四章 和国からの貢ぎ物_一




 朝議が開かれているしん殿でんへと、連行された。

 てんじようは人の身長の三倍ほども高く、規則的に並ぶ柱はこんの彩色。そのおごそかな新和殿には高位のかんたちが居並んでいる。

 正面の一段高い玉座には、こうてい・龍祥飛が、ほおづえをつき、かたひざを立てたおうへいな態度で座っていた。そのかたわらには、秦丈鉄の姿もある。

 祥飛の正面に引き出された理美は、ひんやりしたゆかひざまずかされた。

(なにが起こったの? どうなってるの?)

 一人の官吏が進み出て、祥飛に告げる。

「先にご報告しましたとおり、和国は我が国をあなどり侮辱いたしました。この雪理美も、その和国の者でございます。如何いかがいたしましょうか、陛下」

(和国が崑国を侮って侮辱した? どういうこと?)

 目の覚めるような美しい顔で、祥飛は理美を見つめる。そして、

「その者の首をね、首をしおけにして和国へ送り返せ」

 と、目の覚めるようなざんこくさを発揮した。

「待って下さい! 和国がどんな不敬を働いたんですか!? 理由もわからず首を刎ねられるなんて、なつとくできません!」

 さすがにだまっておれずに、理美は声をあげた。

 先ほどの官吏が、厳しい目を向けてくる。

「皇帝陛下のそくに際し和国から送られた祝いの品は、はなはだ我が国をろうするものだった」

「そんなはずはありません。和国は皇帝陛下の即位を心から祝うため、最高の品を用意しています。そのあかしに、かどおうじよであるわたしも後宮へと入りました」

「その祝いの品が問題だ。和国は祝いの品として、かんそうした木の皮と木ぎれを送ってきたではないか。あれがこうぼくであるならまだしも、かおりの一つもしない」

「木の皮……、木ぎれ……」

 そんなものを祝いの品として、崑国に運んだ覚えはなかった。理美は船旅のちゆうで、和国官吏に、祝いの品々を見せてもらった。その時のことを思い出し、がくぜんとした。

「あれは食材です! 食べ物です! 最上級の食材なんです!」

「あんなものが、食べ物のわけはない」

「本当です! 和国は最上級の食材をおくり物としたんです!」

 そこで祥飛が、ついと官吏を指さす。

れいしようしよ。和国の祝いの品をここに持ってこい。余が検分する」

(え……えええええっ!?)

 官吏とにらみ合っていた理美だったが、祥飛の言葉を聞いてふり返った。

(この皇帝陛下は品物も見ずに、官吏の注進だけで首を刎ねろと言ったの!? なんてさんな判断で、人の首を刎ねようとするの!)

 驚くやらあきれるやら腹が立つやら、よくわからない感情でぜんとした理美の傍らに、和国から送られた品々が、四人の衛士の手によって運びこまれる。

 とびらの大きさほどもある、大きなりのぼんに山と積まれているのは、黒く平たい、ごわごわしたかたいもの。それが何枚も重ねられ、がんじようなこよりを使って束ねられている。

 これは最高級のうみだ。海布は、海布というきよだいで平たい海草を乾燥させて作った食材だ。そのままて味をつけても美味なのだが、これを使えばごくじよう出汁だしがとれるのだ。

 そしてそのとなりに同様に積まれているのは、両てのひらに乗るほどの、ころりとしたぼうすい形の茶色の硬いかたまり

 これも高級な食材で、けんぎよけんという。堅魚という、身が血色をした、高速で泳ぐ海の魚がいる。その魚を三枚におろし、とくしゆかびを付着させていぶし、乾燥させ、かちかちになるまで水分をく。うすけずれば、こちらも極上の出汁がとれる。

 和国では海布と堅魚堅は、金と同等の価値がある。原料が貴重なこともあるが、この形になるまでに大変な手間をかけるのだ。手間をかけても失敗することが多く、加工を試みたうちの数割しか上質のものにならないのだ。

 しかし崑国人にとっては、これは木の皮と木ぎれに見えた。

(なんてこと……)

