第2話

 いやぁ、面目ない、全くもってあんた達の言う通りだ、西部の男なら馬の面倒ぐらい見れなきゃダメだよな、うん、悪かった、どうだろう、ここは、ひとつ、まぁこのぐらいで……。え、足りない? いや、困ったな、こっちも見ての通りの流れ者でさ、あんまり余裕ないんだよ。じゃ、これぐらいで。もう一声、ってあんたも粘るねぇ……。


 とんだ散財だった。上機嫌な愛馬に水を飲ませながら、ショウはため息をついた。たぶんここ3ヶ月での1日あたり最多ため息記録を更新していると思う。


 ショウの愛馬が小半時も3人の男を追い回してくれたおかげで、脳内備忘録に不備があるだろう3馬鹿は、先ほどの姉弟との剣呑な出来事についてとりあえず忘れてくれていたようだった。

 代わりに、そのしわ寄せはすべてショウの馬が引き受けることとなった。正しくは、その飼い主であるショウが。馬を処分させろとすごむ男達をなだめるのに小銭を使ったせいで、懐具合がかなり心細くなっている。

 久しぶりに温かいシャワーを浴びて、無様に伸びたひげを剃って、焼きたてのパンやら新鮮な野菜やらを食べ、清潔な寝具で眠りたかったのだけれど。目標までの道程を考えると、この町での贅沢はできそうにない。いや、宿はともかく、飯だけはまともなものをとっておくべきではないだろうか。


 他人にとってはどう評価されるかはわからないが、主観的には大問題である個人経済活動に関する考察でショウは深く頭を悩ませていた。だから、彼女の声を理解するのが遅れたとしても責められる筋ではない、と思いたい。


「……じさん、さっきはありがとう」

 淡い栗色の髪の娘が立っていた。思わず「はい?」と答えてから、我ながら間の抜けた返答だと苦笑する。


 ごろつきどもが声をかけるだけあって娘の顔立ちは整っている。だが、さきほどの毅然とした姿に比べると、ずいぶん和らいだ表情を見せていた。ごろつきどもと言い合っているときはそれなりの年齢に見えたが、こうしてみると思った以上に若い。少女と呼ぶには無理があり、大人の女性と呼ぶにはまだ少し早いかな、といったところだ。

 そして、その横には弟の姿もあった。まあ、当然か。こちらは年の頃は10をいくつも過ぎていないだろう。ショウの肩にも届かないほどしか背が無いにもかかわらず、コルトSAAをしっかりと保持していたのはたいしたものだった。 

 姉弟に対するそんな好意的な見解は、重ねて繰り返される弟からのお礼の言葉で2割ほど減ずることとなった。


「おじさん、僕たちを助けてくれたでしょ? ありがとう!」


 ……なるほど。さきほどの娘の言葉を理解できなかったのは、ショウが物思いにふけっていたからだけではなかったわけだ。


「いや、別に。『お兄さん』が助けたわけじゃないよ。強いて言えばこいつだが」

 ショウが愛馬の首筋を叩いて示すと、弟は馬に向かって深々とお辞儀をした。律儀なことだ。おまけに、気むずかしさには折り紙つきのはずの愛馬は嬉しそうに弟の顔をなめ回してやがる。

「勇敢なお馬さんね、ありがとう。……ねぇ、名前を教えてもらえる?」

 馬に向けて「ありがとう」と言った娘は、確かになかなか魅力的だった。先ほどまで細めていた眼はぱっちりと開かれてい鳶色の瞳が陽の光を受けて輝いている。それが、陽の光を吸い込む淡い髪のきらめきと相まって活発さと利発さを感じさせた。

 そんなことばかりをショウの眼は追いかけてしまっていたが、別にこの元気な小娘に見とれてしまったわけではない。とは思うのだが後半の質問に対してのショウの答えは斜めにずれてしまっていた。


