1章_1



 時間がつにつれじよじよに会話が減り、時折ポツリポツリと呟くように今後のことを話す。だいに空気が重くなるのは、いよいよだと察してアレクシスとパーシヴァルの表情にきんちようの色が見え始めたからである。

 モアネットもどことなく心地ごこちの悪さを感じ、窓の外へと視線を逃がした。景色が流れていく。しばらく走れば覚えのある景色が見えてくるだろう。

 だがいかに故郷といえど、アレクシスとパーシヴァルにとっては針のむしろ。それどころか針の国。不在の間に良からぬうわさの二つや三つ増えていてもおかしくない。

 だからこそぐに王宮に向かい、これが魔女の呪いであることを説明すべきなのだ。他でもない魔女本人が証言すれば、少なくとも両陛下は信じてくれるだろう。いわれのない噂がたつまでアレクシスは彼等にとってまん息子むすこであり、そして愛を持って育てていたのだ。

 きっと分かってくれるに違いない。

 そう語るアレクシスのひとみは僅かながらも期待をいだいており、それを見たパーシヴァルもまた「両陛下なら直ぐに理解してくださいますよ」と望みをかけるように後押しをした。

 だが誤解を解いた先については何も言わず、アレクシスもパーシヴァルもにごすように視線を逸らしてしまった。その表情はどこか悲痛な色を見せ、もどかし気にくちびるを嚙みしめている。

 ここまできてしまったのだ。彼等の胸中はさぞや複雑で、すべて解決し呪いを解いても「はい元通り」とはいかないのだろう。

「ずっと考えてたんだ、全て解決したら僕は王位を……」

 アレクシスが言いかけ、言葉を濁すように溜息を吐いた。パーシヴァルも同様、思いめた険しい表情でけんつかにぎっている。

 そんな二人の様子に、モアネットがギシとかたすくめた。ずいぶんと根深いようだ……と、そう長年全身よろいに逃げ込み続けている自分をたなに上げて思う。

 ちなみに、今後を深刻に考えているのはアレクシスとパーシヴァルだけだ。

 ジーナはコンチェッタをでつつ「仕方ないわねぇ」と呟きながら荷物からパンを取り出し──もちろん二人の口に突っ込むためである──、モアネットは砂糖をカリカリと食べながら「私もパン食べたいです」とジーナに強請ねだっている。ブニャンという鳴き声はもちろんパンを強請るコンチェッタである。

 この温度差と言ったらないが、おたがいの立場を考えれば当然とも言えるだろう。

「そうだモアネット、落ち着いたら貴女あなたの古城にも招待してちょうだいね」

「はい! ジーナさんが来てくれるならロバートソンも喜びます」

「大親友の蜘蛛くもね、会えるのが楽しみだわ」

 片や深刻な空気をかもしつつ、そして醸したがゆえにパンを口に詰められ。片や長閑にねこを撫でつつ、小腹が減ったとパンを食べる。

 そんな第三者には理解しがたい光景をり広げながら馬車を走らせていると、窓の外に見慣れた景色が見えてきた。

 密集して並ぶ屋根と、その中に建つひときわ大きな建物。

 ゆうぜんと構える王宮の姿をのうえがき、国をえての旅もこれで終わりか……そうモアネットが一足早くあんの溜息を吐いた。



 ……そう、これで終わるはずだったのだ。



 だというのに市街地に着くや馬車を降りる間もなく達に囲まれ、いったい何事かと問うひまあたえられず王宮に連れてこられてしまった。

 囲む騎士達は誰もが厳しい表情をしており、中には剣を手にあつかんを与えてくる者すらいる。まるで罪人を連行しているかのような重苦しさではないか。……もっとも、騎士達からしてみれば罪人の連行そのものなのかもしれないが。

「こんなに手厚くかんげいしてくれるなんて感激だわ。ねぇモアネット」

「え、えぇそうですね……」

 ひようひようとした態度でコンチェッタをき上げたまま話すジーナに、彼女のとなりを歩くモアネットが半ばあつとうされつつコクコクとうなずいた。背後には騎士が一人張り付き、左隣でも一人けいかいするようにこちらの動きを見張っている。