 珍しいものを贈ろうと、なまじ気をきかせたことがあだになった。わかりやすく、金のつぶでも送っておけば良かったのだ。

 しかしこうなったからには、今さらなにを言っても始まらない。

 祥飛は玉座を下りると、運びこまれた祝いの品に近づき堅魚堅を手に取る。じっと見おろすと、

「木ぎれだ。首を刎ねろ」

 いとも簡単に告げ、堅魚堅をぽいと投げもどした。

「陛下、これは食材です!」

 声をあげる理美のりよううでを、衛士がつかもうとしたときだった。

 玉座の裏側から出てきた何者かが、するすると祥飛の傍らに歩み寄った。

「陛下。雪理美は和国から運びこんだ、みような食材を利用し、後宮で重宝がられる食べ物を作っているとうわさがありますが?」

 背後から、祥飛の耳にそうささやいた意外な人物に、理美は目を見開く。

「伯礼様!」

 祥飛がいぶかしげな表情になる。

「なんだと? 伯礼」

 ぼうの宦官はわく的に微笑する。

 官吏たちはこんわく、あるいはかいな表情でたがいに目交ぜするが、だれも何も言わない。

 かつて宦官はりよれいがなったものだ。そのため今でも宮廷人たちには、宦官に対してべつ的な慣習がある。よって宦官の耳打ちというのは、おおやけの言葉にはなり得ないのだ。

 特に今は朝議の場であり、公ではない言葉に反応するのは官吏の尊厳が許さない。ただしっかり皇帝の耳にも聞こえているし、官吏の耳にも聞こえている。

 皇帝に近しい立場の宦官の耳打ちというのは、やつかいなものなのだ。官吏が高位宦官をきらう要因でもあったし、また、官吏がかげで高位宦官と結びつきたがる理由でもあった。

 玉座の傍らにひかえていた丈鉄の表情も、わずかにくもっている。

「この女は後宮で、この木の皮と木ぎれを使っているのか? 伯礼」

「いいえ、別のものを使っているようですが。もし本当にこれが和国の高級な食材であれば、かんちがいで和国のひめの首を刎ねることになります。誰か、博識の者の意見を聞かれてみては?」

 きようふるえ出しそうだった。今は伯礼の言葉にすがるしかない。

「ならば朱西を呼べ。これが口に入るものなのか、あれに判断させる」

(朱西様!? 朱西様を呼んでもらえるなら……!)

 期待が大きくなる。かおりどこつぼを返してくれたあの夜から、会いたいと願い続けていた人だ。しかも彼はしきがく博士で、理美と親しく話までしてくれたのだ。

 朱西を呼びに、かんが走る。

 理美と目が合うと、伯礼はあいまいに笑う。理美に同情し、はげましているようにも見えるが、おもしろがっているようにも見えた。

 すぐに朱西はやってきた。

「何事でしょうか、陛下」

 はいの礼の後、玉座の方へと向かってきた朱西は、そこに伯礼の姿を見つけて訝しげな顔になる。さらに玉座の前に跪く理美を見つけると、目を見開く。

「あなたは雪理美? なぜこんなところに」

 祥飛は玉座に戻ると、たいそうにまた頰杖をつく。

「朱西。おまえにきたいことがあって呼んだ。そこの木の皮と木ぎれは、和国からの貢ぎ物だ。礼部の者は、そんなものを贈った和国は、我が国を侮っていると言う。しよばつするべきだと言っている。しかし和国の姫は、それは高級な食材で、和国は余を侮ってるわけではないと言い張っている。おまえはどう思う。それは食材か?」


 理美はすがるように朱西を見あげた。彼は困惑した表情で、祥飛と伯礼を見やり、次いで理美を見る。それから意を決したようにうなずく。

「見てみましょう」

 朱西はみつぎ物の山に近づくと、海布と堅魚堅を手に取る。かおりぎ、でる。軽くはしかじろうとするが、硬さのあまりすぐにあきらめる。首をかしげた。

「どうだ、朱西」

 祥飛の問いに、朱西はまゆを寄せたまま答える。

「……かすかに、なにかの香はしますが。食べるものには思えません」

「そんな! 朱西様!」

 愕然とした理美の耳に、れいこくな祥飛の声が聞こえる。

「首を刎ねろ」

「お待ちを陛下」

 するどく制すると、朱西は立ちあがり理美を背後にかばう。

「我々には食材には思えませんが、この姫なら、食材にできるかもしれません。この姫は和国で、神にささげる食事を作る仕事をしていたと聞いています」

(朱西様……!)

