三章 白い月夜の梨苑の再会_三
月夜に朱西と会ってから、心の
ただ
そして
あの美しい
そうしていると、ひやりとする初春の気配は去り、花々が
そしてその頃から、理美の周囲で奇妙な変化が起こりはじめた。
理美は
それでも最初は、何をどうすればいいのかわからず、四苦八苦した。
例えば、各宮殿からの要求
崑国特有の調味料、
だが
親しくなってくると彼女彼らは、決まって照れたように「あなたの
理美の持っている香床では、大量の香漬は作れない。なので特に親切にしてくれた女官や宦官に、時々少しずつ分けるしかなかった。
「気味悪い……かも?」
自分の
「なにか
「……これが最高に気味悪い……」
あれほど
美容に関心が高い後宮内では、秘密の美容法を知る者は尊敬され、重宝され、仲良しになりたがる者がわんさと寄ってくる。
そのためか近頃、理美への
しかし、
理美付きの老侍女も最初は「そんなもので肌が
いそいそと花茶を運んできた老侍女に、理美は試しに言ってみた。
「美しい肌の……」
「美肌のなんでございますか!?」
たった一言で、老侍女は
(絶対、怪しいわぁ~)
間違いなく女官や侍女の間に、信用できる筋からとして、理美の美肌に秘密ありと噂が流れている。そうでなければ老侍女がこれほど見事に、
「理美様の美肌のなんでございますか! 理美様の
「違うけど」
「ああ……そうでございますか……」
あからさまに
「前に香漬をすすめたときに、あなた、肌が綺麗になるって信用しなかったのに。なんで今、欲しがるの? なんで信じる気になったの?」
「宋貴妃様の侍女が、噂していましたからね。貴妃様付きの侍女が言うのだから、確かですよ」
(なんで宋貴妃?)
理美を
「失礼いたします。こちら雪理美様のお部屋でしょうか」
房の出入り口に、品の良い若い侍女が現れた。見慣れない侍女だ。
「はい。わたしが理美です。なんの
「宋貴妃様がお呼びです」
ぎょっとした。今、噂していたばかりだ。
「貴妃様がなんの御用でしょうか」
「お茶にお招きしたいとのことです。雪理美様お一人でお
呼ばれた理由を聞いて、さらに
(いったいなにが起こったの?)
老侍女が親切にも、理美の耳に
「わたしを連れてくるなというのは、
「う~ん。そうよね、きっと。でも、まあ、とって食われることもないだろうし。貴妃の宮殿なんて
理美は、使いの侍女に
「行きます」
◆◆◆
宋貴妃の住まう
理美が案内されたのはその四阿だった。四阿に置かれた、
「雪宝林をお連れいたしました」
案内の侍女に
「あっ……!」
小さく声をあげてしまった。そこにいた宦官はいつかの夜、厨房で
(ろくに食べていない人の顔だわ)
美貌の宦官は理美のしかめ
宋貴妃は、嫌味なほどの作り笑顔だ。
「いらっしゃい、雪宝林。急なお誘いで、ごめんなさい。あなたとお茶を飲んでみたいと、前々から思っていたものですから」
「お招き感謝いたします」
と、礼は言ったものの、ここからどうすれば良いのかまごついた。供の老侍女がいれば作法を耳打ちしてくれたのだろうが、一人ではどうしようもない。
「あら、お作法を
「さすがは海からやってきた
控えていた侍女が聞こえよがしに言ってくすくす笑うが、宋貴妃が「あなたがた、およしなさいな。許しませんわよ」と、やんわりとたしなめる。
(なんだろう、この茶番。供を連れてくるなと言ったのは、これをするため?)
侍女たちが理美に嫌味を言い、それを宋貴妃がたしなめるという、あからさまな
「こちらへどうぞ」
すすめられた椅子に座ると、宋貴妃はわざとらしく
「あなたに謝らなければならないわね、雪宝林。わたしの侍女たちが、あなたに無礼を働いて。以前から、そんなことはおやめなさいと言っているのに、聞き分けのない者ばかりで。これからはもっと厳しく注意をするから、許してくださる?」
不信感いっぱいで椅子に座った理美の前に、
「紹介するわ。彼は
(蔡伯礼様というの? 陛下付きの内侍? 道理で……、自信満々だったわけね~。本当に、
そんな高位の
「ねぇ、伯礼は美しいでしょう? お茶を飲むときには、いつも伯礼を呼び出すの。芍薬の花を卓子に
同意を求めるように言われたが、
(確かにこの方は美しいけれど、観賞用のお人形あつかいだわ。こんなに顔色の悪い人を前にして、お茶なんて楽しく飲めない。なにか食べてもらわないと、なんか、そわそわする……。このお
半ば本気で、目の前の
「伯礼。これからわたしのお友だちになってもらう、雪宝林よ」
宋貴妃が伯礼に水を向けると、彼は理美が口を開くのを制するように、
「はじめまして、雪宝林。蔡伯礼と申します」
(え? はじめまして?)