 両者から漂う威圧感はじんじようではなく、さすがにジーナのようなゆうは保てない。

 むしろこのじようきようでのんびりと話せるジーナの方が異常と言えるだろう。現にパーシヴァルはかつての仲間達を険しい表情でにらみつけ、誰より厳重に警戒されているアレクシスに至っては青ざめうつむいている。

 もっとも、彼が青ざめるのも当然だ。

『どんな噂が流れているか分かったものじゃないから、まずは王宮に行って誤解を解こう』

 そんな考え自体が甘かったのだ。行動も考えも、何もかも後手だったと改めてやまされているにちがいない。

 ける言葉も無い、そうモアネットがチラとアレクシスをいちべつする。もっとも、掛ける言葉が見つかったところで囲む騎士達がそれを許してはくれないだろうが。

 なにせ不用意な言動は許すまいと眼光するどく睨みつけてくるのだ。剣の柄に手を添えているのは、しんな行動を取ればすぐさまりかからんという無言のおどしである。

 そんな中、一人の騎士がジーナに対して私語をつつしむようとがめた。随分と厳しい口調であり、これが並のれいじようであったならそれだけでふるえあがってしまっただろう。

 だが相手はジーナである。人のしがらみとらわれぬ自由なじよ。ゆえに彼女はあっさりと「女のおしやべりを止める男はもてないわよ」という一言で騎士をいつしゆうしてしまった。おまけにコンチェッタの「ヴー」といううなり付き。

 これには逆に騎士の方がおくしてしまったようで、めんらったと言わんばかりの表情でそそくさと去っていった。

「ジーナさん、すごいですね」

「あら、魔女を名乗るならこれぐらいで臆しちゃよ。モアネットも魔女なら堂々としてなきゃ。ほら、コンチェッタを抱っこして余裕を見せなさい」

「いや、今コンチェッタは……」

 えんりよしようとしたところにコンチェッタを押し付けられ、しぶしぶとモアネットが抱きかかえる。その際にあがったウニャンという鳴き声は「よろしく」とでも言っているのだろうか。

 確かに猫を抱えたまま王宮に向かえば、その姿は余裕を感じさせるだろう。それが使い魔となれば魔女らしい余裕と言えるかもしれない。

「だけど重いなぁ……」

 そうモアネットが呟けば、背後を歩いていた騎士が咎めるためにせきばらいを一つしてきた。



 そうして王宮内に連行され、両陛下と対面である。

 アレクシスにとって感動の親子の再会……なんてものにならないのは言わずもがな。当然だが持て成しなど何一つ用意されておらず、えつけんの間に立たされて周囲を騎士に囲まれ、再会というよりはじんもんに近い。

 王は険しい表情をかべ、おうもまたけんしわを寄せ見ていられないとこつに視線をらしている。二人の間に立つのはアレクシスの弟である第二王子ローデル。兄に似ておんこうで親しみやすい性格と聞いたが、今の表情からはいつさい感じられない。随分と厳しい表情だ。

 三人の様子はとうていアレクシスのかんを喜んでいるものではなく、ただよう重苦しい空気にあてられモアネットがかぶとの中でなまつばんだ。彼等からは底冷えするような威圧感すら感じられ、鉄の鎧を通してはだをチリチリとがしてくる。

 これが王族の威厳か、そうモアネットが心の中でつぶやいた。

「アレクシス、お前は自分が何をしたのか分かっているのか?」

 そうたずねてくる王の声は低く、長旅を終えた息子をいたわる色は無い。それどころかもどってきたことを責めているようで、それを察したアレクシスが弱々しく「父さん」と父を呼んだ。

