1章_2



すごいわねモアネット、きっとこの王宮中にじゆつが効いているわ」

「……そうですね、まさか私もここまでなんて」

 ジーナのめ言葉に対してモアネットが生返事をしたのは、部屋を出た先にも同じ光景が広がっていたからだ。

 長い通路には点々と人が倒れ、あちこちから呻き声があがる。どうやら己の魔術は王宮内に行き届いているようで、その効果はんに思わずモアネットが兜の中でまゆじりを下げた。とつに伏せさせてしまったが、高台や水場に居た者はだいじようだろうか……。

 そんなモアネットの不安を感じ取ったのか、となりを走るジーナが「大丈夫よ」と告げてきた。

「効果が強いのはあの場に居た者達だけ。ほかは一応動けてるわ」

 そう告げるジーナにうながされるようにモアネットが周囲を見回せば、確かにゆかに伏せ呻きながらも数人がって移動をしている。かんまんな動きではあるが、これなら水場や高台に居た者もそうひどがいは受けていないだろう。もちろん、追ってこられるほどではないが。

 良かった……とモアネットが小さくあんらせば、ジーナがでるように小さく笑った。

「無意識ながらに誰も傷つけないように魔術を使うなんて、モアネットはやさしい子ね」

「優しい?」

「えぇそうよ。私、てっきりあの場にいた全員を床にめりこませるか、意識をこんだくさせて自我をっ飛ばすくらいのことをするかと思ったわ」

「なにそれこわい」

「あら、それぐらいして当然よ」

「そんな怖い事……でも、そっか、だからジーナさんはコンチェッタを」

 そうモアネットがつぶやくようにコンチェッタの名を口にすれば、前を走っていたコンチェッタがぽわぽわとてんめつしだした。それに対して呼んだわけではないと告げれば点滅しなくなるのだから、相変わらず不思議なねこである。

 いや、不思議なのは猫だけではない。なにせコンチェッタに合わせてロバートソンも光っているのだ。

 ためしにとロバートソンを呼べば、今度は彼がぽわぽわと点滅しだすではないか。

 これはきっと……。でも、いったいいつから……。

 考えるべきことがたくさんだと、モアネットが足を進めながらも一度フルと兜をった。

 順に考えよう、まずはあのしゆんかんの出来事だ。そう自分に言い聞かせる。

 ジーナは咄嗟にモアネットが何か大きな魔術を使うと察し──それもずいぶんおそろしい方向で──ゆえに使い魔のコンチェッタをアレクシスに放ったのだ。

 いまだパーシヴァルの肩を借り覚束ない足取りで歩くアレクシスの姿を見るにかんぺきにとは言えないが、コンチェッタは魔術をはじく事が出来るのだろう。だからアレクシスはモアネットの魔術を受けても床に伏せることはなかった。

 ……アレクシスは。

 そこまで考え、モアネットが足を止めた。

 その瞬間モアネットの名を呼んだのは、アレクシスに肩を貸しつつ背後を歩いていたパーシヴァル。不思議そうにのぞき込んでくる彼の表情に苦し気な色は無い。

「モアネットじよう、どうした?」

「え、いや……どうしたというか、パーシヴァルさんが……」

「今はひとまず王宮を出よう。身をかくして、そうしたら話を聞く」

 だから、とかしてくるパーシヴァルに、モアネットがギシとうなずいて再び足早に歩き出した。

 倒れ呻く者達を時にけ、時にまたいで進み……。時折つまずいてしまったり、足早に歩くあまりはばくるってんでしまうこともある。これだけの人数が倒れ、そのうえこちらは急いでいるのだから気をつかってなどいられない。

 こんな所で倒れている方が悪い、そうモアネットは自分に言い聞かせて足早に王宮を進んだ。もちろん、倒れさせたのは自分だというのは分かっているが、えんりよなく踏みつけてけるコンチェッタや、「あらごめんなさいねぇ」とまったくその気の無い謝罪を口にするジーナに比べたらマシだろう。





 そうして王宮を出て、ひとみをけるようにして森へと向かう。

 幸い追っ手は来ず、街の人達も体が重いと口々にうつたえていてそれどころではないようだ。その姿を見るとモアネットの胸に申し訳なさがくが、きっと自分がはなれれば楽になるはずだからと心の中で彼等に告げて森への道を進んだ。

 だが森に身を隠すにしても、さすがにモアネットの古城へは向かえない。

 古城は森の中に構えているとはいえ、元々はアイディラ家の城。誰もおとずれこそしなかったが所在地は周知のことで、ジーナのしきのように使い魔の案内がなければ辿たどり着けないような入り組んだ場所でもない。

 じきに王の命令を受けた達がそうさくに来るだろう。

 それを話し合えば、アレクシスがうなれつつモアネットに謝罪の言葉を告げてきた。

 彼の表情は見ていられないほどに絶望を宿し、パーシヴァルに支えられてくずおれずに済んでいると言えるほどだ。はたしてそれはモアネットの魔術のせいなのか、それとも気落ちして立っていられないのかさだかではない。

「モアネット、ごめん……僕が巻き込んだせいで、君の家まで……」

「アレクシス様」

「もしかしたら僕が王宮にもどれば、僕以外は」

 自分以外は自由になれるかもしれない、そんなことを言おうとしたのだろう。だがアレクシスの言葉は途中で「むぐっ」というくぐもった声に変わってしまった。

 言わずもがな、ジーナである。

 正確に言うのであれば、ジーナのパンである。

 それを口にめられてアレクシスが深い茶色のひとみを丸くさせた。きっと彼も、さすがにここまで深刻な空気で彼女がこの行動に出るとは思っていなかったようだ。

 だがジーナにはこの場の空気を気にする様子も無く、そしてあるじならってコンチェッタもまた空気を読まず、パンをせとアレクシスの足にまとわりついてンニャンニャと鳴きだした。

