四章 和国からの貢ぎ物_二

四章 和国からの貢ぎ物


   二



 崑国の都、あんねい。その東の地には、こんこんとわき出る深緑色の美しい泉がある。名はすいせんという。その翡翠泉にせり出すように造られたのが、皇帝がしよのために過ごすきゆうすいきゆう

 理美はそのまま後宮へ戻ることなく、水祇宮へとがらを移された。

 必要なえやかおりどこつぼは、後宮から運ばれてきた。

 衣装箱の前に座りこみ、め込まれてきたかおりづけの壺や衣装をかくにんしていると、キュッと小さな鳴き声が聞こえた。そして衣装箱の中に詰められていた領巾ひれがもこもこ動き、銀色どうながの生き物が顔を出す。

「珠ちゃん! 来てくれたんだ」

 珠ちゃんを抱き上げ、ほおずりした。可愛かわいい生き物は、そこにいてくれるだけで心強い。

「理美。和国からのみつぎ物が運びこまれました」

 室の入り口に朱西が姿を見せると、珠ちゃんは小さく鳴き、衣装箱の中に飛びこんだ。

 朱西が首をかしげる。

「今、なにか動くものがいましたか?」

「わたしの飼ってるねずみです。可愛いんです。つめは鋭いですけど、もふもふで、目がくりくりで、胴長短足で」

「その情報を聞く限り、鼠とは思えませんが。鼠ですか?」

「鼠ですよ? 野菜かごの中にいましたから」

 のんに断定すると、理美は「さてと」と立ちあがる。ほわりと笑う。

ちゆうぼうへ行きます。すぐにあれらの品が、最上級の食材だと証明してご覧にいれますから」

「すぐですか? あんなものを、どんな法術を使えば食べ物にできるんです?」

 しんげに問いながらも、朱西の表情には、未知の食材へのこうしんがあふれていた。ただ命がけの理美をおもんぱかって、あからさまにおもしろがっていないだけだ。

 だが理美は、まったく心配はしていなかった。証明することは簡単だ。

(陛下は七日間と言ったけど、七日も必要ないはずだもの)

 明日にでも祥飛の前に、あれらが食材であるしようを突きつけ、簡単に理美の首をねようとしたことを反省してもらいたいものだ。内心、祥飛には腹を立てていたが、これから久しぶりに和国の食材をあつかえることがうれしくて、顔がほころぶ。

 いかりの感情が弱くて長続きしないところが、きんちようかんがないと言われるゆえんだろう。

 しかも理美のげんが、自分でも意外なほどに良いのは、ちがいなく朱西といられるおかげだ。あのえんの夜から、ずっとずっと会いたいと願っていたのだから。

 朱西と共に厨房へ向かう。

 水祇宮にはひとけがなく、厨房もまたがらんとして冷えた空気に支配されていた。そこにある大きな大理石の作業台に、うみけんぎよけんが山と積まれていた。

「この木の皮と木ぎれの正体はなんですか?」

「木の皮に見えるのは、かんそうした海草です。海布といいます。そしてそっちの木ぎれのようなものは、堅魚という魚です」

「なるほど、乾燥させた海草。それはわかりますが、こちらは、どう見ても魚には……」

「魚をいぶして、かびを付着させて、かちかちになるまで乾燥させると、そうなります。崑国には、こんなふうに乾燥させた食材はありませんか?」

「沿海地方で、貝柱を干したものを目にしたことはありますが。これほどかたくはありません。そもそもこんな硬さのものを、どうやって食べるんですか? 常識的に考えれば、水で戻し、やわらかく戻して調理に使うのでしょうが」

「方法は色々ありますが、まず、これそのものは食べないんです。基本的に」

「食材なのに食べない?」

「はい。見ていてください。堅魚堅を使うには、それをうすけずる器具が必要なんです。そんなものはないので……。とりあえず、こちらの海布が食材であると、朱西様の前で証明します」

 厨房内にあるから水をくみあげ、なべに水をはる。

 適当な大きさに海布を折り取ると、れいな布で表面をき、鍋の中の水にひたす。

(これで、はんとき待つ)