 だがその言葉すら不快だと言いたげに首をられ、アレクシスが臆するように父を見上げる。

「国費を使い込んでごうゆうとは、我が国始まって以来のてんだ……」

「国費を!?」

 ためいき交じりの言葉に、アレクシスがきようがくの声をあげた。

 それにかぶさるように割って入ったのがパーシヴァルである。一歩前に出ればりよううでめにするように騎士達につかまれたが、それでもひるむことなく眼前の王をえた。

「今回の旅費は全て俺がかせいだものです! 国費に手を付けたりなどしていません!」

だまれパーシヴァル。魔女だののろいだのとさわいで、果てにはアレクシスのこうにまで同行する。騎士としての忠誠心はどうした」

 追い打ちをかけるような冷ややかな言葉に、パーシヴァルのあお色のひとみくやしそうに細まった。

 彼を動かしているのはアレクシスへの忠誠心だ。だが今目の前に立つ王もまた忠誠心をささげた人物なのだろう。いや、騎士としての忠誠心であれば王への比重が大きいか。

 だからこそ王から咎められたことがつらいとパーシヴァルが俯き、掠れる声で「俺は……」と呟いた。魔女の呪いという真実と、アレクシスへの忠誠心と、そして騎士として王にいだいた忠誠心、それらがい交ぜになって彼を責め立てているのだろう。苦しそうに瞳がらいでいる。

「アレクシス、お前はしばらく部屋で大人しくしていろ」

「そんな、これから呪いの犯人を見つけるのに……!」

「お前まで魔女だの呪いだのと言っているのか。少しでもしよばつを軽くしてやろうと、私がどれだけ苦労しているか分からないのか」

「処罰……」

 父親の口からきつけられたおんな言葉に、アレクシスが顔色を一層悪くさせて息を吞む。次いであと退ずされば、彼のそばに立っていた騎士ががすまいとその腕を摑んだ。こうそくねているのかその動きは随分とごういんで、アレクシスの表情に苦痛の色が浮かぶ。

 それを見たパーシヴァルが唸るように彼にさわるなと声をあららげ、その小さなはんこう心すらも押さえつけるように複数の騎士達に羽交い締めにされてしまった。苦しそうに唸りをあげる姿は痛々しさしかない。

 そんな姿をモアネットは兜しにながめ、どうしたものかと周囲を見回した。

 あいにくと王家のいざこざに首を突っ込む気は無いし、この重苦しい空気の中で発言をして注目を浴びるのも遠慮したいところだ。下手に動いて騎士達に取り押さえられでもしたら、魔女といえどわんりよくは少女並みのモアネットにはあらがすべは無い。

 仮にここで魔女だと名乗ったとしてもほどの効果も望めそうにないし、むしろ変にかんられかねない。両陛下がいまだ魔女の呪いをたわごとだと言っているあたり、そもそも魔女だとうつたえたところで信じてもらえるかもさだかではない。

 かといってこのままではアレクシスがらわれてしまう。同様にパーシヴァルも事態が収まるまで──きっと最悪な収まり方だ──どこかにゆうへいされるだろう。

 それはまずいなぁ……そうモアネットが考えていると、腕の中のコンチェッタが「ヴー」と唸りをあげた。

 だんの不満を訴える時と違い、今に限っては耳をたおして歯をき、心なしか全身の毛も逆立っている。そのかくの表情ははくりよくさえ感じさせ、モアネットがどうしたのかと名前を呼んでのぞき込んだ。

「……コンチェッタ? ねぇジーナさん、コンチェッタの様子が」

「おいでなすったわね」

 冷ややかに笑うジーナの言葉に、モアネットがいったい何が来たのかと問おうとし……、

「モアネットお姉様……!」

 と、悲痛な声と共にけ込んできた少女の姿を兜越しにとらえ、

「エミリア」

 と、その名を呼んだ。

「どうかお願いです。モアネットお姉様に酷いことをなさらないでください……!」

 すがるように懇願するエミリアに、だれより先に手を差しべたのはこんやくしやであるアレクシス……ではなく、ていでしかないはずの第二王子ローデル。

 彼はエミリアをおのれの隣に来させると、なだめるためにその腕をさすりだした。それどころか不安がるエミリアを支えるようにこしに手をえ、二人のきよわずかどころかぴったりと寄り添っている。

