追跡

「……リアン、どう思う?」

「異常、としか言いようがないですね」


 前脚と後ろ脚をそれぞれ縛られて気絶している魔獣とその周囲に転がる7匹の死体を見てリアンは眉を顰める。

 ムーンアイは確かに凶暴な一面もあるが、狂った獣ではない。相手が敵わない相手だと分かれば、普通はどんな獣でも逃げ出す。それは野生として当然の知恵であり本能だ。

 だというのに彼らは仲間が瞬殺されても殆ど逃げる姿勢を見せず、リアンとフィフィに襲い掛かってきた。

 そして最後の一匹も意識を失う直前まで四肢の自由を奪われつつも暴れまわっていた。

 それは仲間を殺された怒りだったのかもしれないが、それでも森に住まう獣と接する機会の多かった二人からすれば異様な光景という他になかった。


「私も同意見……そいつから何か分からない?」

「ええと、調べてみます」


 リアンは気絶したムーンアイに触れる。一応脚は縛ってあるが、いつ暴れ出してもおかしくないので慎重に。

 ゆっくりとその肌に触れるとまだ筋肉が熱を持っているのが分かる。どくどくという鼓動が皮膚越しに伝わってくる。


 リアンは意識を集中する。魔獣の肉体に関する知識は狩人未満であるし、解析系の魔法を持ち合わせている訳でもない。だが、それでも自分に感じ取れる何かが無いかとムーンアイの全身を見つめて探る。