 その間にかまどに火をおこした。

 朱西は興味深げに作業を見守っている。

 四半刻がたつと竈の火も大きくなった。海布を水に浸した鍋を竈にかける。それが、ぐらりとふつとうする直前で竈から下ろす。すぐに海布を湯から取り出す。

「できました」

 ほんのりと薄い色のついた湯をわんに注ぐと、朱西の前に差し出す。

「これは? 白湯さゆですね?」

「ちがいます。それは……」

 出汁だしを説明しようとして、はたと迷った。出汁とは、崑語でどう言えばいいのか。

「あの、和語で『出汁』というものは、崑語ではなんと言えばいいのですか?」

「ダシ? なんですか、それは」

 朱西は首を傾げた。その反応を見て、崑国には出汁のがいねんが存在しないのだと理解した。

 わざわざ、うまみのある出汁を作り、それを調理に利用する習慣がないのだ。

「『出汁』というのは水や湯に味をつけて……。しるものの味にする……えっと……」

タンのことですか」

「そうです、そんなものです」

 様々な食材を込み、うまみのある汁物にする料理は崑国にも存在する。しかしそれはあくまで料理の一つで、出汁そのものを作るためではない。ただ概念的にはタンと説明するのが、最も近いだろう。

タンは数種の野菜や肉や魚を、長時間煮て作るものでしょう? こんなに簡単にできますか」

「作れるんです、これを使えば。飲んでみてください」

 自信満々ですすめると、朱西は期待顔で一口すする。そして、しばしちんもく

「どうですか?」

「まごうかたなき、白湯ですね」

「え……? まさか!」

 理美は朱西の手から碗をひったくると、口にふくむ。

うそ……、なんだか、苦い」

 おどろきに、手から碗がすべり落ちてしまった。碗はゆかくだすそれた。

 これは朱西が言うように、わずかに色がついた、ぬるい白湯。しかも舌に苦みが残る。

「これはやはり……木の皮?」

 そうつぶやく朱西のむなぐらを、思わずつかんでしがみつく。

「ままま、待ってください。これは食材なんです! 信じてください」

「ええ、信じたいのですが。でも……白湯ですよ?」

「……白湯ですね。しかも苦い」

 朱西から手をはなし、理美はがくりと代理石の作業台に両手をつく。

「こんなはずではないんです。なぜこんな味に」

「原因は思いあたりませんか? 船旅の間にくさったとか?」

「いつも通りの海布で、変わったところはないです。なのに、どうして……」

 さっきまで、祥飛に反省してもらおうと考えていた楽天的な気持ちは、綺麗に消し飛んだ。このままでは朱西が言うように、七日後に首とどうがお別れだ。

 出汁をとった鍋に目をやる。

 大陸の出汁は、とるのに大変な手間をかける。丸ごとのとりこうしんりようや野菜を何時間も煮込んだり、海産物をめたり。しかし和国の出汁は、海布のみ、あるいは堅魚堅のみで、しかも簡単に作れることがとくちようだ。とても単純なのだ。

 海布出汁を取るのに必要なのは、海布と水のみ。

 海布は和国から運んだものなので、ちがいがあるはずはない。ということは。

「もしかして……水……?」

 井戸からくみあげた水が入ったおけへと走ると、しやくで口に含む。舌に、重い硬さを感じる。

「理美?」

 心配そうな朱西に、理美は勢いよくふり返った。

「水。水が違うんです、朱西様!」

 目をかがやかせてふり返り、水桶を指さす。そしてそのしゆんかんひらめいた。ああっと声をあげ、口に手をやる。

「そうか、だからですね! お茶をれるためにわざわざ水売りから買った水を使うのは!」

 しようしよくの仕事中、水代のことであわてたのを思い出す。

 崑国には、二種類の水があるのだ。だからわざわざ水売りから水を買っているのだ。

 一つは後宮の井戸からわき出る、料理に使われている水。これは舌に、重い硬さが残る。それでも料理に使うのであれば、様々な調味料が加わるので気にならない。しかし茶を淹れるとなると、せんさいな茶の味がくるう。そのために、もう一種類の別のお茶用の水を使う。