 ローデルもまたアレクシスにおとらぬ見目の良さで、そんな彼とはなやかなドレスに身を包むエミリアが寄り添い並ぶ姿はまるでなかむつまじいわかふうのようではないか。

 ……いや、事実すでに夫婦同然なのだろう。本来の立場であれば許されぬ近さで寄り添い合う二人を、両陛下は見守るだけで咎めようともしない。

「お願いです、ローデル様。どうか……」

 そうローデルに縋りつくようにい、そしてエミリアがむなもとに手を添えた。

 いのるように胸元で両手をにぎりしめる。きっと服の下にあるペンダントトップを押さえているのだろう、かつて彼女が毎夜行っていたおまじないの姿だ。

 くせになっているのか。そういえばエミリアは何かあると胸元で両手を合わせる……そう思い出すように考えたしゆんかん、モアネットの腰元がゾワリとざわついた。何とも言いがたしんどうよろいを伝い、全身が総毛立つような感覚が走る。

 そのかんうながされモアネットが己の腰元に視線をやれば、そこにあるのは見慣れたポシェット。中には魔術に使う羊皮紙やペンが入っている。

 それに……と、モアネットが僅かに息を吞む。だがそれをかくにんするより先に、エミリアを宥めるように腕を擦っていたローデルが「モアネット」と名を呼んできた。

「エミリアは貴女あなたしたっています。どうか彼女のそばに居てやってくれませんか?」

「……私が?」

「エミリアは少し子供っぽいところがあります。貴女がとなりに立って、立派な王女になれるよう支えてはくれないでしょうか」

 提案してくるローデルの口調はおだやかで、エミリアだけではなく自分達を支えてくれ……と言っているように聞こえる。それどころかエミリアにチラと視線をやるとでるように瞳を細め、かすかに表情をやわらげた。

 まるでエミリアが王女になる姿を、自分のはんりよとして王女になる日を思いえがいているかのようではないか。

 そんな分かりやすい二人の姿をモアネットがぼんやりと眺めれば、願うようにこちらを見つめてくるエミリアと視線が合った。普段は愛らしくかがやいている瞳が今は切なげな色を宿している。胸元で握られた手にさらに力が入ったのが見て分かった。

 可愛かわいい妹のそんな表情は鎧の中の胸を痛めさせ、モアネットが兜の中で小さく溜息をくと共に口を開き……、

 ポトン、

 と頭に、もといかぶとに何かが落ちてきたことでかった言葉を飲み込んだ。

 エミリアが小さく悲鳴をあげる。それどころか隣に立つローデルもおどろきをあらわにし、王妃も息を吞むような高い声を微かにらした。モアネットを囲んでいた達がギョッとした表情で目を見張る。

 だが生憎と兜をかぶっているモアネットには自分の頭上に何が落ちてきたのかは分からない。だからこそいったい何だと手っこうを伸ばそうとし……ツツと眼前に下がってきた蜘蛛くもの姿に親友の名を呼んだ。

「ロバートソン」

 毛の生えた八本の足、ふっくらとしたおなかとおしりまぎれもない、古城の留守をたのんでいるロバートソンだ。

 まさに蜘蛛といったその姿にモアネットが兜の中で瞳を輝かせれば、彼は糸を辿たどるようにゆっくりと下りてモアネットの腕の中にいるコンチェッタの頭に乗った。

 ふかふかのコンチェッタの頭に、まるでかざりのようにロバートソンが乗る。その組み合わせは至高としか言いようが無く、思わずモアネットの口から「たまらない」とこうこつの声が漏れる。

 それと同時にロバートソンに小さく感謝を告げるのは、あの瞬間、ローデルの提案にしようだくの言葉を返しかけていたからだ。



 まったく、なんて愛らしくて手のかかる妹だろうか。

 仕方ない、私がそばに居て支えてやろう……。



 と、なんでそんなことを思ったのか、冷静になった今では理由が分からない。……わけではない、理由は分かる。分かるからこそ、モアネットはローデルに寄り添うエミリアに視線をやった。

かばってくれたのはうれしいけど、私はエミリアのそばには居られないよ」

「そんな、お姉様……どうして」

「だって私はじよだから」

 魔女は気まぐれ。いかに王族の提案といえど命令といえど、そして可愛い妹の願いといえど、気分がのらなければうなずかない。

 だから今はっきりときよをするのだ。

「私は今、エミリアを支えるよりアレクシス様ののろいを解きたい気分なの」

 そうモアネットが告げれば、エミリアが悲痛そうな表情をかべ、対して彼女の隣に立つローデルや両陛下がげんそうにけんしわを寄せた。きっと『魔女』というおんな単語に反応したのだろう。