 その言葉としい後ろ姿に、泣きたくなる。

「そんなものが、口に入るものに変化するのか? 法術でも使うのか?」

「わかりませんが、食学を探究する者としては、未知の食材に興味があります」

「しかし食材でなければ、和国は余をろうしたということ。その女の首をねる必要がある」

「彼女の言葉が本当かどうか、ためさせてから、首を刎ねてもおそくはないでしょう」

 そこで朱西はかたしに、理美をふり返る。

「これが食材だと、証明できますか? 理美」

「は、はい! できます。これは大変らしい食材で、とてもおいしくなるんです。和国は、けして陛下をあなどっているわけではないと証明します。証明させてください」

「では、証明しろ」

 祥飛の鋭い言葉に、声が震えそうになりながらも答える。

「今すぐは無理です。準備が必要です。ちゆうぼうと時間がないと」

「ならば七日間だけやろう。それで七日後に、余に証明してみせろ。その間は、おまえが責任を持て朱西。おまえの興味とやらにめんじてあたえる時間だ」

「ではすいきゆうをお借りできますか」

 いどむように、朱西は問う。

「俺は後宮に入れません。なのでこの姫を水祇宮に移し、そこで七日間の試みをしたいと思います」

 朱西の要求に祥飛は「好きにしろ」と答え、玉座を立った。

「女。おいしくなると言ったな? 七日後、その和国の貢ぎ物を使って、余に、うまいものを捧げろ。これで朝議は終わった」

 宣言すると、祥飛はさっさと出て行く。丈鉄はちらりと理美を見やったが、無表情のまま祥飛に従う。それを追う侍従たち。礼部と吏部のかんたちは、苦い顔をして理美をにらんでいたが、祥飛の決断に異議を唱えることもできないらしく、そのまま大人しく出て行く。

 理美は力が抜けて、立てなかった。しようしんしようめいこしが抜けていた。とりあえず首とどうつながっていることにあんして、頭は真っ白だ。

「雪理美。お久しぶりですと言いたいところですが……久しぶりに顔を見たと思えば、なんでこんなことになっているんですか、あなた」

 気の毒そうにまゆじりを下げた朱西のとなりに、ついと伯礼が並ぶ。

「伯礼。あなたが、俺を呼ぶように仕向けたと、俺を呼びに来た侍官が言っていましたよ。どうして俺を呼んだんです」

「借りがあるのでね、この人には。君なら、うまくことを運ぶと思ったから」

 伯礼は、微笑で理美を見おろす。

「伯礼、様。あ……ありがとうございます」

「まだお礼は早いよ、雪理美。君は七日間で、これが食材だと証明する必要がある」

「それは、できます……。本当に、食材なんです」

「そうだね。でもここは和国ではない。君の思うとおりにいくとは限らない」

 それだけ言うと伯礼は、背を向けて行ってしまった。

 朱西は座りこんだ理美の前に腰を落とし、顔をのぞきこむ。

「理美。だいじようですか?」

「朱西様。ありがとうございます。朱西様のおかげで……」

「伯礼も言うように、お礼を言うのは早いですよ」

「なぜ、助けてくれたんですか」

「あれが食材だと言われれば、興味をもって当然では? 俺はあんな木ぎれのような食べ物を、目にしたことがありません。それを試しもせずにしよけいするのは、ばんに過ぎるでしょう。あなたとは、少なからずえんもありますし。だから、あなたはこれから俺と共に、水祇宮というきゆうに向かいます。そこで七日間をかけて、あれが食材であることを証明するのです。いいですか?」

「はい」

「では、行きましょう」

「はい」

 と頷いたが、生まれたての鹿じかみたいに足腰がふるふるして、立ち上がれない。

「理美。立てないようですが?」

「い、いえ。待ってもらえれば立てます。きっと」

「待つとはどのくらい?」

「とりあえず、何日くらい待ってもらえますか?」

「まあ、せいぜい二、三日……ではなくて。そこまで、気長に待っていられませんね」

 朱西はいきなり理美の体をかかえ上げた。

「朱西様!?」

「運びます。暴れないで」

 あわてふためく理美と逆に、朱西は平然としている。

 今まで、これほど異性と密着した経験のない理美は、背や足に当たるかたく強いうでかんしよくと、近く感じる体温に顔がった。また会いたいと願っていた人にかれていることが、夢のようだ。目をあげると、朱西の引きまったあごの線が間近にある。かしこそうなれいな顔だ。

(近い……。お顔が近い……。というより、なにもかも近い……れてる……)

 耳まで真っ赤になった理美の様子を知らぬげに、朱西はすたすたと彼女を運んだ。女性をあつかっているというよりは、荷物を運んでいる感がいなめない。そのっ気なさでも、理美の心臓はどきどきして、そのどうが朱西に伝わらないかと心配だった。



◆◆◆    



(なんとも間の悪い人だ、雪理美は)