 理美はお茶の味にかんがないのだから、きっとお茶用の水が、和国の水に近い水なのだ。

「水には二種類ありますよ。和国では違いますか? 井戸や川からくみあげられる、つうの水。そして特別にやまあいから水売りがくんでくる、売り水と」

「和国には、水は一種類しかありません。きっと売り水に近い水です。和国の出汁は、きっと売り水でしか、きちんとした味が出ないんです!」

 とつに厨房からけ出そうとした理美の手を、朱西が慌てたように摑む。

「どこへ行くんです、理美」

「水を買ってきます!」

「無理です。いちおう、あなたはここにらわれているんですよ?」

「あ、そうか……」

 理美ははたと気がついて、朱西を見あげる。

「じゃあ、どうすれば」

「いいですか、理美。水祇宮の門には見張りのが居ます。絶対に出てはいけません。俺が水を手配します」



◆◆◆    



 朱西は衛士に命じ、売り水を買いに走らせた。

 水が届いたのは夕暮れだったが、理美はろうそくともちゆうぼうに立った。

 届いた水を口に含み、ぎんし、理美はにんまり笑う。竈のおきをかきおこし、鍋に水と、うみなるかちかちの食材を加える。

 朱西はきようしんしんで、理美の作業を見ていた。

 あのかちかちの木の皮の正体は海草だと理美は言ったが、あれほどはばひろたけながの海草は、崑国では知られていない。かんそうしてあの厚みとはばと長さなのだから、生であったときはよほどきよだいなのだろう。

 そしてそれを鍋の水に浸して四半刻待つと、鍋を火にかける。水が沸騰する直前で鍋を火から下ろし、ふやけている海布を取り出す。たったそれだけ。

(こんなもので、タンになるのだろうか)

 食材の味を湯の中にかし込むには、長時間煮ることが必要不可欠だ。しかも食材は数種類を用いる。そんな常識からすると、理美のやっている作業で得られるものは、タンではなく、ただの白湯だ。

「どうぞ、朱西様」

 できあがったものを碗にとり、理美はまず自分で味見をした。そしてなつとくしたように微笑ほほえむ。その微笑のまま、別の碗に、理美が言うところの『出汁』を注ぎ、朱西にわたす。

 碗を受け取り、それを口元に持ち上げた朱西は、ほのかにかおいそかおりに気づく。

(磯の香。しかしなまぐささはない。不思議と)

 わずかにあめいろになった白湯を口に含む。すると香と共に、かすかな深いこくが舌に感じられた。

 味ではない。塩味も、甘味も、からさも、なにも味らしい味はない。

 しかし、なにかが舌にまとわりつく。

 それは、こくとしか表現しようのないもの。いつさいの味をはいじよしてあるにもかかわらず、うまいものを食べた後に舌の上に残るおいしさに似たもの。

「これは」

 驚きに朱西は目を見開く。理美は期待顔で言葉を待っている。

「どうですか?」

「これは白湯ではない。味つけがないにもかかわらず……、ごくじようの、タンです」

「良かった。やっぱり水なんですね」

 微笑む理美の顔を見つめ、朱西は不思議な生き物を発見したような気がした。

 こんなふうに試行さくし、ものを作る女性には会ったことがなかった。貴族のひめはたいがい、れい作法やしゆう、習字など、決まりごとをどれほど美しく、そつなくこなすかに心血を注ぐ。

 せんたんを練るせんにんのように、あれこれ思考し、ためし、探究する女性というのがしんせんだ。試すこと、考えることを楽しんでいる。

 ふと、自分と似ていると感じる。そんなふうに、自分との共通点を感じる人間はいくにんかいる。

 しかしそれらはすべて男だ。女性に、自分との共通点を感じることが不思議で、興味深い。

(なかなか……おもしろい人だ。しかも和国の食材は、さらにおもしろい)

 朱西の口元がほころんだ。彼の中の探究心が、胸をおどらせる。

 食材にすら見えないものが、水でさっとるだけで極上のタンになる。崑国の常識では、考えられない食材だ。

 未知の食材に、強い興味がわく。

「こちらの木ぎれ……ではなく、けんぎよけんというものも、同様においしいタンになりますか?」

「はい。でも、これをうすけずるための道具が必要です。木を削る道具のような」

「大工道具のかんなでは? ?」

「それ、それが言いたかったんです! それでいけます」

「料理に大工道具とは興味深いですね。いいですよ、準備しましょう」

 朱西は鉋を調達するために、厨房を出て行こうと理美に背を向けた。

(食材を使うために、大工道具とはな。おもしろい。これは)

 久しぶりに朱西は興奮し、笑いたいような気持ちになる。

 しかしとつぜん、背後で、なべわんをひっくり返す音がひびく。それと同時に右半身に熱いものが降りかかり、思わず声をあげて飛び退いた。

 おどろいて背後をふり返ると、理美がゆかたおれていた。彼女が倒れたひように鍋がひっくり返り、熱湯が朱西の体に飛び散ったらしい。

「理美!?」

 熱湯がかかったみぎうであたりがじりじりと痛んだが、それよりも女性である理美にがないかとあせった。駆けもどってき起こすと、幸いにも彼女の体には熱湯がかかっていない。けれどなぜか、ぐったりと目を閉じている。意識がない。

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