第3話



 右手に持つ鉄の塊が重い。こいつがまともに役立つ距離は意外に短い。並の使い手なら10歩も離れたらとたんに怪しくなる代物だ。鍛えに鍛えていいとこその倍。30歩程も離れたとこから使いこなせたら達人と呼ばれると思って間違いない。

 それなのに師匠の要求はいつも0が一つ多い。黒色火薬の匂いに鼻が麻痺する。


『ショウ、見ているだけではダメだ。視るのだよ』

 優しい声だった。穏やかな声は、鼓膜を越えて頭蓋骨に、いや脊柱に直接しみこんでいく。

「わかりません。師匠、オレは見てます」

『ショウ。目を見開いているだけでは意味がないよ。君はなまじ目がいいから頼ってしまう』

「目を鍛えろ、といったのは師匠じゃないですか」


 糸に吊した小さな虫を何日もただ見つめ続ける訓練を懐かしく思い出しながら、ショウは不満をこぼした。目を閉じることなく、見つめなさい。その温かい声は今でもこの胸に刻まれているのに。


『いいかい、物事には段階がある。君は基礎訓練を終えた。次は本質を視る段階だ。万物には命の流れがある。たとえば、人の中には組み上げられた何百もの骨があり、それを覆う筋繊維がある。そのタンパク質とゼラチンの中には血液の流れがあり、神経の流れがある。それぞれの働きが組み合わされば何千何万何億もの複雑な可能性があり、それらが完全に同調させることではじめて人は動くことができる。なぜ人はそんなことができると思う?』

 師匠の話はいつも難しい。わからない、ですますことができたら簡単なのに。


「できなきゃ、生きていけないからですよ」

『その通りだ。いい答えだよ、ショウ。我々は、理屈で考えればどうしようもなく不可能きわまりないことを自然にこなして生きている。まさに奇跡だ。それを神の意志だと言う人もいるだろうが、まあ好きに呼ばせておけばいい。つまりは、視るのはそこさ』

 そういうと、師匠は無造作にショウの手から鉄の塊を取り上げた。レミントン・ニューアーミーの撃鉄が起こされ、倒れた。120歩ほど離れた小石が空を飛ぶ。続けて五回、撃鉄は高速腹筋運動を行い、小石は空中でダンスを踊った。

 思わず感嘆のうめきを漏らしたショウに師匠は笑いかけた。

『生き物には生き物の、石には石の、鉄には鉄の命があり、流れがある。その命の流れが視えたら、本当は引き金を引く必要もないのだよ。これは大師カンの言葉だがね。大師に比べたら、私の技など児戯に等しいよ。ショウ、君をカン師にあわせたいものだ。君なら、本当に『視える』ようになることだろうに』

 セピア色の景色が光に包まれながら白くかすんでいく。

 すみません、師匠。オレには、結局視えませんでした……。

 


 *


 

 包み込む白い光は東から昇る太陽の輝きだった。

 久しぶりの白いシーツと柔らかいマットは心地よかった。あまりに心地よすぎた。胸の奥底にしまい込んでいたはずの記憶にショウを迷い込ませるほどに。

 いや、どうもそれだけではないらしい。空気が瞬間的に破裂する乾いた音が聞こえてくる。パン、パンパン……。断続的に6回続いてはしばらく間が空き、また断続的に6回続いた。窓の外を見れば、朝の光の中でウィルが銃身3インチのシングルアクションアーミーを構えている。


 畜生、あれが原因かよ。

 ショウは寝起きで収まりの悪い髪をかきむしると、ブーツに足を通した。



 弾薬はただじゃない。というか高いから、あんまり使うと姉ちゃんが怖い。何より、もう右手の感覚がほとんど無くなってきていたから、訓練はやめたかった。けれど、夜の闇の中で振り払っても振り払ってもわき起こってきた恐怖が、朝の光の中でウィルを射撃に向き合わせていた。