 元より魔女だ呪いだとアレクシスとパーシヴァルが……ていの果てに国費で遊び歩いた王子とその共犯者がさわいでいたのだ、その単語に良い覚えがないのは当然である。

 いぶかしげにこちらをぎようし、ローデルがエミリアを庇うように彼女の前にうでを伸ばした。周囲の騎士達がけいかいの色を強める。

 注がれるその視線は鎧をつらぬき、まるで全身にさるようではないか。とりわけ敵意が露わになっているのだからなおの事、重苦しさは倍増し鉄の鎧も体も貫いて心臓をめ上げる。息苦しさから呼吸が浅くなり、モアネットの額にあせが伝う。げるように視線をらし、あと退ずさろうとし……ジーナに名を呼ばれてとつに顔を上げた。


 見れば彼女は愛でるようなやさしいひとみでこちらを見つめ、それでもどこか厳しさを感じさせる口調で、

「コンチェッタとロバートソンを預かるわ、新米魔女さん」

 と告げてきた。

 モアネットに魔女としてえと言っているのだ。人のしがらみとらわれず、おくすことなく堂々と……。

 それを察してモアネットが頷き、コンチェッタとその頭に乗ったロバートソンをジーナにわたした。その際に彼女が「可愛くなったわね」とコンチェッタを褒めるのは、きっと頭に乗ったロバートソンのことも愛でているのだろう。

 そんな一人と二ひきを横目に見て、次いでモアネットはアレクシスとパーシヴァルに視線をやった。取り押さえられた彼等の表情は今までにないほどの絶望をただよわせており、それを見ればモアネットの胸の内にもやく。

 その靄に命じられるようにポシェットへと手を伸ばし、中からペンと羊皮紙を取り出した。泥濘ぬかるみに手を突っ込んだような不快感を覚えたのは、きっといまだエミリアが胸元で手を組んで祈り続けているからだ。

「おい、何をしている!」

 そう声をあららげ、一人の騎士がモアネットの腕をつかんだ。

 もっとも腕といえど鉄の鎧だ。摑まれたところで痛みはないが、反動で羊皮紙が鉄でおおわれた指をすべりハラリとゆかに落ちた。

「おいやめろ! モアネットじようさわるな!」

 とは、咄嗟にあがったパーシヴァルの声。

 見れば数人に取り押さえられている彼は、それでも身をよじりながらもこちらを案じてくる。このじようきよう、どう考えても自分の方が大変な目にあっているのに。

 その光景に、しいたげられている彼の姿に、モアネットの胸の内が再びざわつきだした。苦痛にゆがむパーシヴァルの表情を見ると言いようのない感情が湧く。しようそうかんに似た腹立たしさがうずき、今すぐに彼にけ寄りたいしようどうに駆られる。

 そんなはっきりとしない思いのまま、モアネットがおのれの腕を摑む騎士の手をごういんはらった。

 だがさすが日々きたえている騎士だけあり、臆することなくそれどころか振り払われるやばやこしに下げているけんを引きいて頭上にかかげた。光を反射させるえいやいばを前にし、モアネットが咄嗟に目をつぶる。

 だが予想していたしようげきは続かず、おそる恐る目を開け……次いでその瞳を見開いた。

 目の前で金のかみれる。広い背中が見える。モアネットの目の前に立ち、今まさに剣を振り下ろさんとする騎士の腕を摑むのは……。

「パーシヴァルさん……」

 モアネットがその名を呼ぶも、彼は振り返ることも答えることもしない。

 いくらパーシヴァルが鍛えられた騎士とはいえ、彼が押さえているのもまた同じ騎士だ。元々のわんりよくに差は無く、むしろめにされた状況から振り切って来たのだからパーシヴァルの方が不利といえる。押さえる腕力にも限界があるのだろう、だいに彼の腕がふるえ始めた。

「パーシヴァル、お前なに考えてるんだ。どうしてあんな王子につく……!」

 そう騎士が問うあたり顔見知りなのか。もしかしたら親しい仲だったのかもしれない。元よりパーシヴァルは騎士として勤めていたのだから、この場には共に日々を過ごした仲間が居てもおかしくない。