 ねたアレクシスがコンチェッタをき上げれば、待ってましたと言わんばかりにパンをかじりだすではないか。この主にしてこの使い魔あり。

ふぃいなジーナ……」

「アレクシス、あきらめて彼等にばくされるのは貴方あなたの自由よ。でもここまで旅を共にしたよしみで良い事を教えてあげる」

いい良いほろ?」

「私がこの国をらすから、つかまるならその後にしなさいってこと。下手すると貴方を巻き込んじゃうわ」

 ニッコリと笑ってとんでもないことを言い出すジーナに、アレクシスが目を丸くさせた。もちろんパーシヴァルも、さすがにモアネットもおどろきを隠せずに彼女に視線をやる。

 ジーナのみは美しくおだやかで、まるで母性すら感じられるほどだ。ぶつそうな言葉こそ聞かなければだれだってれてしまうだろう。……あと、その低く野太い声を気にしなければ。

 そんな彼女ははっきりと「国を荒らす」と言っていた。そこに悪びれる様子はなく、罪悪感を覚えている様子もない。

「ジーナさん、国を荒らすって……」

「あら当然でしょ?」

 ジーナが瞳を細めてやわらかく笑い、そっと手をばしてモアネットのかぶとでてきた。

 鉄しでは彼女のはだの感覚は分からないが、それでも手の動きは優しさを感じさせ、表情も愛でるような色合いを見せている。だがどことなく底冷えするようなあつかんを覚え、モアネットが彼女を見上げた。

 ジーナは今までこの国に来たことがないと言っていた。だというのに、いったいどうしてこの場において誰よりも先に国を見限り、それどころか荒らすと宣言までしたのだろうか。それを考え、モアネットがギシと兜をかしげた。

「……もしかして、持て成されなかったからですか?」

 そうモアネットがたずねればジーナがニッコリと笑い、そして頷いて返してくる。どうやらその通りらしい。

 つまり、彼女は王宮を訪れた際に両陛下やローデルに持て成されなかったから腹を立て、そして国を荒らすことにしたのだ。あまりにとつなその話に驚きの声をあげたのは、もちろんアレクシスとパーシヴァルである。

「ジ、ジーナ嬢……持て成しって、まさか、それだけで?」

「あら、当然じゃない。彼等は紅茶のいつぱいも出さなかったのよ」

 上品に笑って告げてくるジーナは相変わらず美しく、まるで逆にパーシヴァル達が驚いていることこそ意外でじようだんめいていると言いたげではないか。そのうえ「ねぇコンチェッタ」と使いに同意を求める。内容をきにすれば、まるで子供のような軽いやりとりだ。

 そのギャップがまた威圧感に変わり、笑みを向けられたパーシヴァルはもちろん、アレクシスさえもされるように彼女に視線をやっている。だがモアネットだけは兜の中で瞳をかがやかせてジーナを見つめていた。

 持て成されなかったから腹を立て、そして国に報復をする。なんて常識からいつした考えだろうか。不条理にも程がある。

 だがこれが魔女なのだ。いや、これこそが魔女なのだ。

 気まぐれで、気分屋で、おおよそ人の判断すべき基準から外れている。

 王族も階級も魔女には関係なく、たった一杯の紅茶を振るわれるかいなかで物事を決めてしまうのだ。国の存続より一時の持て成しである。

 そうモアネットが話すも、アレクシスとパーシヴァルは信じられないと言いたげな表情をかべていた。

 だがそれも仕方あるまい、彼等は魔女ではないのだ。だからこそぜんとしつつジーナに視線をやっているが、当の本人は楽し気に「何をしようかしら」と笑っている。じようげんで、まるで遊びを計画しているかのような楽しささえ感じさせる。

 これにはさすがにアレクシスもくわえていたパンを取り、ジーナの名前を呼んだ。

「ジーナ、いくら魔女だからって……」

「魔女だからこそよ。このアバルキン家の魔女が訪ねたのに紅茶の一杯も出さない、それどころか魔女ののろいをたわごとのように否定した。これは私だけじゃない、すべての魔女へのろうよ」

 だからこそ彼等に見せつけてやらねばならない。

 そう話すジーナの口調はゆうだが、聞く者の心臓にからみつくような威圧感を感じさせる。腹の内にまるいかりをかろうじておさえているような、おんな言葉一つで今すぐにでも敵意をあらわにしそうな、それでいて穏やかさを取りつくろう声。低く野太いからなおさら、他者をあつとうする。

 反論などいつさい許さぬジーナのはくりよくにそれでもアレクシスが何かを言おうとし……パンを口にっ込まれた。声による威圧感に加え、どうやら物理的にも反論を許さないようだ。

 それを察してか何か言おうとしていたパーシヴァルも口をつぐみ、モアネットだけが彼女のそでを引っ張った。

「ジーナさん、私もごいつしよします。私も魔女ですから」

「そう言ってくれると思ってたわ、モアネット。二人で魔女とは何たるかを教えてあげましょうね」

「はい! ……それに、私がどうにかしなきゃ」

 ふとモアネットがこわいろを落とし、次いで小さく「姉だから」とつぶやいた。それを聞いたジーナが瞳を細め、そして兜の口元にパンを押し付けてくる。今回はなぐさめの意味を込めてのパンなのだろう。押し付けるあまりじやつかんつぶれかけているが、それもお構いなしである。