 誰も姉ちゃんを助けてくれなかったから自分で助けようと思った。冷静に、父ちゃんに教えてもらったとおりにしたつもりだった。でも、結局助けられたのは自分の方だった。


 あのとき。あのとき、ショウの馬が突っ込んでこなかったら、僕は撃たれていた。

 その恐怖がウィルを押し包んでいる。

 ハンマーを半分倒して、円形弾倉を覆う「窓」をあけて、再装填の準備を始めた。一発ずつ弾倉に装填する。


 ウィル、排莢で火傷しちゃダメよ。

 わかってるよ、姉ちゃん。優しい姉、怒ると怖い姉、綺麗な姉。いつまでも甘えてはいられないんだ……。どんなときでも姉ちゃんを守るために僕が強くならなきゃ。

 ウィルは、6発の弾をこめたリボルバーを腰のホルスターにしまう。今までは、抜き撃ちの練習をしてこなかった。父から習ったのはゆっくりと狙いをつけ、しっかりと構えて撃つこと、ただそれだけだった。それに、父が持っていたのが口径も小さく銃身も短いタイプであるとはいえ、ピースメーカーは13才の彼には重すぎた。

 けれど、本当に姉を守るなら、きっとこれが必要になる。


 ウィルは決意を固めると、足を肩幅に広げた。深く息を吸い、息を止める。

 大丈夫、やり方はわかっている。ホルスターから引き抜くとき、親指で撃鉄を起こす。そのまま右脇を締めこんで右腰に抱え込むようにして引き金を引けばいい。2発目を打つには、左手の親指で撃鉄を起こす。これで2連射が出来るはずだが、連射までは必要ないだろう。とにかく一発目を早く。


 ゆっくりと息を吐き、もう一度息を吸い込んだ。

 そして一気に銃を引き抜いた、はずだった。銃把をつかむはずだった手は空を切っていた。


「おはよう、ウィル。邪魔してごめんよ。でもな、ファストドロウは弾を抜いて練習した方がいい。今のままではちょっと危ないな」

 真後ろから穏やかな声が聞こえた。振り向けばショウが立っていた。ウィルが抜くはずだった銃を手に持ち、手早く排莢を行っている。

 いつの間に?

 いつの間にそこにいたのだろう。いつの間に銃を抜き取ったのだろう。

 ウィルは驚きと抗議の声を上げようとするが、あまりにも混乱しすぎていて声にならなかった。


「ごめんよ、お前さんの銃を勝手に触ったことは詫びとくよ。けどな、抜き撃ちしようとして自分の足を撃った馬鹿を見たことがあってな」

 ショウは笑いながらウィルの腰に銃を戻した。ゆったりとした動作だった。

「ショウ、さん。あの」

「ショウでいい。なんだい?」

「あの、ちょっと聞いてもいい。ショウは銃の名人なの?」

「いいや。銃なんざ見るのも嫌いさ」

 苦笑しながら言ったその言葉に嘘はなさそうだった。けれど、昨日握手したときに感じたショウの手には、はっきりとしたガンマン特有の分厚い皮膚の盛り上がりが感じられた。


「でも、銃の扱いには詳しいんでしょ?」

 少しはね、と答える言葉の中には、触れてはいけない何かがあるのだとウィルにもわかった。それでも、否定はしなかったのだから、とウィルは思い切って尋ねた。

「ねぇ、早撃ちってどうするればいいの?」

 ショウはその質問を予想していたようだ。穏やかに笑いながら答える。

「早撃ちなんぞをする状況を作らないのが一番だな。たとえば、昨日のお前さんは優秀だったぜ」

「あれは……」

 昨日、ウィルはただ必死で銃を抜き男たちに突きつけていた。

 あれは、ただ必死だったから。そう言いかける少年の声を遮り、ショウは諭すように声をかけた。

「究極の早撃ちってのは相手が抜く前に、自分だけが抜いた状況を作ることだろ? それなら、何も相手に構えさせる必要はないのさ。不意打ちができるならそれに越したことはない。そうすれば、引き金を引く必要もない。弾薬も命も何も失われない。いいことじゃないか」


