荒野の名人伝

石田部 真

第1話




 「人間は考える葦である」とはギリシャの賢いおっさんの言葉らしい。


 かれこれ2年のつきあいになるくせにちっとも言うことを聞いてくれない愛馬のせいで、すっかりぼやき癖のついたショウは今日17回目のため息をつきながら考えた。

 つまり、だ。人間って奴は大昔からひょろくて弱っちいくせに、ろくでもないことばかり考えてやがるってことだ。たとえば……。


 自分の眼は、その「ろくでもない」光景をしっかりとらえてしまった。


 たとえば、腰につけた回転式拳銃を見せびらかして歩けば、嫌がる娘に言うことを聞かせられると勘違いする馬鹿がいるように。


 明るい栗色の髪を束ね、飾り気のない綿のシャツを着た娘は、3人の男に囲まれながら毅然としていた。手入れなど考えたこともなくただ伸びているだけのひげを生やし、2ヶ月は洗濯をしていないかもしれない薄汚れたシャツと黒いベストを着た男どもに対して、娘が好感情を持っていないのはあきらかだ。もっとも、見てくれに関しては今のショウも他人のことを言えた義理ではないのだが。

 ともあれ、娘の形の良い眉はつり上がりっぱなしで、男たちが口を開くたびに眉間に3本のしわが立っている。一番左の男が馴れ馴れしく肩に手を置いたのでそれを払いのけるときには、右手の親指と人差し指の形良く整えられた爪で、毛虫でもつまむように指の皮をつまみ上げて振り捨てている。男たちに囲まれているというのに、一歩も引かず堂々と言い返しているようだ。

 

 まぁ、どこの世界にでも馬鹿はいるわけだが。

 今日18回目のため息をつきながらショウは考えた。問題は、だ。

 馬鹿に向かって「馬鹿」と伝える馬鹿な役目を誰が引き受けるかなんだよ。


 栗色の髪の娘は、多分とっても不本意だとは思うが、さっきから懸命にその役目を果たしているわけだ。けれども、男達は娘のその反応を楽しんでいる。なるほど馬鹿とよばれるだけのことはある。

 周りにいるはずの人間は、男達がこれ見よがしに吊しているガンベルトの銃を恐れてか、いっこうに関わろうとしない。さすがは開拓時代を支えた名銃コルトSAA(シングルアクションアーミー)。「ピースメーカー」の名は伊達じゃない。黒色火薬で撃ち出される45LC弾は、単に人体を破壊するだけでなく、必要十分以上の衝撃を与えることができる。たとえば、屈強の先住民戦士が覚悟を決めて突撃してきたとしても、その土地を愛する魂もろとも肉体を吹き飛ばすぐらいに。文字通り、銃を持つ者にとって都合のいい「Peace」を創り出してくれるわけだ。


 だが軍が正式採用したその銃のご威光も、肝心の娘にだけは届いていないと見える。まあ、あの子なら馬鹿共のお守りも大丈夫だろう、と考えてショウがそのまま通り過ぎようとした。例のごとく、愛馬はいうことを聞いてくれないので手綱を引っ張って急かそうしたときだ。ショウの眼は娘の目にかすかな驚きと脅えが混じるのを見た。


 なんだ? と考えるより早く、ショウの眼は娘の視線の先を視ている。


 少年がいた。若者と呼ぶには、多分まだかなり早い男の子。

 大人達は誰一人関わろうとしなかった無法者に対して、少年が一人立ち向かおうとしていた。その手には、不似合いなほど大きな銃が握られている。西部では不幸にも誰もが見慣れている6連発シングルアクション式リボルバー。銃身長はこの銃にしては短めの3インチ。シェリブズタイプ。ただ、男達の持つそれとはちがい、銃口はわずかに狭い。0.38インチ版の銃弾を使用するタイプだろう。口径違いだけで30種類以上のバリエーションがあるというこの銃は、あまりにも多く製造されすぎた。無法者達の手には必ずといっていいほど握られている。だが、また同時に保安官やその助手たち『法を守る者』の手にも握られていた銃でもある。ゆえに、人々は人殺しの凶器にこの名を与えた。ピースメーカーと。


「姉ちゃんから離れろ」

 その子は、離れているショウにもはっきりと聞こえる声で強く命じた。

 すでに撃鉄は起こしてある。年端のいかない子供だと侮るわけにはいかなかった。未成熟な体格に不似合いな大型拳銃を、その男の子は両手で保持していた。右脇を閉じ、左腕を軽くのばしながら左手で右手を包み込むように構えている。真っ青な唇から極度の緊張状態にあることはみてとれるのに、人差し指はトリガーにわずかに触れない程度に軽く添えられているだけだ。シングルアクションリボルバーは、撃鉄さえ起こしてしまえば、構造上、軽い力でトリガーを引くことができる。そう、この少年であっても、だ。

 

 声をかけられ、首だけ振り向かせた男達の顔色が変わった。

 

 ほんの数秒のことだが、確かに時がとまった。

 そして、男達が目配せをかわす。端の男が右腕を動かそうとした。その瞬間、娘の凛とした声が響いた。

「動かないで」

 その声に男達の動きが固められる。絶妙の間合いだ、とショウは感心した。

「弟は、本気よ。あなた達を撃ちたくてたまらないんだもの」


 娘の声には、これまでにない暗さと冷たさが含まれていた。

 ゆっくりと、娘は男達から離れはじめた。まず慎重に男達から距離をとり、そして弟のほうに近づいていく。ゆっくりと。細心の注意を払いながら。弟のもとにたどり着いたとき、娘はその手を弟の小さな手に重ね、銃を受け取ろうとした。わずかに動いた唇の動きをショウの眼は読み取っていた。


 ウィル、だめ。父さんが悲しむでしょう。


 弟は答えなかった。答える余裕など無かった。ショウの眼は極度の緊張から脳に血流が行き渡らず、貧血症状を起こし少年が崩れ落ちる予兆を見て取っている。当然、銃口は男達から外れることになる。

 それこそが娘が恐れた瞬間であり、男達が待ち望んでいる瞬間である。


 畜生。馬鹿はやめるって決めてるのに。

 ショウの右手は愛馬の鼻面を男達のむさ苦しい顔に向けていた。

 これだから、こいつがいうことを聞かなくなるんだよな……。

 左手首に思い切り反動を効かせて愛馬の尻をひっぱたく。小気味良すぎる音が響くと共に、けたたましいいななきを上げて、ショウの馬は駆け出した。まさに振り向きざまに腰の銃を引き抜こうとするならず者めがけて。その鳴き声がなぜか嬉しそうに感じられたのは、きっと気のせいに違いないとショウは19回目のため息をついてから、白々しい叫び声をあげて駆け出す。

 

「気をつけろ~、暴れ馬だ~!」

 大声を上げて叫ぶショウの視界の端には、弟を抱きかかえるようにして立ち去る娘の姿が見えた。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目が合ったとき、彼女は小さく頭を下げた。

 愛馬は、どういうわけだかショウの意図を正確に理解してくれている。執拗に男達を追い回し続け、かみつき、砂をかけ、よだれを撒き散らしていた。

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