 詰め込まれないだけマシかぁ……と、そんなことを考えつつモアネットがパンを受け取ろうとしたしゆんかん、ガサと葉がれる音が周囲にひびいた。

 解けかけていたきんちようの糸が再び張り、モアネットの心臓がよろいの中でね上がる。

 誰か居る。王宮からの追っ手がもう追いついたのか。そう誰もが考え、けいかいの色を強めて周囲を見回し……、

「なんか楽しい話してるみたいだな、可愛かわいおいっ子よ。その話、叔父おじさんにも聞かせてもらえないかなぁ?」

 と、わざとらしい口調と共に姿を現した男に啞然とした。

 年のころならばモアネットの父親ぐらいだろうか。老いを感じさせる茶色の瞳は、それでもこの事態にまるで玩具おもちやを見つけた子供のようにニンマリと細まっている。いかつさと男くささを混ぜ合わせた独特なふん、だがどことなくアレクシスや彼の父に似ている。

 そんな男の姿にモアネットがもしやと小さく呟き、次いでアレクシスとパーシヴァルに視線をやった。

 二人の表情はこれでもかと青ざめ引きつっている。だがそれはさきほどまでの絶望を感じさせるものではなく、

 うわ、めんどうなのが来た……、

 と言いたげである。





 身をかくすためにもと乗り込むよううながされた馬車はごうの一言につき、出された紅茶をジーナが満足そうに受け取った。モアネットもまた紅茶と砂糖を受け取り、「こんなものしか無いが」とびる男にフルフルと兜を横にってみせた。魔女は紅茶一杯でも良いのだ。というよりつう美味おいしい紅茶である。

 ちなみにアレクシスとパーシヴァルはといえば、「てめぇらは水でも飲んでろ」と何も入っていない水をわたされ、うんざりとした表情を浮かべている。のっけからあつかいの格差が歴然ではないか。

 そんな男の名はオルド・ラウドル。おうていという立場であり、アレクシスの叔父にあたる。

 本来であれば王宮からはなれた地で暮らしているはずの人物に、アレクシスがほおを引きつらせながらも彼をモアネットとジーナにしようかいした。ジーナが優雅に微笑ほほえんで返し、モアネットもまたギシと音をたてながら頭を下げる。

 次いで兜を上げてオルドの様子をうかがった。やはりアレクシスに似ている、となりに座っている今は親子と言われても信じてしまいそうなほどだ。

 アレクシスをけさせ、そこに威圧感と野性味を混ぜて体格を良くすればこうなるだろう。あとこんじようひねくれさせる必要もあるかもしれない。そのうえ人並み外れた野心を植え付ければかんぺきである。

 言い過ぎと言うなかれ、なにせそれ程までの人物なのだ。

 オルドは王弟でありながらおのれが国をぐことをかつぼうし、いつか玉座に座るのだと野心をいだいていた。……いや、野心を抱くどころか常にそのために行動をしていた。

 第一王子である兄をとそうと策略をめぐらせ実行し、兄が正式に跡を継いで王になってもなお玉座をねらい、くびこうとはげんでいたという。

「……十三回目に寝首を搔こうとした時、さすがに親族一同のげき《りん》にれてへきに追いやられたんだ。そこで大人しくなるはず……ってみんな考えたらしいんだけど」

 そこまで語ってアレクシスがせいだいためいきいた。その様子から、王族の期待に反して僻地に追いやられたオルドがまったく大人しくしていなかったことが分かる。

 なにせ彼が追いやられた僻地というのが、現状国内にありながらも独立しているとくしゆな地域なのだ。それがオルドの統治下であるのは言うまでもなく、彼は追いやられるやいなやそこに住む者達をしようあくし独立宣言をした。王どころか国にけんを売ったのだ。

 そのやつかいさと言ったらない。幼い頃は王宮から離れた地で過ごし、王宮に顔を出すやすぐさま鎧をまとって古城にこもってしまったモアネットでさえ、オルドの話は聞いたことがある。もちろん、悪いうわさとして。


「……事あるごとにちょっかいを出してきて、それでいて自分の土地には絶対に入らせない。みんな話す時は頭が痛いって言ってるよ」

「失礼だなアレクシス。俺だってさすがに最近は寝首を搔くような真似まねはしないだろ」

「そこはほこるところじゃないよ……」

 アレクシスが溜息交じりに返せば、オルドが若い頃の自分の行動を思い返してか小さく溜息を吐いた。それと同時に「俺も鹿だった」とポツリと呟く。

 その言葉に、そしてぎやく的に笑う表情に、だれもがおやとオルドに視線をやった。

 茶色のひとみを細め、窓の外をながめるオルドの姿にはあいしゆうさえ感じられる。

 かつての自分のこうじ、そして失ってしまったしんらいしんでいるのだろうか。見ているこちらの胸が痛みかねないその姿に、モアネットがかぶとの中で小さくオルドを呼ぼうとし……、

「兄貴さえ殺せばいいと思ってたなんて、俺も馬鹿だったよ。玉座に座るためには、こっちのばんも固めとかなきゃなんねぇもんな」

 という言葉に兜の中で瞳を細めた。

 どうやら人間はそうそう簡単に変わるものではないらしく、オルドは今だって王の寝首を搔く気満々なようだ。それどころか、自分の足元を固めてから国を引っり返そうと考えているらしい。

 これは大人しくなるどころか悪化のいつだ。を付けた分更に厄介になったと言える。

 アレクシスが心底あきれたような表情を浮かべ、盛大にかたを落とした。「そう言うと思った」という彼の言葉はろうを感じさせ、甥にまでこんな態度を取られるオルドの性格がよく分かる。

 そんな彼はと言えば、向けられる呆れの視線にまったく気付いていないのか気付いたうえで無視しているのか──彼の性格を考えるに後者の可能性の方が高い──、自分の紹介は終わりだと言いたげに「それで」とごういんに話題を変えてしまった。

 オルドの表情がニヤリとあくどいものに変わる。

「俺は一年前にお前達のとこにめ込むつもりだったんだ。ところが国内は変な噂が蔓延はびこって、アレクシスの評価がガタ落ちときた。兄貴もお前も一気に蹴落としてやろうと考えてた俺の計画が台無しだ」