彼の目を見るが、微笑する彼の目からは意図がくみ取れない。
どうしようかと迷ったが、彼に合わせることにした。
「はじめまして、雪理美です。よろしくお願いします」
「こちらこそ……おや、あれは、わたしへの使いですね」
芍薬園を一人の宦官が横切り、こちらへ向かって来る。伯礼は「失礼」と断って座を立ち、芍薬園の中へと歩いて行く。
「伯礼はね、実は、男だという
「はい? 確かにおきれいですが、
「
「能力?? その心は?」
「まあ。言わせる気なの?」
意味を
「そういうことですか! 子をなせると、そういう。まあそれは、おめでたい……ではなくて、あれ? でも? そんなことあり得るんですか?」
宋貴妃は、伯礼が男性機能を失っていないという噂がある、と言っている。けれど宦官は男性機能を切除するからこその宦官で、そうでなければ後宮にいてはならないはず。
「あくまで噂だけれどね。でも、伯礼は特別だから」
意味深な返答に、さらに突っこんで
宋貴妃は上手な作り
「美しいと言えば、雪宝林。間近で見ると、あなたの
宋貴妃が、さっそくとばかりに切り出した。
改めて宋貴妃の顔を見やった理美は、先刻の小芝居の目的を理解した。
若さに似合わず、宋貴妃は厚く
宋貴妃は、理美の美しい肌に秘訣があると噂を聞いて、その秘密が知りたくなったのだ。
しかし今まで散々貶めてきた相手が、
そこで一計を案じた。理美を茶に招き、今までのことは宋貴妃ではなく
(皇帝陛下の前でわたしを
宋貴妃の
だが気になるのは、理美に秘密があると噂を流したのが、何者かということだった。
「
「わたしがあなたの侍女から、和国の食べ物のことを聞きました。それを宋貴妃様の侍女に話したところ、貴妃様のお耳に入っただけですよ」
それは
(この方は、あの夜口にした香漬のことを、自ら噂にして流したということ?)
目的はなんだろうか。彼は
「その秘密、わたしに教えてくれない?」
鼻にかかった甘えた声で、宋貴妃はしなを作った。
蔡伯礼の意図がわからず不安ではあるが、こうなってしまったからには、宋貴妃にどう返事をするかが目先の問題だ。
理美は食べ物を求められれば、条件反射的に作ろうと思ってしまう。食べて欲しくなる。
だが今回ばかりは、相手が相手だけに迷う。
理美を
だがもし宋貴妃に恩を売れば、後宮の中で生活しやすくなることは確か。仮に断れば、理美は前以上に
逆に香漬を提供すれば、宋貴妃は理美をないがしろにできなくなる。
(求められれば居場所ができる。苦々しいけれど、居場所を得るために必要なことなら……)
理美は決断した。
「毎日、わたしの作る香漬というものを食べていれば、肌が
約束すると、宋貴妃は声をあげて
「君はうまく立ち回れば、宋貴妃を
ぎょっとした。
(なんて
確かに貴妃ともなると、
操れるというのは、大げさではないはず。
◆◆◆
大喜びの宋貴妃から、高価な
(伯礼様は、なんで香漬の噂を流したのかしら。貴妃様を操れるなんて言っていたから、もしかすると、わたしの立場をよくするために流してくれた? そんなことあるのかな?)
伯礼のことが、すこし恐くなった。しかも宋貴妃の口から、伯礼に関して囁かれているらしい、
理美には
足を止めると、宦官と目が合った。
「雪理美様ですね」
「はい」
「あなた様を
「はぁ、そうですか。逮捕……」
耳慣れない単語をおうむ返しにして、その単語の意味を頭の中から引っ張り出して
「た……逮捕!?」
衛士たちが動き、理美の
そのまま衛士たちはずんずんと歩き出し、理美は半ば引きずられる。
「待ってください! どこへ連れて行くんですか!?」
「外朝の陛下の
「不敬!? お話をしたこともないのに!? なぜ!?」
「まずは大人しく、おいでください」
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