二章 美貌の宦官_三
崑国に来て、初めて宦官の存在を知った。和国には宦官が存在しないのだ。
宦官は後宮に勤めるにあたり、男性機能を切除する。そのため男性にしては筋肉が
しかし今、ほのかな
(美しい
座っているので
だが彼の表情に生気はなく、ひどく
美貌に
「あの……具合が悪いんですか? こんな夜に、こんな場所にいる人には見えませんけど」
彼の身につけている
「君もね。女官でしょう? 厨房に出入りする人には見えないね」
「わたしは、許可をもらってます。でも話がそれてますよ。具合が悪いんですよね。人を呼んだほうが」
「構わないでいい。いつものことだから。ただ今日は、夜食を食べ
(食欲がない?)
それを聞いた
「何か作ります」
条件反射で言った理美に、彼は目を丸くした。
「作るとは、料理を? 君が?」
「はい」と
種火が
(そうだ。ちょうど冷煮霙が残っている)
厨房の奥にある保冷用の
薄く刻んだ香漬を
料理を作るのに、自分の舌がぼやけたままでは
(体調が良くなさそうだから、
思いがけず食べさせるべき人を前にして、急にわくわくする。
「本当に女官の君が作る気? いいよ、そんなことをしなくても。別に欲しくはないから」
「食べ物を探して
「……」
美貌の宦官は首を
「君、崑国の人間じゃないね。とすると和国の姫……雪理美か。理美、誰から崑語を習ったの?」
「和国人の
「なるほどそれで。見ていやがれでございます、ね」
鍋に入れた
この冷煮霙には川魚を使った。
その冷煮霙を再度温めて
そこへ夜食の残り材料らしい、小麦粉で作った四角い
雲吞とは読んで字のごとく。汁物の中で熱を加えると、とろりと真っ白な雲のようになり、口に入れれば、つるりと飲みこめる。そしてこの雲吞のとろみで、汁にもとろみが出る。
仕上げにかかる。
こくを足すために、崑国で多用される調味料、
「どうぞ、
できあがった汁物を
自分も彼の前に座った。
宦官はしばらく迷う
(口に合うかしら?)
匙を運ぶ彼の口元は、どこか官能的だ。
(こんな
人並みにものを食うのであれば、どれほど美しかろうと天人でも
「これはなに? 甘いね」
「和国の食べ物なんです。香漬といって。甘くても、砂糖を使っていないんです。それに食べ続けていると、体の調子が整います。
「和国の食べ物は、初めて口にしたよ。良い味だね」
彼はまた匙を手にする。
しばらく魅惑的な口元を見つめていると、彼の匙が止まった。
碗の汁物は綺麗になくなっていた。
彼が、温かい息を
聞かなくとも、彼が満足したことがわかった。ほっとして
「こんなふうに、いつも具合が悪いんですか?」
「具合が悪いというほどではないよ。食欲がなくて
味覚がおかしくなっている理美と同様に、この美貌の宦官の心も乱れているのかもしれない。
しかし汁物を平らげた彼の雰囲気は、さっきよりも格段に柔らかい。
彼の変化が嬉しかった。
「こんなものでよければ、いつでも作ります。わたしを呼んでください」
「
「珍しいですか?」
「とてもね、珍しいよ。お礼をしないとね。なにか欲しいものはある?」
「別にないです。ただ、なにか食べたいと思った時に、わたしを呼んでくれたらいいです」
宦官は不思議なものを見つけたように理美を見つめ、その後、微笑した。美しい微笑だった。
「
「なんでもって。あの……? そもそもあなた、
あまりに自信ありげな言葉に、この宦官の身分が気になった。なんでも思うままに物事を動かせるような、とんでもなく高位の宦官なのだろうか。
「わたし?」
「
「ひゃっ!」
のけぞった理美に、彼はさらに目を細める。そして席を立ち、
理美は彼の
◆◆◆
しかしあれきり、
理美は、あの宦官の体調が心配だった。彼はきっと、理美に出会った夜と同じように、ろくな食事をしていないだろう。
(あの人、食べに来てくれればいいのになぁ)
と、毎夜のように厨房に行きつつ考えていた。
その夜も理美は厨房で食材を物色し、
(あれ? 珠ちゃんがいない)
いつもなら、寝台の上で丸くなって
「……まさか、ねぇ……」
そう口にした時だった。背後の
「よお、女官
低い男の声に、全身が
「……誰?」
「誰でもいいさ。あんたに用があってな。あんたの大切なものを、出してもらっていいかい?」
理美が
「い、いやです。それだけは」
「いい子で出してくれれば、
男の片手がすいと動いて、理美の首を軽く摑む。首に触れる冷たく
「いい子だ。さあ、どこだ。大人しく出せ」
理美はそろそろと歩み、寝台の傍らに置いてある壺を手にした。男が、
「そのなかにいるんだな」
軽く背後から
顔はよくわからないが、
「このことは忘れてくれ。これを
「どうして……? なぜ、それを……? あなた、誰……」
「
それだけ言うと、彼は暗闇に
そしてそのうちに、じわりと
「香床が……」
あれがなくなれば香漬を作れない。今の理美は香漬を口にしないと、味覚が
味覚が戻らなければ
あの顔色の悪い
この先、このままの状態であれば、料理を味わうどころか、作ることもできない。
理美の唯一の
あの男が何者か、そしてなんの目的で香床を奪ったのか。そんなことを考える
ただ香床が奪われた
ぽたぽたと
(……どうすればいいの?……
理美を支える柱が、
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