「……またさらっとひどいことを」

「そのうえ、一度様子見をしようと計画を練り直してたらこのさわぎだ。お前がもどって来た混乱に乗じて兄貴を殺してやろうかとも思ったんだが、王宮に近付けばみようだるさが付き纏う。これは何かあるなと察してお前達の跡をつけたんだ」

「まさか僕達を助けるために……なんてことは無いか」

「あぁ、無いな。役に立つなら拾っても良いと思ってたが、役に立たないなら見捨てるつもりだった」

「だよね」

 ばくだん発言ばかりの話に、アレクシスが呆れを隠さずに返す。そこに傷ついている様子はいつさい無く、むしろ傷つく時間がだと言いたげだ。

 そんな二人のやりとりに、モアネットが兜の中で瞳を細めるどころか見ていられないと瞳を閉じた。オルドの厄介さは噂に聞いていたが、噂をはるかにえた厄介さではないか。

 だがそんな厄介な男に今は拾われている。

 それを思えば、いったい何に巻き込まれるのかとモアネットの中で警戒の色が強まった。ほかでもないオルドだ、まさか善意で助けてくれたなんてことはないだろう。というか現に『役に立つかいなか』という基準で話している。

 なんとも分かりやすい男ではないか。その分かり易さは今のところ好意にはつながりがたいが。

「でも叔父さん、今の僕は役になんか立たないよ」

「アレクシス?」

「全部無くなったんだ、もう僕には何も無い……。叔父さんにとって拾う価値も無い……」

 王宮での仕打ち、そして家族から見限られたことを思い出したのだろう、アレクシスのこわいろは酷くしずんでいる。まゆじりが下がり、深い茶色の瞳がげるようにらされた。

 気持ちを察してパーシヴァルがそっと優しく彼の肩をさすってやる。だがパーシヴァルの表情もまた痛々しい。彼もまた忠誠をちかう王に見限られ、そして志を共にしていたはずの仲間達とたもとを分かったのだ。

 二人のやりとりはそうかんただよわせあわれとさえ言える。だがそれに対してオルドは意外だと言いたげに瞳を丸くさせた。おどろいたその表情はどことなくアレクシスに似ている。

 そんな彼は盛大に溜息を吐くとモアネットとジーナへと向き直り、どういうわけか軽く頭を下げてきた。

 モアネットがいったい何かと兜の中でキョトンとし、隣に座るジーナがゆうに笑う。

「良い子ちゃんで馬鹿なおいだと思っていたが、ここまで馬鹿とは思わなかった。申し訳ない」

 そう話すオルドの口調はていねいで、心から詫びていることが分かる。

 だが謝られてもモアネットには何のことか分からず、ギシと兜をきしませて首をかしげるしかない。対してジーナは相変わらず優雅に笑ったままだ。彼女を見上げれば、その表情はこの謝罪に対してまんざらでもないと言いたげではないか。

 次いでジーナはモアネットの視線に気付くとこちらを見つめ、楽し気に口角を上げた。心なしか彼女のひざに乗るコンチェッタも得意気に見える。

「まさかじよを二人も味方につけて何も無いとは……」

「魔女を手中に収めたと得意気になるよりマシだわ」

「いやしかし、これは無礼にあたいする。馬鹿な甥に代わって謝罪させてほしい」

「あら、気になさらないで。こういう扱いもたまになら良いものよ」

 コロコロと笑うジーナの言葉に、アレクシスや彼をなだめていたパーシヴァルも視線をやる。

 いったい何の話だと不思議がる二人の表情を見て、オルドのけんしわが寄った。溜息は深く、彼がどれだけ呆れているのかが分かる。そのうえ深い茶色の瞳にじっとりとにらまれ、アレクシスとパーシヴァルがばつが悪そうに顔を見合わせた。

 ごろから呆れられる最たる存在であるオルドに、今は逆に呆れられているのだ。それがまたこんわく心地ごこちの悪さを感じさせるのか、アレクシスがまどいをふくんだ声色で叔父おじを呼んだ。

「叔父さん、何の話……?」

「今のお前は何も無いどころか、国も世界も引っ繰り返せるって話だ」

「僕が?」

 とつぴようも無い話にアレクシスが首を傾げて問えば、それにもまたオルドが溜息を吐いた。

 パーシヴァルもまた同様に不思議そうな表情をかべている。ていの疑惑をけられ王宮から逃げたアレクシスが、いったいどうして世界を引っ繰り返せるのかが分からないのだろう。

 そんな二人に対して、いち早くオルドの言わんとしていることに気付いたモアネットは兜の中で小さく「そうか」とつぶやき、次いでジーナへと視線を向けた。彼女は最初からすべて理解しているのだろう、ゆうぜんとした様子で膝の上に座るコンチェッタをでている。その表情はどこかゆうえつかんひたっているようで、モアネットと目が合うとパチンとウィンクしてきた。

「良いかアレクシス、世界中を探したって魔女を味方につけてる王族は居ない。これが何を意味してるか分かるか?」

「よく分からないけど、味方は多いにしたことないってこと?」

「違う、馬鹿。お前がその気になれば、どの国が相手だろうとひとひねりってことだ」

 説明させるなとでも言いたげなオルドのあらい口調に、アレクシスが目を丸くさせた。彼にとって突飛過ぎる話なのだろう。頭上にもんが飛びいそうなほどだ。

 そんなアレクシスをねたのか、ジーナが優雅に笑って「オルドの言う通りよ」と後押しした。そのついでと言わんばかりにパンをアレクシスの口にめ込むのは、きっと「話が進まないからだまってなさい」という事なのだろう。

 そのしゆんかんコンチェッタがカッ! と目を見開き、アレクシスに──正確に言うのならばアレクシスの口元のパンに──飛びかかった。これでもうアレクシスの発言権は無くなったも同然である。