「ん、ああ、名前ね、名前。うん、こいつはクオだ。性悪でいうことを聞きやしねえ」

「もう、違うわよ、あなたの名前よ! ……クオ、よろしくね」

 間違いに軽く頬を膨らませて怒って見せたかと思えば、口元をほころばせて馬にあいさつをする。全く、忙しいことだ。名前を呼ばれた相棒は、喜々として娘にじゃれついている。おかげで、ようやく解放された弟くんがべとべとになった顔をシャツでぬぐうことができたようだ。それを見届けてから、娘は「あっ」と声を上げると文字通り馴れ馴れしい馬にかまわれつつ、ショウに笑顔を向けた。


「ごめんなさい、こちらから名乗らなきゃ失礼よね。私はミリアム、こっちが弟のウィル。町まで買い出しに来てたんだけどね、見ての通りの有様だったわ。本当、助かったわ」

「オレはショウだ。ただのショウでいい」

「ショウさん、ウィルです。よろしくお願いします」

 それまでは姉の後に隠れているようだった少年がショウの前に進み出て手を差し出した。姉が馬に絡まれて動けないので、代わりに、ということだろう。全く、よく躾けられている。

「よろしく、ウィル。『さん』はつけなくていい」

 弟の手を軽く握ると、少年は小さな手にできる限りの力をこめて握りかえし満面の笑顔を見せてくれた。この手でコルトSAAを良く保持していたものだ、とショウはあらためて驚く。けれど、小さいその手には確かに銃を持つ者だけに生まれる皮膚の強張りができつつあった。


『ウィル、だめ。父さんが悲しむでしょう』

 銃の扱いに習熟し、ごろつきを憎む姉弟。たぶん、聞いてしまえばお涙ちょうだいの物語が待っているに違いない。

 これ以上、この姉弟に関わるべきではないとショウの理性が告げていた。


「じゃあな、お二人さん。あんまり無理はするなよ」

 そんな当たり障りのない言葉で立ち去ろうとするショウの腕をミリアムがとらえる。


「ちょっと待ってよ、ショウ。まさかあなた、このままどこか行くつもり?」

「まさか、って何だよ? 他に何かオレがしなきゃならないことがあるのかよ」

「あなたね、こんなかわいい女の子を助けたんだから、もう少しどうにかしよう、っていう甲斐性はないの? 例えば『怪我はないか、家まで送っていくよ』とかね」

「あのな、ミリアム。お前さんが自分のことをどう思おうと自由だが、オレに三文芝居の役者を重ねるのはやめてくれ」

 ショウは危うく出かかるため息をうめきに変えながら答えた。だが、ミリアムに引き下がる気配はない。

「じゃぁ、ショウはこれからどうするの?」

「どうするって、寝床をさがすんだよ。誰かさんのせいでごろつきどもに余計な金を払って散財しちまってるから、なるべく安宿がありゃ教えて欲しいとこだよ」

 その言葉を聞いて、ウィルの方は肩を落とししょげた様子を見せた。少しだけかわいそうな気もするが、全くの事実なのだから仕方がないことだ。


 だがミリアムは違った。胸の前で敬虔な信徒のように両手を組み合わせ、そのくせ顔には干魃の村を訪れては穀物を売りつけに来る商人のような笑顔を浮かべて、大仰に話し始めた。

「本当にごめんなさい、ショウ。あなたの勇敢で知性溢れる行動のおかげで、私達は難を逃れたわ。だから、お礼をさせて。うちに来るといいわ。ただで泊めてあげる」

「待てよ、ミリアム。お前さん、そんな不用心な人間か? なんだってよそ者のオレをさっきから家に連れて行こうとするんだよ」

「あら、恩人にお礼をするのがそんなにおかしい?」

「いいか、オレはお前さん達を助けたわけじゃない。真昼間から町中で銃を抜くなんて馬鹿な真似が嫌いなだけだよ。ついでに言えば、ついたばかりの町で、夢見が悪くなるようなものは見たくない。かなわんだろ? 脳漿やら内臓やらが飛び散るのを見るなんて」