 掛けられる言葉にパーシヴァルがどんな表情を浮かべたのか、彼の背後にいるモアネットには分からない。それでも「騎士の忠誠心はどうした」という言葉に、彼の肩がいつしゆん震え、腕に力が込められたのが分かった。

どころの分からぬ噂を信じ、疑いもせずに王子をさげすむ。そんなこうが騎士の忠誠心というのなら、俺は喜んで騎士のしようごうを捨てる!」

 えるようなパーシヴァルの言葉に、たいするが一瞬目を見開き……次いで険しい表情で彼をにらみつけた。

 さらに一人の騎士がパーシヴァルを制止するよう押さえつければ、彼の体が押し負けグラリと揺れる。そのすきをついて、押さえられていた騎士がパーシヴァルの腕を振り払い、まるでこれが返事だと言わんばかりに剣のつかで彼をおうした。

 低い打撃の音がひびく。それに続くのはパーシヴァルのうめき声。それでも彼は退くことはせず、ほんのわずかに体勢をくずすだけにとどめモアネットを庇うために立ち続けている。

 その背に、そして今度はパーシヴァルにねらいを定めて振り下ろさんと掲げられる剣の刃に、モアネットの思考が一瞬にして熱を持った。



 彼を呪うのは私だ。

 私以外が彼を傷つけるなんて許さない。



「私のものに手を出すな!」

 吠えるように声を荒らげると共にモアネットが右の手っこうを外し、手にしていたペンを羊皮紙に……ではなく、己のてのひらに突き付けた。

 一瞬にして熱に似た痛みが走る。だがそれを小さな呻きだけに止め、強引にペンを引くと共にはだを引きいた。

「アレクシス!」

 らわれた王子の名を呼ぶのはジーナ。

 彼女はモアネットの行動を見るや、腕にかかえていたコンチェッタをアレクシスに向けてほうり投げた。コンチェッタもまたあるじの行動の意図を察したのか、頭上のロバートソンと共にまばゆく光るとアレクシスの体に飛びかかるように張り付いた。それとほぼ同時に、

ひれせ』

 と、モアネットの声が周囲に響く。

 次の瞬間周囲にいた者達が呻き声をあげ、まるで何かにし掛かられたかのように床に伏せた。騎士達はおろか、王もおうも、もちろんローデルもエミリアさえも……。

 起き上がろうともがく者もいるが、顔を上げるのがせいいつぱいだと言いたげに表情が歪む。手足を動かすこともままならず、指先で床をく者が大半だ。

 その圧巻とさえ言える光景の中で立っている者はと言えば、右手から血を垂らし荒い息をかぶとの中でり返すモアネットと、状況をあくすることも出来ないとぼうぜんとするアレクシス。そして満足そうに周囲を見回すジーナと……いったい何が起こったのかととつぜん床に伏せた騎士達に視線をやるパーシヴァル。

 呻き声だけが続きだれ一人として的確な言葉を発せられない中、モアネットがあわてて手っ甲をめ直した。

 われに返るとたんにジリジリと掌が痛みだすが、それを気にしている場合ではない。

「行きましょう。とにかくここから逃げなきゃ!」

「そうね。ひとまず別の場所に行きましょうか。パーシヴァル、あんた立っていられるんだから、アレクシスを連れてきてちょうだい」

「……は、はい。王子、今はまず退きましょう」

 ジーナに命じられ、パーシヴァルが慌ててアレクシスのもとへと駆け寄る。アレクシスは伏せこそしないが足元がおぼつかないのだろう、パーシヴァルのかたを借りてようやく歩けるといったところだ。それでも歩けるだけマシか、なにせ足元にはたおれ呻く者達が転がっているのだ。

 そんな中、コンチェッタが先導するように走り出した。その頭にはロバートソン。二匹はまるでゆうどうとうのように光っている。

 そんな二匹を追いかけ、モアネットは足早に部屋を後にした。……かすかに聞こえてきたエミリアの声は無視をして。聞こえなかったのだと、この鉄の兜がさえぎってしまったのだと、そう自分に言い聞かせながら。


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