 パーシヴァルがそれを見てあわてて口元を手で押さえるのは、アレクシスの二のまいめんだとちんもくうつたえているのだろうか。「何も言わないからパンはかんべんしてください」そう無言で訴えているように見えてならない。

 パン一つでこの場を支配する、これもまた魔女のしゆわんか。

 ……いや、違うだろうけれど。

 そうモアネットが自分の中で考えを否定していると、ジーナがアレクシスに視線をやった。

「そうねぇ」とらす口調はどこか楽し気で、彼を見る視線もやわく細まっている。

「たとえば、今オルドが『世界をぎゆうるから力を貸してくれ』って言ってきても興味ないけど、アレクシスが『なんだか色々とつかれちゃったから、国をほろぼして世界を牛耳りたいよ』って言ってきたら同行するわね」

「ジーナさんの中のアレクシス様、気力ないけど野心すごいですね」

「モアネット、そうなったら貴女あなたはどうする?」

「ジーナさんが行くなら私も行きます」

 もちろんだとモアネットがそくとうすれば、膝に乗っていたロバートソンがおもむろに前の足を上げた。きっと彼も賛同しているに違いない。

 その姿にモアネットの胸が温まり、そっと鉄でおおわれた人差し指を彼に差し出した。人差し指とロバートソンの足がれる。まるで心が通じ合っているようではないか。

 そのやりとりを見ていたジーナがモアネットのかぶとに手をえ、それどころかギュッときしめてきた。頭を撫でほおり寄せ、自分をしたってくれる新米魔女を心からでる。それが照れくさくもありうれしくもあり、モアネットもまたギシとよろいを軋ませてジーナに抱き着いた。

「アレクシスが『紅茶をらす時間がひまだからその間に世界を牛耳ろうかな』って言い出したら、いつしよに魔女の力を世界に見せつけてあげましょうね」

「ジーナさんの中のアレクシス様、紅茶のおちやけ程度に世界を牛耳りますね。でも付いていきます、ジーナさんの行く場所が私の行く場所です。世界の牛耳り方を教えてください」

「もちろんよモアネット!」

 自分を慕うこうはい魔女が可愛かわいいとジーナがより強く抱き着いてくる。──ちなみに二人のやりとりに対しアレクシスがパンをくわえたままふがふがと反論しようとしたが、コンチェッタにヴーとうなられて断念してしまった──

 そんなモアネットとジーナのやりとりを前に、オルドがチラとアレクシスをいちべつした。これが答えだと言いたげなその視線と表情に、さすがに察してアレクシスがうなずく。

 そう、これこそが世界を引っり返せる要因なのだ。

 アレクシスが決意すればジーナがおもしろ半分とはいえ同行し、モアネットも親鳥の後を追うひなどりのごとくジーナに付いてくる。結果的に見れば、アレクシスの一声で魔女が世界を相手に魔術を使うという事なのだ。それも、アレクシスが望むままに、彼に世界を牛耳らせるために。

 本来、魔女とは王族の命令といえど気分がのらなければ首を縦にらないもの。それがここまでかたれしているのはどの国にも前例がない。

 なにせ、この肩入れもまた魔女の『気まぐれ』によるものなのだ。だれも成り代わる事が出来ず、仮にアレクシスが自らの立場をオルドにゆずったとしても魔女は付いてこないだろう。

 これは世界を引っ繰り返しかねず、そして他者からしてみればきようでしかない。

「俺からしてみれば、今のお前は兄貴よりけいかいすべき存在だ」

 そうはっきりと言い切るオルドに、アレクシスがいまだ実感がかないと言いたげにぜんとする。

 だがそんな彼に対してオルドはづかうこともなく、それどころかさっさと話題を変えてパーシヴァルへと視線をやった。突然話を振られるとは思っていなかったのか、パーシヴァルがあお色のひとみわずかに丸くさせて何を言われるのかと身構えた。

「ところで、なんでこのじようきようでパーシヴァルだけがアレクシスに付いてるんだ? そもそもこの状況はどういうことだ」

「いえ、それは、どうして俺だけなのかは自分でも分かりません。ですが全ては魔女ののろい……だから、陛下も国民も……」

 惑わされている、そう呟くパーシヴァルの声色はひどく沈んでいる。きっと王宮でのことを思い出したのだろう。

 そんなパーシヴァルにも気遣ってやる気はないのか、オルドが話を聞くや「なんだ、あれは魔女が流したデマなのか」と答えた。酷くあっさりとしたその態度に誰もが目を丸くする。

 確かに魔女が魔術で流したデマだ。だがそのデマは根深く、くつがえすことが出来ずに今に至る。

 だというのにオルドはあっさりなつとくしてしまい、それどころかおのれもまただまされたと不満げにぼやいている。次いでぼやくのをやめると、今度は魔女の呪いがいかに難解かを半ばめるように話し出した。──どことなく楽しそうなのは、言わずもがな魔女を自分の味方に引き込もうと考えているからだろう──

「アレクシスのうわさは俺の領土にまで流れてきた。国費の使い込みだの賄賂わいろだの内容はちんだが、それをここまでまんえんさせるとは、さすがは魔女の魔術だ」

叔父おじさん、僕の噂は聞いて……信じてたんだよね?」

「一部は調べりゃデマだと分かったが、出所の分からないもんは信じてたな」

「そっか、叔父さんは……叔父さんだけは、ちゃんと調べてくれたんだ……。みんなからは今まで騙されたとか、裏切り者だって言われてたけど……」

 はなからさげすむことをせず、きちんと噂のしんを疑い調べてくれる人が居た。それがアレクシスにとって意外であり嬉しくもあるのだろう。多少なり気持ちが救われたのか、オルドに向ける視線には感謝の色さえ宿っている。