 途中から、本気で吐き捨てるような口調になってしまったのは自分でも大人げないな、と思った。その言葉で一番傷つくのが幼いウィルだということもわかっていたが、ショウは自分の言葉を止められなかった。


「とにかく、オレは銃も面倒ごとも大嫌いでね。お前さん達の気持ちだけもらっとくよ」

 冷たくそう言い捨てて、ショウは今度こそ立ち去るはずだった。

 だが、軽やかに愛馬にまたがろうとして、クオに振り払われる。とことん主人を馬鹿にする馬だ、と苛ついたところで再び袖をつかまれた。ミリアムのしつこさに本気で腹を立てかけて振り向くと、ウィルが立っていた。

「あの、本当に、ごめんなさい。必死だったから、本当に馬鹿なことをして……」

 小さな手を振るわせて、目には涙を浮かべている。その弟の肩に手を置いて、うつむいたまま姉は声をかけた。 

「ウィル、ショウさんの邪魔をしちゃだめよ。この方には関係のないことだもの。これ以上のご迷惑をかけられないわ。二人で気をつけて帰りましょうね。あいつらが待ち受けているかもしれないし……」 

 ショウの目線からはうつむくミリアムの顔は前髪に隠れていることもありよく見えない。けれど、その肩が小さく震えているのははっきりわかる。

 勇敢な少年が泣いている。

 若い女性も、たぶん泣いている。

 腹が立つことに馬は動かない。

「オーケー、わかった。君たちを家まで送ろう。いいか、けど、そこまでだぞ」

 え、と顔を上げた少年は、「ほんとに?」と声をかけるとショウにしがみついた。いや、まぁ、家まで送るだけだぞ、俺みたいな他人を家に上げるとかしてはいけないんだ、などと念を押しながら健全な常識を伝えていると、隣で盛大に動き回る気配がある。


 しおらしい弟が俺を拘束している間に、姉のミリアムはといえば、よろしくクオ、と話しかけながら大量の荷物を馬の背中に手際よく乗せていく。ショウの愛馬であるはずのクオは、唯々諾々とその指示に従っている。ショウが荷物を乗せようとすれば、いつも煙たがってしっぽで邪魔をしてくるのに、だ。


「待てよ。おい、ミリアム。その荷物は何だ?」

「何って、私たちのものよ」

 ミリアムは物わかりの悪い悪童を諭す牧師様のように彼女にとって当然の事実を主張する。


「いや、オレのものじゃないからお前たちのものだってのはわかるさ。聞いてるのは、何でオレの馬に乗せてるのか、だよ!」

「だって、私たちの馬はいないんだから仕方ないじゃない」

 おかしい、ついさっきまで、薄幸に耐える可憐な娘であったようにみえたのだが、今、目の前にいるのは商会のおばちゃんとも渡り合える古強者だ。


「ちょっと待てよ、お前、運ぶ当てもないのにそんなにたくさん買い込んだのか?」

「いやぁね、ちゃんと借りる予定はあったのよ。でも、せっかくなら無駄なお金は使わない方がいいでしょ?」

 いかん、これは、あれだ。予想以上にまずい展開って奴だ。こういうことはだな、初めにはっきりさせておくに限る。


「お前、まさかそれが目当てでオレに声をかけたのか?」

「まぁ、失礼ね、そんなわけないじゃない。私たちはただお礼を言いたかっただけよ。ねぇ、ウィル。本当に感謝してるわよね」

 そう言って弟と重ねてお礼を言うミリアムは、口を動かしながらも手際よく荷掛を終えてしまった。

「もちろん、西部の男が困っている淑女や子どもを見捨てるとは思わなかったけど?」

 それじゃ、いきましょう、こっちよ、と姉弟は歩き出す。待て、なんでこうなる?



 * 



 結局、長旅で疲れていたはずのショウは、嬉々として荷駄となりはてた愛馬の手綱を引きながらさらに2時間ほど歩く羽目になった。

 当然のことながら、日も暮れた町外れで、姉弟の家に招待されることを断る気力はショウに残されていなかった。

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