 そしてふとした違和感。靄の中でうっすらと見えた影のような、捉えどころのないその感覚にリアンは目を細めた。


「……何かあった?」

「ええと……いえ、自分の勘違いかもしれないですが……」


 リアンは語尾を濁す。一瞬だけ感じたその感覚が何だったのか、ただ何かを見つけて役に立ちたいと逸った気持ちが見せた幻覚なのではないかと思って。

 しかしフィフィは急かす訳でもなく、いつもよりもほんの少しだけ優しい口調でリアンを促す。


「いい。リアンが感じたことを言って」

「……ええと、変な魔力を感じた……気がしました。今まで回ったポイントの魔力とは違う、もっと捻じれ歪んだ嫌な感じの」

「……森のものではない、禍々しい魔力?」

「は、はい。何だか一瞬嫌な感じだと思ったくらいで、あとは消えてしまったんですが……」


 フィフィが目を伏せて、何かを考えるようにする。

 すると気絶から目覚めたらしいムーンアイがもぞりと身体を動かし始めた。


「……ぐる……きゅぅん……」


 咄嗟に身構えたリアンだったが、魔獣の様子に拍子抜けする。

 先ほどまでの凶暴さはどこへやら、身動きできないことが分かると獣は力なく舌をだらりと出して脚の傷の痛みに身を捩っている。

 その眼にはもはや闘志の欠片も残っていない。


「……これは」

「……楽にしてあげよう」


 フィフィは短く告げるとそのままムーンドックの首筋へと手を伸ばし力を籠める。

 少しだけ苦し気に暴れるが、数秒の内に魔獣は大人しくなり、そしてそのまま息絶えた。

 足を傷つけられた獣が一匹だけで生きていけるはずもない。仕方ない処置だとリアンにも分かっていたが、その行為を彼女にやらせてしまったことに微かな罪悪感を感じる。


「すみません、フィフィさん。俺がやるべき――」

「この子を撃ったのは私。だから私の仕事」


 それで話は終わりだというようにフィフィは言い切って、リアンの方を見る。

 真紅の瞳に見つめられるとリアンはもう何も言い返せない。


「……グゥシィの後を追う、付いてきて」

「――はい」


 リアンは少しだけ息をのみ、彼女の言葉に頷いた。



      ◇      ◇



 二人はグゥシィを追って森の中を進む。微かに残る足跡や折れた枝、不自然に散った落ち葉、そして微かに残る匂いなどの手掛かりを辿るフィフィの足取りはそれほど早くない。

 リアンはその後を付かず離れずの距離を保ちつつ歩く。最初はまた魔獣が襲ってくるのではないかと緊張していたが、しばらく歩いていてもその様子はない。

 無言で森を進む時間が続き、少しだけ気まずさを感じる。リアンは口を開こうとするが、危険な地で雑談をするというのも憚られて結局何も言えずフィフィの背中を追う。


 そんなリアンの様子を見ていられなかったのか、あるいは彼女も同様の気まずさを感じていたのか。フィフィは少だけ視線をさ迷わせて、探る様に話しかけた。


「……そういえば、リアンは弓は使わない?」

「えっ……あ、いえ! 一応扱えはしますが……」


 フィフィに話しかけられて少しだけ嬉しそうにリアンは答える。ただ、答えはどこか自信なさげだ。

 一瞬出掛かった否定するような言葉を飲み込んだのは、幾許かの進歩だろうか。


「そう、なら、今度少し教える」

「い、いいんですかっ!?」

「……まあ、私もそれほど得意という訳ではないけれど」


 フィフィの言葉にリアンは悪い冗談でも聞かされたかのような気分になる。

 昨晩自己評価の低さを窘められたばかりだが、なるほど、実際に聞くとこんな気分になるのか。とリアンは難しい表情を浮かべる。

 その苦い顔を見たのか、フィフィは弁解するように言葉を続けた。


「いや、謙遜でなく私は本当に弓の腕に長けている訳じゃない。勿論そこらの弓師アーチャーに引けを取るつもりはないし、好んで使ってるのも確かだけど、その、あまり才能には恵まれてない」


 フィフィの言わんとすることは何となく理解する。熟練度としては十分だが、その上限が飛びぬけて高いという訳ではないということだろうか。

 しかしリアンはどうにも納得できない。


(あれだけ的確に急所を高速で射貫いておいて……才能がない……?)


 だとすれば自分はどうなってしまうのか。弓を持つ資格すら無いのではないだろうか。

 

 露骨に暗い顔を見せているリアンに気付いたのかフィフィは慌てたように言葉を続ける。


「大丈夫。きっとリアンは私より素質はある。うん、きっとそう」

(すごく気遣われている……)


 何とも力の抜けるぎこちないフォローを見て、失礼かもしれないが可愛らしいとリアンは思う。

 そして今更ながらに理解した。この人は、とても不器用な女性なのだ。

 加えて、とても優しい。


「リアンには、速さが足りてない。まずはそこから」

「速さ、ですか」


 リアンはそこでまた渋い顔を見せる。根本的な速度不足はここのところ痛感させられていた課題の一つだ。


(弓の速さっていうと、構えから撃つまでの速度? それとも連射? いやでもまだ弓持ったところフィフィさんには見られてないよな……?)


 黙考を始めるリアンを見て、フィフィは少し表情を緩める。


「……それ。リアンの良い所で、悪い所」

「……ええと」


 謎かけのようなフィフィの言葉にリアンの困惑はますます深まる。

 彼女の言葉を理解したいが、自分の頭ではついていけないことが歯痒い。ただ、もう少しだけ言葉を足してほしいという不満もほんの微かにない訳ではなかったが。


「……リアンは色々と考える。備えて構えて受ける。それは悪くない。けど、遅い」

「……考えず、まずは前に出るべきってことですか?」

「それじゃ筋肉馬鹿ガストと同じ。思考は怠ったらダメ。予想も立てるべき。けど、決断は最速で。悩むようなら、どうせ答えなんて出ない」


 所属チームの偉大なるリーダーの呼び方に見え透いた悪意があった気がするが、そこは努めて無視してリアンは与えられた言葉の意味を考える。

 確かに今までの自分を思い返せば、戦いの時にはあれこれと考えていなかっただろうか?

 意味のある思考であれば良い。だが無駄に慎重になって、しても仕方のない警戒をしたことは一回や二回ではなかったはずだ。


「……あとは決断したその瞬間に、身体が動くようにするだけ。速く動くというのは、そういうこと」

「……速く、動く」


 リアンは彼女の言葉を繰り返す。

 最速の決断と、最速の行動。

 フィフィは軽く言うが、それがどれだけ難しいことか。

 優柔不断で臆病な自分が彼女の言う次元に辿り着く姿は、正直想像すら難しい。


 だが。


「……大丈夫。リアンなら出来る。私が保証する」


 ここまで言ってくれる彼女を裏切りたくはない。

 ならば、自分の出来る限りをしてみたい。

 少年は強く思う。


「――ありがとう、ございます」

「……ん」


 フィフィは頷き、前を見据えたかと思うとぴたりと立ち止まる。

 そして後ろ手にリアンを制した。



「――見つけた」


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