 そんなアレクシスに対し、オルドがジッと彼をえ、そしてその肩に手を置いた。

 野性味あふれるおうていが、うるわしい王子をなだめる。その光景はなんとも様になっており、まるで絵画のようではないかとモアネットがかんたんいきらし……、

「そもそも、俺は元からお前を高くは評価してないからな。いまさらお前がていを働こうが何しようが、噂がデマだろうが事実だろうが、元より無い好感度は下がらない」

 という一刀両断に瞳を細めた。

「……叔父さん、何一つるがないね」

「兄貴の血をいでるってだけでむしが走るし、そのうえお前みたいな良い子ちゃんの優等生はいけ好かない」

「今はもう叔父さんのそのお構い無しなところが心地ここち良いぐらいだ」

「むしろ不貞の噂を聞いて『お、あいつもやるじゃねぇか』ぐらいに思ってたな」

「まさかの高評価! 僕は不貞なんて働いてないよ!」

 潔白だ! と訴えつつアレクシスが己の肩に置かれたオルドの手をはらった。その際にオルドが発した「童貞か」という品の無い一言は、アレクシスはもちろんだれもが無視である。

「僕は不貞も働いてないしかくし子もいない。国費だって使ってない!」

「なんだ、相変わらず良い子ちゃんの優等生か」

「……いや、もう良い子以前ちやんの優等生にももどれない」

 つまらないと言いたげなオルドの言葉に、アレクシスが小さく呟くように返し、次いでモアネットに視線を向けてきた。

 兜しに見る彼の瞳はどこか少し申し訳なさそうで、それでいて決意を宿したようにも見える。深い茶色の瞳がいつもよりく思え、見つめられているあつぱくかんにモアネットがそれでもこらえるように彼を見据えて返した。

 何かを言いかけ、彼が僅かに瞳を細める。物言いたげなその仕草にうながすように問おうとしたしゆんかん、それよりも先に彼が名前を呼んできた。

「モアネット、僕はずっと君に謝り続けてきた。過去の非道を許してほしいと願って、そしていつか許してもらえるかもしれないと思って君に謝り続けてきた。もしもすべてがじよの呪いならなおの事、許しを得られるかもしれないと思ってた……」

「……アレクシス様」

きよぜつの言葉を口にして君を傷つけたのはちがいなく僕だ。これからも謝り続ける。だけどもう許してほしいとは言わない。全てが魔女の呪いだったとしても、ずっと僕をうらみ続けてくれ」

 そう告げてくるアレクシスの瞳には確固たる意志が宿っている。

 彼は事のほつたんを察し、そして察したがゆえに『魔女の呪い』という言い訳を捨てたのだ。

 何に対してか、考えるまでも無い。

「たとえ全てが魔女の呪いのせいだとしても、僕は彼等を許せない。だから、僕は君に許してくれとは言わない」

 アレクシスの言葉は熱を帯びているようにさえ聞こえ、向けられたモアネットが兜の中で小さく息をんだ。

 彼は『魔女の呪い』という言い訳を捨て、かつての非道への許しをあきらめた。己が『魔女の呪い』により受けた仕打ちを許せないからこそ、己もまた許されまいと決めたのだ。

 それに対してモアネットは僅かにうつむき、少しだけ速まった呼吸を落ち着かせるように深く息をいた。

 のうぎるのは両親と妹のおくへいおんだった家族の時間、そしてそこからの転落……。

 せめて家族くらいはといだいて打ちくだかれた期待、周囲の目におびほこりくさい古城にげ込んだみじめさ。誰も来てくれるなと古城にこもり、たったいつぴき蜘蛛くもを心の支えに過ごした日々。



 なによりつらかったのはアレクシスの言葉か?

 いや違う、辛かったのはあの一言を発端に全てがくずれたことだ。



 翌日には説明も無しにアレクシスとのこんやくを妹にえられた。それはモアネットにとって用済みと言われたようなもので、胸に負った傷をより深くえぐった。「そうか、やっぱり私は……」と、そうモアネットのぎやく的な考えを後押ししたのだ。

 家族からたった一言でもあれば救われたのに、かばってくれたなら立ち直れたかもしれないのに。その一言は幼い時にも、それどころかいまだに聞こえてこない。

 自分もまた決めねばならない。そう決意し、モアネットが改めてアレクシスに向き直った。

「えぇ、もちろんです。たとえ全てが魔女の呪いだったとしても、私もあの日の言葉を忘れたりはしない。受けた仕打ちを許しはしません」

 モアネットの言葉はアレクシスに向けてこそいるが、ね返り自分のよろいの中に、それどころか心臓にけ込むようではないか。心臓に溶け込み、みだして体をめぐり、まるで矢のようにけて記憶にかぶ家族をつらぬいていく。

 たがいのかくかくにんし合うように見つめ合い、次いでアレクシスがパーシヴァルに視線をやった。

 さきほどのやりとりから二人の覚悟を察したのだろう、彼もまたしんけんみを帯びた表情を浮かべている。そうして彼はアレクシスが申し訳なさそうにまゆじりを下げて名前を呼ぶや、その先を言わせまいとさえぎるように言葉をかぶせた。

「まさか、しようごうや家名のために王宮に戻れなんて言いませんよね」

「……パーシヴァル」

貴方あなたを王宮から連れ出した時から、俺は除名もかんどうも覚悟していました」

 そうしようしながらパーシヴァルが話す。

 彼もまた今回の件で全てを失いかけているのだ。だれもが信じ込んだアレクシスの不貞の噂をたった一人疑い続け、魔女ののろいだとうつたえた。きっと周囲から白い目で見られ、時にはアレクシスと共犯ではないかと疑いをかけられたりもしただろう。

 モアネットの脳裏に、自分一人取り残されたきようを訴える彼の声がよみがえった。誰もがアレクシスの不貞を信じるのは何故なぜか、それをおかしいと感じる自分の方が異常に思えてくる、そう悲痛な声で訴えふるえるうでで強くきしめてきたのだ。