 それこそが不射の射だよ。

 温かい声がショウの脳の奥で響く。全く、自分にできもしないことを偉そうに話すなんて、どうかしてる。


「もちろん、早撃ちのための技術、スピードは大事だぜ。レディ・ゴーで速く撃てる方がそりゃいいに決まってるからな。でもな」

 たとえば。そう言ってショウは話を止め、少し考える表情をした。

 それから、ウィルの後ろに向かって大声で呼びかける。

「お~い、ミリアム、ちょっと手伝ってくれ」

 え、何? 思わずウィルが後ろを振り返る。そこには誰もいなかった。

「あ……」

 あわてて視線を戻すと、目の前にショウの手が大映しになっていた。直後、ペチンと音が響き、額に鋭い痛みが走った。額を指で弾かれたのだ。

「ずるい、ショウ!」

 涙のにじむ目で額を抑えながら抗議する。やはり、腰の銃は魔法のようにショウの手に移っていた。

「ああ、そうさ、ずるいよ。だが、わかるか。どんな名人であろうと、今みたいに呼吸を外されたら何もできない。もっとも、本物の名人なら今みたいなペテンにひっかからないし、する必要もない」

 ウィルは『呼吸を外す』という聞き慣れない言葉が気になったが、それ以上にショウの言葉の続きが気になっていた。


 だから、「ほら返すぜ」と父の形見の銃を無造作に渡されたときも、何か仕掛けがあるのではないかとウィルはショウの動きを一つも逃さないように警戒していた。ショウはゆっくりと右手でウィルに銃を渡す。銃身を握り、グリップはウィルの方。大丈夫、トリガーガードの中にも指をかけてはいない。ここから反転させたとしても、ウィルも反応ができるはずだ。

 そのウィルの視界の中でショウの左手が動き出した。

 あれ? おかしいな。

 ショウの動きはとてもゆっくりとしている。左手があがり、ウィルの頭にむけて伸びてくるのがはっきりとみてとれる。でも、おかしい。その手を止めようと、ウィルも左手を上げようとするのに、そちらはちっとも動いてくれない。

「あ……」

 ウィルの目にショウの指先が突きつけられていた。人差し指と薬指がウィルの眼球の数ミリ手前で止まっている。ウィルからは見えないが、中指も鼻筋に当てられているため首を振っても逃れることはできないだろう。

 動けなかった。ショウからは威圧的な感じは何もなかった。殺気などがあるわけでない。けれど、ウィルは自分の心臓の鼓動が確かにショウによって握られていることを感じた。

 ショウが指を突きつけていたのは1秒にも満たない時間だった。すぐにショウは手を下ろし、ウィルを抱きしめる。


「悪い、ちょっと怖い思いをさせたな」

 ウィルは言葉が出なかった。怖かった。ショウが、ではない。もっと別の何かだ。そう、危害を加えること、危害を加えられること、暴力そのものが怖いと強く感じていた。


「いいか、ウィル。今の怖さを忘れちゃダメだ。怖くない、なんて思いこんでいたところで、いつだって恐怖ってやつはやってくる。大事なのは、そいつをしっかりと視ることさ。いくら銃を撃っても、怖いのは消えてくれやしない。しばらくはいなくなったように見えるが、そのうちもっとでっかくなって戻ってくる」


 ショウの声は乾期の強風のように乾いている。けれど、湿り気のないからりとした温かかさがあった。


「ショウも、ショウも怖いことがあるの?」

 震えるウィルを抱きしめるショウの声には、やはりどこか遠い過去が感じられた。

「ああ。怖いことだらけさ。いっぱいある」

 たとえば。

 そう言ってショウはウィルの目を見つめて、いたずらっぽく笑った。

「たとえば、ミリアムの作った朝食に遅れたら、怒られそうだろ?」

 既に、陽は昇りはじめている。二人は、笑いながら薬莢を拾い集め、家へと走った。


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