 蔡伯礼はこうてい祥飛を追い、皇帝の居室へと向かう。皇帝付きのないは、後宮と皇帝の間をつなぐ役目があり、位はしようさんぴん。官職こそ付かないが、官吏で言えばしようしよと並ぶ高位である。

 皇帝の意思をよく心得、後宮を束ねるきさきたちにもしんらいされる立場で、かげの発言力は強い。

 だが朝議の場で口をはさむのは、本来出過ぎたこうだ。しかしそれを承知で、伯礼はあの和国のひめぎみ、理美を助ける必要があった。

(吏部尚書あたりは、さぞ苦々しかっただろう。口を出したのが何者でもない、わたしだから。丈鉄もなかなか、かいそうだったが。しかしなんにしても、周宰相がいなかったのは幸いだった。あの人がいたら、わたしの耳打ちなど簡単にしたろう)

 くすっと笑い、その笑いのいんを綺麗に消し、祥飛のいる居室へ入る。

「陛下。先ほどは出過ぎた真似まねをいたしました」

 茶器を前に座った祥飛に深々と礼をとると、祥飛は顔をそむけたまま答える。

「かまわない。あれはただの耳打ちだ」

おそれ入ります。陛下のかんようなお心に感謝いたします」

 くつな態度と言葉に、祥飛は顔をしかめた。

 窓辺には丈鉄が静かにひかえていた。伯礼をじっと見つめている。その視線に気がついた伯礼は、彼と目が合うと、できる限り自然なみをかべる。

「なにか言いたげですね、丈鉄」

「いいや、俺もあんたと同じ、あってなきがごとき者だからな。余計な事は言わないさ」

「ごけんそんを。かんがんのわたしとはちがいますよ」

 ちくりとしたいやに気づかないふりで、伯礼は祥飛に向き直った。

「それはそうと陛下? よいは後宮へおし下さいますか? 宋貴妃はちかごろ、大変おさびしそうにしておられますよ」

「下がれ。行く気はない」

 美しいしようを残し、伯礼はその場を辞した。

 後宮へ向かいながら、いらかの向こうに、けるように青く広がる空に目を向ける。

「さて、どうしたものかな。雪理美」

 真夜中の厨房で、しるものを振るってくれた彼女のことはきらいではない。

 あの汁物を口に入れると、久しぶりに温かいものを口にしたような気がした。その日の朝に熱いかゆを食べたにもかかわらず、だ。すっかり忘れていた、心の底が温まるような感覚だった。

 きっと彼女がなんの下心も期待もなく、じゆんすいに、伯礼に温かいものを食べさせたいと思っていたからなのだろう。そんな純粋なこうがあることすら、すっかり忘れていた。

 ただ伯礼の心はすぐに冷える。ほんのりと温まったのあたりが落ち着くと、手足の先に血が通わないような、冷えた感覚にもどっていた。

(手を打たねばならない)

 そう決断したが、どこかにわずかなけんかん躊躇ためらいが残っている。必要があれば良心のしやくなく、平然となんでもできると思っていただけに、その嫌悪感と躊躇いは自分でも意外だ。

「危ないな。たかがしるものいつぱいで、なずけられるつもりか?」

 自らにささやき、歩き出す。



◆◆◆    



 退出する伯礼を見送り、秦丈鉄は目を細める。

やつの動きも気になるが……。やはりもう一度、雪理美を調べるべきか)

 するどく思考する気配を察したらしく、祥飛がげんそうな顔をする。

「どうかしたのか、丈鉄」

「いいえ、なんでもありませんよ陛下。さて、俺もちょっと別件があるので、出てきますよ」

 にっと笑うと、丈鉄は座っていたまどわくから下りた。すると祥飛が、なにげなく言う。

いそがしいことだな、おまえも。おまえには、余のほかにも主人がいるらしいからな」

 ぎくりとして、丈鉄はふり返り苦笑いする。

「十年近くお仕えしている俺に、なにかご不満でも?」

「不満はない。おまえがだれの命で動こうが、余に関係ない。余の害毒にならぬ限りな」

「俺は、毒にも薬にもならない男ですからね、ご安心を」

 じようだんめかして答えて室を出ると、ふっと息をつく。ひやりとした。祥飛はなにも見えていないようで、時々、ぎょっとするほど鋭い。しかし彼の良いところは、ことがはっきりとするまで問題視せず、おうようにかまえていてくれるところだ。

「さて、俺は俺の仕事をするか」

 庭院にわに下りた丈鉄は、かくし持っていた「ちよく」の崑字が書かれたへんを、小さくちぎって池の中へほうりこんだ。文字はにじんで、消えた。

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