 どれだけこわかったか。何度自分の中のわくを捨てて周囲に溶け込んでしまおうと思っただろうか。直接的に呪われているわけではないパーシヴァルは、周囲が口々に言うアレクシスへの批判に対し、たった一言「俺もそう思う」と言ってしまえば良いのだ。

 それでも彼はアレクシスの潔白を信じ、そして行動を起こした。周囲の言葉を無視し、アレクシスを連れて王宮から抜けだしたのだ。

 その挙げ句、王の眼前で自ら騎士の称号を捨てることもいとわないとごうした。はたから見ればパーシヴァルの行動は騎士としてあるまじきこう、国に対しての裏切りと言われても仕方ない。

 騎士の称号は当然だがはくだつされ、ていさいために家系からも名を消される……。

 そんな可能性も全て考え、それでもアレクシスを針のむしろである王宮から連れ出したのだ。そうパーシヴァルが話せば、アレクシスが表情をゆるめて謝罪ではなく感謝の言葉を返した。

 そんな二人のやりとりをながめるオルドの表情はみように楽し気で、細められたひとみえがく口元は良からぬことをたくらんでいると言っているようなものではないか。

「魔女が二人に、だつ良い子ちゃんの王子が一人、それに無職が一人か……。仕事ほうって来たかいがあったな」

「む、無職!? 無職とは俺の事ですか!?」

「当たり前だろ、パーシヴァル。騎士の称号が無くなったらお前はなんだ?」

「うっ……た、確かに、騎士の称号はありませんが……」

「だから、お前は何だ? ほら言ってみろ、さっさと認めろ」

「むっ……無職、です……!」

 うなりながらも認めるパーシヴァルに、その態度こそおもしろいと言いたげにオルドが笑う。そのうえ「雑用係くらいにはしてやろう」とまで言い出すのだから、なんと意地の悪い男だろうか。アレクシスがためいきき「気にしたら負けだよ」とパーシヴァルを宥める。

 だが事実、騎士の称号を捨て、更に家からも除名されかけているパーシヴァルには『魔女』や『王子』のように名乗るものはない。本人もそれを自覚しているのか、それともこのじようきようでオルドに反論すべきではないと考えているのか、ただくやし気に唸るだけだ。

 そんなパーシヴァルをモアネットはジッと見つめ、次いで鎧しにおのれむなもとに視線をやった。

 けちょんけちょんにされて悔し気な彼の表情を見るのは気分が良かったはずなのに、どういうわけか今はちっともうれしくない。心の中のしゆくほうもあがらず、それどころか胸の内がもやもやとうずいて自然とけんしわが寄ってしまう。

 そんな妙なかんを覚えつつ、楽しみ足らないのか追い打ちをけようとするオルドに待ったを掛けた。

「オルド様、パーシヴァルさんは無職じゃありませんよ」

「……モアネットじよう、今本気で傷ついてるからついげきは許してくれ」

「追撃なんてかけませんよ。むしろ、オルド様が魔女を利用するのならパーシヴァルさんはなにより強い切り札になります」

 まるでパーシヴァルを庇うような自分の発言に、モアネットは己の胸の内が分からないと思いながらも彼へと視線をやった。

 いまだ己が何かを分かっていないのだろう、パーシヴァルが不思議そうにこちらを見てくる。

「パーシヴァルさん、私が王宮でじゆつを使ったとき、みんなせたのにパーシヴァルさんは立っていられた。どうしてか分かりますか?」

「……そうだ。確かにあの時、俺は立っていた。みんな苦し気にうめいていたが何も感じなかったんだ。コンチェッタも居なかったのに。どうして……」

「理由はただ一つです」

 そうモアネットが告げれば、パーシヴァルが考えを巡らせるように視線を他所よそに向けた。あのしゆんかんを思い出しているのだろうか、それとも今までのこともふくめて記憶をはんすうしているのか、あお色の瞳がゆっくりとらぐ。

 そうして彼もまた結論に辿たどり着いたのだろう、瞳を見開くと共に息を吞んで顔を上げた。それに合わせて、モアネットが答えをき付けるため口を開く。

「まさか、これがこいのちか」

「パーシヴァルさんが魔女殺しだからで……え、今何か言い掛けました?」

「んっんぐぅ! いや何でもない、話を続けてくれ。俺が魔女殺しだからで……俺が魔女殺し?」

 妙なせきばらいの後に一転して目を丸くさせるパーシヴァルに、モアネットがこうていするようにうなずいて見せた。一瞬彼が何か言いかけていたが、生憎あいにくと自分の声と被さってしまって聞こえなかった。だが本人が「何でもない」と言っているのであえて問う必要も無いだろう。

 なにより、今話すべきは彼が魔女殺しという件についてだ。

 見ればパーシヴァルはもちろんアレクシスもぜんとし、オルドもまたおどろきをかくせずにパーシヴァルに視線を向けて「魔女殺し……」とつぶやいている。

 だがジーナだけは驚いた様子も無く、どこかツンとました表情で己のひざもどってきたコンチェッタをでていた。その仕草を見るに、きっと彼女はすでに気付いていたのだろう。

「俺が魔女殺し……そうか、だからあの時……」

「はい。だからパーシヴァルさんだけが伏せることなく立っていられたんです。魔女殺しは魔女の魔術が効かない、私の魔術も貴方あなたに効かなかった」

「だがモアネット嬢、魔女殺しはもう居ないんじゃないのか?」

「魔女殺しはえたものだと思っていました。でも、それはあくまでたった一冊の本を読んでそう思い込んでいただけのこと。ジーナさん、本当は魔女殺しは途絶えていなかったんですよね?」

「えぇ、そうよ。元々魔女殺しは魔女私達ちがって血筋に宿るものじゃない。ある日とつぜん、なんのまえれも無く生まれるもの。だからこそ、魔女は魔女殺しを減らすことは出来ても途絶えさせる事は出来ないの」

