに、怖ぇえ冥界の門番共を曲でなだめながら突き進んだんだぜ」

「ショウって、なんだか見てきたみたいに話をするのね。それで、オルなんとかは奥さんに会えたの?」

「ああ。死者を生き返らせてくれ、なんて願いをいちいち聞いてたら、冥界の神様も商売あがったりなんだがな、オルフェウスの琴の音を聞いて、冥界の王ハデスも心を動かされたんだ。つい『いいよ』なんて言っちゃったんだよ。実はハデスの嫁さんの強力な後押しもあったんだけどな。ハデスの嫁さんもハデスが誘拐同然にだまくらかして地下に連れてこられたものでさ、冥界のザクロの実を4粒食べたから、一年の内の4ヶ月は地上に出られないんだよ。神話ではその4ヶ月こそが冬なのだ、ってなことになってるわけさ。だから、地上に帰りたい気持ちはよくわかるんだろうなぁ。そういう嫁さんの言葉に押されるってことは、ああ見えてハデスって案外いい奴なんだろうな。弟のゼウスに騙されて地下暮らしなんて貧乏くじを引いたおかげで、嫌われ者になっちゃっただけで」


「ねえ、それじゃ、二人は無事に帰って来れたのね」

「っと、悪い、脱線した。それがな、やっぱりそうはうまくいかなかったんだよ。ハデスって冥界の神様も、死者の世界そのものをを作ったわけじゃないんだよ。だから、嫁さんをそのまま生き返らせることはできないんだ。地下の底から地上まで歩いて帰らなきゃならねえ。で、そのとき『ただし、地上に出るまでに一度でも振り向いたらダメだぞ』って条件がついたんだよ。

来るときは夢中で突き進んだんだが、地上までは遠くてな。後には、愛しい妻がいるはずなんだが、足音も聞こえないし、気配もない。まぁ、今はまだ死人だから気配はないんだよな。オルフェウスは不安で不安で、不安でたまらないけど、それでも必死で地上の明かりが見えるところまでたどり着いたんだ。でさ、ついオルフェウスはふりかえっちまったんだ。やったぞ、と声をかけたかったのか、あと少し、って励ましたかったのか、そこにいるのか、って確認したかったのかはわからねえ。あるいは、死者の国から生き返るのを快く思わなかった奴が罠にかけたのかもしれないけどな。それでも、オルフェウスはふりかえっちまったんだ。後をさ」


 ショウは『ふりかえっちまった』という言葉を噛みしめるように口にした。それで? とミリアムは続きを促す。


「しっかりと、嫁さんはオルフェウスの後にいたんだよ。でも、安心したのはほんの一瞬さ。約束を破っちまったから、嫁さんは一瞬でまた冥府のそこに引きずり込まれた。オルフェウスは目の前でまた嫁さんを失っちまった。それも、後一歩のところで。自分のせいで。きっと、冥府のそこに引きずり込まれる瞬間の嫁さんの顔が網膜に焼き付いたんだろうぜ。多分、恐怖で凍り付いた顔さ。オルフェウスを恨んで、責めてさ。また一人だけ恐ろしい闇の中に閉じこめられていく顔が浮かぶんだよ。目を閉じても、眠っても、起きてても、目の前に浮かぶのは冥府の亡者に引きずり込まれていく嫁さんの最後なんだよ。そんなんで、生きていけるわけないだろ? オルフェウスは、絶望して崖から飛び降りたのさ。愛しい妻、エウリディケのことだけを考えながらさ。それでな、後には琴だけが残った。神様は、哀れんでその琴を天に投げあげ、星とした」


 しばらく、二人はだまっていた。話が上手だ、とかそういう次元ではなくて。多分。多分、ショウは悲しい別れをしたことがあるのだ。オルフェウスのように。話しかける言葉が見つからなかったけれど、ミリアムは努めて明るい言葉を選んでみた。

「驚いちゃった。ショウって星の話にすごく詳しいのね」

「知り合いに星好きの奴がいたんだよ」


 ああ、そうか。そうだったんだ。

 私がもっと子供だったら。もっと馬鹿だったら。「ねえ、それって女の人?」とか聞いてみることができるのに。

 ミリアムは子供でもなく、馬鹿でもなかったから、わかってしまった。ショウが優しいのは、ミリアムが舞い上がるような理由からではないだろう。自分がショウに優しくしたいこととは理由が違うのだ。それでも、私がショウのためにできることだってある。

「あのね、さっきの話なんだけど」

 ショウは怪訝な顔をした。

「ほら、琴座のオルフェなんとかさんの話よ。奥さんのエウリなんとかはね、絶対、哀しい顔なんかしてなかったと思う」


「何だよ、急に」

「いいから聞いてよ。だってね、冥府の底ってすっごく怖いところなんでしょう? そんなところまで愛する人が迎えに来てくれたのよ。自分のために。もうそれだけで、女としては十分じゃない! もう、そこで全てが終わったっていいわ。何千年、何万年の責め苦があったって、それだけの愛を一身に受けたんだもの。何があったって怖くないわよ。私なら、笑顔で手を振るわ。あなた、ありがとう! って笑ってやるんだから」


 もしも、自分が辛い目にあっていたら。その時に、冥府の底にやってくるオルフェウスのように誰かが助けに来てくれたら。その後の結果なんて、きっと、もうどうでもいいと思う。それだけで、きっと幸せになれる。ミリアムの頭の中でもわもわと妄想が膨らもうとしていた。

 ペチン、と結構強く頭を叩かれた。

「それだけ元気がありゃ十分だよ。明日もやることは多いだろ? 早く寝ようぜ」

 夢見心地のミリアムを現実に引き戻して、ショウはさっさと歩き出していた。さっきはあれほど気を遣ってくれていたのに、と頬を膨らませながらミリアムも後を追いかけた。寝る前にもう一度ショウの顔を見たかったのだけれど、振り返ってはくれなかった。

   

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