 そう話すジーナに、モアネットがやはりと心の中で呟いた。

 モアネットが読んでいた本には、魔女と魔女殺しの争いだけがつづられていた。彼等が『魔女殺し』と呼ばれるに至った事件と、そこからの長いたたかい、そしていかに魔女がざんこくに彼等をっていったかだけだ。

 それもずいぶんと魔女にかたよった書き方で、資料というにはいささきやくしよくめいた部分も目立つ。らくを目的とした本と言えるだろう。アイディラ家にはその一冊しか残されていなかった。

 そしてその本には魔女殺しの生まれについては書かれておらず、魔女殺し狩りがぱたりと止まったことだけが書かれていた。ゆえにモアネットは魔女が『魔女殺しの最後の一人』を殺し根絶やしにしたのだと、もう魔女殺しは居ないとかんちがいしてしまったのだ。

 一族ろうとうみなごろしにすれば以降は生まれないものだと、血筋に宿る魔女自分達と同じものだと決めつけてしまった。

 実際は『魔女殺しの最後の一人』を殺したのではなく、『当時の魔女が見つけられた、当時生きていた魔女殺しの最後の一人』を殺したに過ぎない。その後も魔女殺しは生まれ、そして気分屋な魔女達は彼等を狩ることにきてしまっただけなのだ。

 魔女殺しはもう居ないと勝手に思い込み、だからこそパーシヴァルが魔女殺しであることに気が付かなかった。だが思い返してみれば、彼に魔術が効かなかったことが何度かあったではないか。

 もっと早く気付けば良かった。そう自分の思い込みとかつさをモアネットが心の中でやんでいると、パーシヴァルが「俺が魔女殺し……」と呟いた。その声はいまだ驚きを隠せてはいないが、それでも自分の中でこの事実を落とし込もうとしているのが分かる。

「そうか、だから魔女ののろいが効かず、俺だけがアレクシス王子を信じていたのか……」

「アレクシス様に掛けられた呪いも、魔女殺しであるパーシヴァルさんにはえいきようしなかった。どんな魔女が来ようと、パーシヴァルさんに魔術を掛けることも呪うことも……」

 出来ないと言い掛け、モアネットがとあることに思い至りこわいろを一気に落とした。

 パーシヴァルが魔女殺しであることは間違いない。魔女の魔術が効かない魔女殺し。過去も、今も、これからも、彼を呪える魔女は居ない。

 それは長く続く魔女の家系であるアバルキン家も例外ではなく、モアネットが問うように視線をやればジーナがしやくだと言いたげな声色で「私にも無理だわ」とかたすくめた。次いでツンとすまして「魔術が効かないなんて生意気よね」と膝の上のコンチェッタにうつたえている。

 彼女がねてしまうのも仕方あるまい。魔女としてのプライドがあるからこそだ。

 なにせどれだけすぐれた魔女であっても魔女殺しは呪えない。もちろん新米魔女も同じこと。

 つまり、すべてが終わってもモアネットはパーシヴァルを呪えない……。

「……なにが『全て終わったあかつきには俺を呪い殺してくれて良い』ですか。魔女殺しじゃ呪えないじゃないですか。うそき」

「モアネット嬢!?」

だまされた。パーシヴァルさんの大噓吐き」

 ふんとそっぽを向いてモアネットが近くにあったクッションを引き寄せる。

 そうして最後に「魔女殺しは魔女の敵です」と言い捨ててクッションにたおれ込むように身を預ければ、パーシヴァルがあわてて名を呼んできた。

「モアネット嬢、俺も知らなかったんだ」

「知らなかろうが何だろうが、呪えないのは事実です。パーシヴァルさんは噓吐きです」

「それなら呪いじゃなくて直接くればいい。全てが終わったら、俺をレンガでなぐってくれ」

「いやですよ。犯罪者になる」

 ピシャリと言い切り、モアネットがかぶとをクッションにうずめた。相変わらず胸の内のもやがぐるぐると渦をえがいているのだ。パーシヴァルの声を聞くと余計に渦が加速する。

 だからこそモアネットがクッションに兜を埋めて『もう話さないアピール』をすれば、それが分かってパーシヴァルがどうしたものかとあせり、果てには「それならレンガに似たもので殴ってくれ」となぞきよう点を提案し出す。

 さきほどまでただよっていた決意ときんぱくの空気をぶちこわすこのやりとりに、あきれ交じりのしようかべていたアレクシスが「そういえば」とふとモアネットに視線を向けた。

「そういえば、パーシヴァルが魔女殺しだとすると、もしかしてはんのおとっ……!」

 言い掛けたアレクシスの言葉をちゆうで止めたのは、今回もまたジーナである。もちろん、くわしく言うのであればジーナのパンだ。

ふぃふぃいなジーナふぁにをなにを……」

「あら、何でもないのよ。ほらコンチェッタ、お食べなさい」

 コンチェッタを揺すりパンを食べるように差し向けるのは、言わずもがなくちふうじである。それを察して、アレクシスがしぶしぶとパンをくわえたままコンチェッタをきかかえた。

 何も言わないのはジーナからの圧力を感じているからと、そしてしやべろうとするとパンが揺れてコンチェッタが「ヴー食べにくい」とうなるからである。魔女と使い魔にはさまれて、アレクシスがていこうを訴える代わりにひとみを閉じた。

 そうして馬車の中には、クッションに兜を埋めて「噓吐き、大噓吐き」とり返すモアネットと、そんな彼女をどうなだめて良いのか分からずこんわくするパーシヴァル。そしてコンチェッタのパン支え係と化しているアレクシスと、余計な発言は許すまいとあつかんを漂わせつつゆう微笑ほほえむジーナ……。

 国を追われたとは思えない間のけた光景に、オルドが「良いものを拾った」とニンマリと笑った。



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